以前、「『ゆっくりしてってね!』は実戦を制する?」として、実戦においてゆっくり動くことの意味と、ゆっくり動く鍛錬の意義について少しくお話しさせていただきました。
今回の「ゆっくり」では、「ゆっくり動くこと」の意義を、「人体を『正確に動かす』ことを会得するための、かなり効果の高い手法であるため」という仮説を立て、これを傍証する方式でお送りしたいと思います。
武道・格闘技のみならず、肉体を動かすことよろずに言えることですが、身体のコントロールには、以下に掲げる3つの要素があります。
① 力の調整
自らの持つパワーを、どこでどのくらい使えばよいかを調整すること。
② 空間の調整
身体のどの部分の筋肉を使えばよいかを調整すること。
③ 時間の調整
どのタイミングでどの技を発揮すればよいかを調整すること。
プロ野球の投手は140~150キロ台のスピードボールを投じますが、スピードのみならず、コントロールも実に精妙です。
高校・大学野球レベルでも140台キロの球を投げる投手がいるにはいますが、真っすぐを投げてもストライクがまともに入らないのがゴロゴロいます。
プロ投手と高校・大学投手の何が違うのか?これ実は、①~③を用いることで、すべて理解が可能です。
①に当てはめますと、プロの投手は高出力のパワーを、高次元でコントロールできているが、高校・大学の投手はパワーこそ高出力であっても、それをコントロールしきれていない、と表現できます。
②に当てはめますと、プロの投手は身体の自由度が高く、体をムチのようにしならせて投げることが出来る…言い換えれば、投球に必要な筋肉だけを使用し、パワーロスが少ない投げ方をしているのに対し、高校・大学の投手は、投球動作に不要な余計な筋肉をいくつも使っており、結果、パワーを無駄に出力しているため、身体の自由度がプロと比べて低い、と表現できます。
③に当てはめて考えますと、プロは投球のテンポや球のリリースポイントといった、時間の調整を自家薬籠中のモノとしており、リズムよく投球ができているのに対し、高校・大学の投手はリリースポイントが一定でなかったり、ちょっとしたことで投球リズムが崩れることが多く、時間の調整力がプロと比べて低い、と表現できます。
で、実は上記①~③の調整力を高いレベルで身に着けるためには何をやればいいのか?????
…方法論としましては…「質の高い反復練習をする」以外、何も見つかりませんでした(;^ω^)。
「テメー!底の浅い調査でブログ書きやがって!何かのまとめサイトかコノヤロー!」という批判もあるかとは思いますが、まあ、その手の批判は以下の文章を読んでからでも遅くないと思いますので、もうすこしお付き合いください(;^ω^)。
まず、どんな天才であっても、①~③の調整能力をよりハイレベルたらしめるには「反復練習を行う」ということから逃れることはできません。これはもう、法則性のある事実であり、議論の余地はありません。
しかし、この反復練習という文言の意義については、大いに深堀りする必要があります。
反復練習をしなくてはいけない、やらなきゃ上達しない具体的な理由として、以下のようなものが挙げられます。
・何事にもよらず、複雑・精密なものほど、大脳皮質への定着度が悪くなるため。
・脳は「何かが起きたあと、1から対処方法を考える」という性質より、「すでに出来上がったパターンを引っ張り出し、パフォーマンスする」という性質のほうが強く、従って、練習でたくさんのパターンを蓄積する必要があるため
特に、瞬発的な状況判断を求められるものほど、その傾向が強くなる。
(この「出来上がったパターンを引っ張り出す」という働きを、アフォーダンス・システムと呼ぶ…らしい。)
・前出の「アフォーダンス・システム」をより高いレベルのものとするためには、各種のトライ&エラーを繰り返す必要があるため。
なるほど、反復練習をしないといけないことは、なんとなくわかりました。
次に、この反復練習のを行うに際しての注意事項は…「技術の習得を目的とした練習の際には、過度のパワー出力を求めることをしてはいけない」ということ。本稿ではこれを特に、大きく掲げたいと思います。
ここまで読んで、もしかすると「ナニ~?技術というのは、キツく、つらい練習を何万回と重ねないとダメなんだ!ヌルいことを言うな!」という人もいるかもしれません。
それはそれで、「根性をつける」という点にだけスポットを当てて考えると正しいことなのかもしれませんが、「技術を身につける」という話に及んだ場合、そういった認識は大間違いと断じていいと思います。
筋肉は、運動強度が30%1RM(最大筋力の30パーセントの出力)にさしかかると、筋内圧(筋肉内における圧力)が上昇し始めます。これによって筋肉内部の血管が圧迫されて血流が滞りだします。
そして、運動強度が80%1RMを超えると、筋内圧はほぼMAXとなり、血流は完全に止まります。
技術を習得するためには、肉体のみならず、脳もしっかり活動していなければなりません。
考える、行う、失敗する、改善点を見出す、また行う、失敗する、また改善する…という過程を繰り返すことこそが、先ほどもお話しした力・空間・時間の調整や、各種の適応能力を伸ばすことにつながってくるのです。
しかし、ここにヘンな負荷をかけると、先ほども申し述べました通り、脳に行くべき血液が筋肉にバンバン流れるようになり、もはやモノを考えるどころの騒ぎではなくなります。
そうなると、技術の大脳皮質への書き込みもできませんし、ただただ「ツラいことをこなす」だけの練習に堕してしまうこと請け合いです。
繰り返しになりますが、これまで申し述べてきましたとおり、力・空間・時間の調整力を増す、各種の適応力を磨くといった「技術を磨く反復練習」にあっては、その練習が「こなすこと」が目的となるような強度のものであってはならず、脳にじゅうぶん血液が行きわたる程度の強度を持って吉としなければなりません。
その点から勘案した場合、やはり「ゆっくり動くトレーニング」というのは、こと技術習得に主眼を置いた場合、とても理にかなっており、優れたものだと断言してよいでしょう。
ただ「ゆっくり」を行う際に注意していただきたいのは、きちんとモノがわかった師匠に、きちんと機序を立てた合理的な方法をならったうえで「ゆっくり」を実施すること。
聞きかじりや思い付きによるトレーニングは、「ゆっくり」のみならず、トレーニング全般を通じて絶対にやってはいけないことであり、この点、ゆめお間違いなきようよろしくお願いいたします。
【捨てるには惜しいネタの供養場所】
以下は、今回の「ゆっくり」に盛り込みたかったネタですが、お話の構成上泣く泣く本編から外しました。
でももったいないうえ、自称「ネットの武道評論家」や「神秘系」を黙らせるために非常に有益なネタでもあるので、本編とは関係のないところで書きつけておきます(;^ω^)。
・神秘系やネット評論家は「武術の表現に筋肉はいらない」みたいなことを吐(ぬ)かていますが、人体において「エンジン」に該当する箇所は筋肉しかありません。
また、各種筋肉がパワーを発揮する際に「力点」となる箇所は、各筋肉の停止部分なのですが、この「力点」を意識する作業もかなり難しい。その感覚を身に付けるためには、やはりフィジカルのトレーニングしかありえないのです。
以上のことから、武道・格闘技において筋肉は絶対にあったほうがよいですし、先に申し述べた「力の調整力」を早期かつ円滑に身に付けるためには、フィジカルのトレーニングは絶対にやるべきです(技術練習とは完全分離した状態で)。
ですから、神秘系やネット評論家の言う「筋肉はいらない」という論調は、フィジカルと技術の上達機序をごちゃまぜに考えており、また、人体生理学の無知からくる傲慢に満ち溢れた虚言であるため、一顧だにする価値がないと断言いたします。
・これはネット評論家のほうに多いのですが、ネット評論家は、力のかかり方のベクトル図で理解しやすい技(突きなど)をあげつらい、「あの技の打ち方では、力積が掛かっていない」などと、知ったようなことを言っています。
しかし、このネット評論家は、ベクトル云々以前に必要な、人体のつくりに関する基礎知識を知りません。
まず人骨は、角材のような「直線一本」のつくりをしていません。そして、まっすぐでない骨にくっついている筋肉も、当然直線で描けるようなつくりをしていません。
きちんとした武道・格闘技の技は、それらを踏まえて作られていますから、人体を「ただの棒」として見た場合、力積のかかっていない技と見えても、人体の機序から考えると「う~ん!」と唸るような技がたくさんあるのです。
「物理で理解できる技は効く技、そうでないものは効かない技」というのは、頭でっかちゆえの傲慢であり、そういう主張をする人間は、自らを恥じるべきです。
今回の「ゆっくり」では、「ゆっくり動くこと」の意義を、「人体を『正確に動かす』ことを会得するための、かなり効果の高い手法であるため」という仮説を立て、これを傍証する方式でお送りしたいと思います。
武道・格闘技のみならず、肉体を動かすことよろずに言えることですが、身体のコントロールには、以下に掲げる3つの要素があります。
① 力の調整
自らの持つパワーを、どこでどのくらい使えばよいかを調整すること。
② 空間の調整
身体のどの部分の筋肉を使えばよいかを調整すること。
③ 時間の調整
どのタイミングでどの技を発揮すればよいかを調整すること。
プロ野球の投手は140~150キロ台のスピードボールを投じますが、スピードのみならず、コントロールも実に精妙です。
高校・大学野球レベルでも140台キロの球を投げる投手がいるにはいますが、真っすぐを投げてもストライクがまともに入らないのがゴロゴロいます。
プロ投手と高校・大学投手の何が違うのか?これ実は、①~③を用いることで、すべて理解が可能です。
①に当てはめますと、プロの投手は高出力のパワーを、高次元でコントロールできているが、高校・大学の投手はパワーこそ高出力であっても、それをコントロールしきれていない、と表現できます。
②に当てはめますと、プロの投手は身体の自由度が高く、体をムチのようにしならせて投げることが出来る…言い換えれば、投球に必要な筋肉だけを使用し、パワーロスが少ない投げ方をしているのに対し、高校・大学の投手は、投球動作に不要な余計な筋肉をいくつも使っており、結果、パワーを無駄に出力しているため、身体の自由度がプロと比べて低い、と表現できます。
③に当てはめて考えますと、プロは投球のテンポや球のリリースポイントといった、時間の調整を自家薬籠中のモノとしており、リズムよく投球ができているのに対し、高校・大学の投手はリリースポイントが一定でなかったり、ちょっとしたことで投球リズムが崩れることが多く、時間の調整力がプロと比べて低い、と表現できます。
で、実は上記①~③の調整力を高いレベルで身に着けるためには何をやればいいのか?????
…方法論としましては…「質の高い反復練習をする」以外、何も見つかりませんでした(;^ω^)。
「テメー!底の浅い調査でブログ書きやがって!何かのまとめサイトかコノヤロー!」という批判もあるかとは思いますが、まあ、その手の批判は以下の文章を読んでからでも遅くないと思いますので、もうすこしお付き合いください(;^ω^)。
まず、どんな天才であっても、①~③の調整能力をよりハイレベルたらしめるには「反復練習を行う」ということから逃れることはできません。これはもう、法則性のある事実であり、議論の余地はありません。
しかし、この反復練習という文言の意義については、大いに深堀りする必要があります。
反復練習をしなくてはいけない、やらなきゃ上達しない具体的な理由として、以下のようなものが挙げられます。
・何事にもよらず、複雑・精密なものほど、大脳皮質への定着度が悪くなるため。
・脳は「何かが起きたあと、1から対処方法を考える」という性質より、「すでに出来上がったパターンを引っ張り出し、パフォーマンスする」という性質のほうが強く、従って、練習でたくさんのパターンを蓄積する必要があるため
特に、瞬発的な状況判断を求められるものほど、その傾向が強くなる。
(この「出来上がったパターンを引っ張り出す」という働きを、アフォーダンス・システムと呼ぶ…らしい。)
・前出の「アフォーダンス・システム」をより高いレベルのものとするためには、各種のトライ&エラーを繰り返す必要があるため。
なるほど、反復練習をしないといけないことは、なんとなくわかりました。
次に、この反復練習のを行うに際しての注意事項は…「技術の習得を目的とした練習の際には、過度のパワー出力を求めることをしてはいけない」ということ。本稿ではこれを特に、大きく掲げたいと思います。
ここまで読んで、もしかすると「ナニ~?技術というのは、キツく、つらい練習を何万回と重ねないとダメなんだ!ヌルいことを言うな!」という人もいるかもしれません。
それはそれで、「根性をつける」という点にだけスポットを当てて考えると正しいことなのかもしれませんが、「技術を身につける」という話に及んだ場合、そういった認識は大間違いと断じていいと思います。
筋肉は、運動強度が30%1RM(最大筋力の30パーセントの出力)にさしかかると、筋内圧(筋肉内における圧力)が上昇し始めます。これによって筋肉内部の血管が圧迫されて血流が滞りだします。
そして、運動強度が80%1RMを超えると、筋内圧はほぼMAXとなり、血流は完全に止まります。
技術を習得するためには、肉体のみならず、脳もしっかり活動していなければなりません。
考える、行う、失敗する、改善点を見出す、また行う、失敗する、また改善する…という過程を繰り返すことこそが、先ほどもお話しした力・空間・時間の調整や、各種の適応能力を伸ばすことにつながってくるのです。
しかし、ここにヘンな負荷をかけると、先ほども申し述べました通り、脳に行くべき血液が筋肉にバンバン流れるようになり、もはやモノを考えるどころの騒ぎではなくなります。
そうなると、技術の大脳皮質への書き込みもできませんし、ただただ「ツラいことをこなす」だけの練習に堕してしまうこと請け合いです。
繰り返しになりますが、これまで申し述べてきましたとおり、力・空間・時間の調整力を増す、各種の適応力を磨くといった「技術を磨く反復練習」にあっては、その練習が「こなすこと」が目的となるような強度のものであってはならず、脳にじゅうぶん血液が行きわたる程度の強度を持って吉としなければなりません。
その点から勘案した場合、やはり「ゆっくり動くトレーニング」というのは、こと技術習得に主眼を置いた場合、とても理にかなっており、優れたものだと断言してよいでしょう。
ただ「ゆっくり」を行う際に注意していただきたいのは、きちんとモノがわかった師匠に、きちんと機序を立てた合理的な方法をならったうえで「ゆっくり」を実施すること。
聞きかじりや思い付きによるトレーニングは、「ゆっくり」のみならず、トレーニング全般を通じて絶対にやってはいけないことであり、この点、ゆめお間違いなきようよろしくお願いいたします。
【捨てるには惜しいネタの供養場所】
以下は、今回の「ゆっくり」に盛り込みたかったネタですが、お話の構成上泣く泣く本編から外しました。
でももったいないうえ、自称「ネットの武道評論家」や「神秘系」を黙らせるために非常に有益なネタでもあるので、本編とは関係のないところで書きつけておきます(;^ω^)。
・神秘系やネット評論家は「武術の表現に筋肉はいらない」みたいなことを吐(ぬ)かていますが、人体において「エンジン」に該当する箇所は筋肉しかありません。
また、各種筋肉がパワーを発揮する際に「力点」となる箇所は、各筋肉の停止部分なのですが、この「力点」を意識する作業もかなり難しい。その感覚を身に付けるためには、やはりフィジカルのトレーニングしかありえないのです。
以上のことから、武道・格闘技において筋肉は絶対にあったほうがよいですし、先に申し述べた「力の調整力」を早期かつ円滑に身に付けるためには、フィジカルのトレーニングは絶対にやるべきです(技術練習とは完全分離した状態で)。
ですから、神秘系やネット評論家の言う「筋肉はいらない」という論調は、フィジカルと技術の上達機序をごちゃまぜに考えており、また、人体生理学の無知からくる傲慢に満ち溢れた虚言であるため、一顧だにする価値がないと断言いたします。
・これはネット評論家のほうに多いのですが、ネット評論家は、力のかかり方のベクトル図で理解しやすい技(突きなど)をあげつらい、「あの技の打ち方では、力積が掛かっていない」などと、知ったようなことを言っています。
しかし、このネット評論家は、ベクトル云々以前に必要な、人体のつくりに関する基礎知識を知りません。
まず人骨は、角材のような「直線一本」のつくりをしていません。そして、まっすぐでない骨にくっついている筋肉も、当然直線で描けるようなつくりをしていません。
きちんとした武道・格闘技の技は、それらを踏まえて作られていますから、人体を「ただの棒」として見た場合、力積のかかっていない技と見えても、人体の機序から考えると「う~ん!」と唸るような技がたくさんあるのです。
「物理で理解できる技は効く技、そうでないものは効かない技」というのは、頭でっかちゆえの傲慢であり、そういう主張をする人間は、自らを恥じるべきです。