見出し画像

時の関守

悪夢

人は二つの現実を生きている。
一つは物語(ものがたり)を生きている。
永遠という瞬間(じかん)のなかで、喜怒哀楽を経験し、その感情を味わいつくして、その経験というものが、実は人の心に根ざしたものであるということを知る。
だんだんと、自分の周囲にいる人の心の動きが手に取るようにわかってくる。それは、つまりは自分を知るということ。

もう一つの現実は、その物語から離れて、もう一人の自分に帰るということ。
物語の主人公ではなく、物語の読み手に、作り手になるということかもしれません。

そこではもう、悪夢にうなされ、子供のころに夢見た、何かに追われるというようなこともありません。
例えば、今、世間を騒がせている殺人事件にかかわり、逮捕された若者たちは、今何を思っているのでしょうか?
それこそ(自分がやったことにはまちがいないのですが)悪夢をみているようでしょうね。
そんな悪夢のひとつを、(ある経緯から)聞かせていただいたことがあります。

あるひとりの老婦人がいました。子供はいましたが、病院、老人施設を転々としていました。
ある病院に入ると、同室に古い知り合いがいたのです。
昔、同じ町内にいて、何十年ぶりかの出会いでした。
それなりの、昔話があったようです。
その同じ町内にいたという、もう一人の老人の話し。
それは、私が聞く限り、(これが)悪夢というのかというような話しでした。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る