あと少しで、一年が経(た)とうとしています。
とても若くて、将来が楽しみで、私から見ても、誰から見ても、輝かしい未来が見えている気がしていました。
でも、それは錯覚でしかなかったのですから、私は何をしていたのでしょう。
彼の訃報(ふほう)を聞き、頭が真っ白になりました。
すぐに、彼の両親、祖母に思いをはせれば、わたしの悲しみなど場違いでしかないのだと、自分に言い聞かせました。
長い年月を生きていれば、多くの人の死に遭遇します。
こればかりは、年月を経(へ)た人には敵(かな)わないですね。
あるとき、友人がこんなことを私に言いました。
「霊(みたま)って、働くよ。」と。
友人の言葉が、真実(ほんとう)であることを知ったのは、その言葉を聞いてから、たいして(時間が)たっていないときでした。
今の妻との結婚(すること)をあきらめ、別れてから、二ヶ月くらいたっていたでしょうか。
私はその日、尊敬する祖父の葬式を終え、様々な雑務を終えた夜ふけ、疲れはてて玄関の前に立っていました。
ふと、郵便受けを開けると、今の妻からの手紙が入っておりました。
少しショックが走りましたが、内容は予想がついています。
でも、タイミングが絶妙でした。祖父を送り出した、まさにその日なのですから…
祖父が、彼女と結婚することを後押ししていることが、すぐわかりました。
友人の言葉が、私の頭の中でよみがえっていました。
祖父が私の結婚を、陰ながら心配していたのには気づいていました。
祖父に彼女を会わせられなかったなと、ふと思いましたが、いや、そうじゃないと、思い直します。
そんな後悔はいらなかったね。
「じいちゃんが彼女を導いてくれたんだもんね。」
「霊(みたま)は働くよ。」
悔しいけど、友人の言葉は当たっていたと、認めざるえません。
(最初に書いた)若くして亡くなった彼の霊も、この一年、私の心を強く動かしたのは間違いありません。
まだ、幼さの残る、彼の残された妻も、新しい旅立ちをしてくれるでしょうか。
かれの霊(みたま)が、彼のとてもやさしくて、おおらかな心がきっと、大きな力で後押ししてくれるはずですから…