若いときから、信仰の話しがとてもすきでした。
子供のころ、子供ながらに、
この科学の発達した世の中で、神も仏もいるはずがないと、
勝手に思っておりました。
ですが、あるとき、
信仰のことが書いてある文章を読んで、とても心が動きました。
それまでの自分は、(この世の)正面の景色だけしか目に入ってなかった気がしました。
それがふと、後ろを振り返ってみると、
あざやかで、奥深く広大な風景があったんだという感慨(かんがい)、そして、その言葉どおりに心にしみました。
きっと私は、前世(ぜんせい)でも、何らかの信仰を懸命(けんめい)にしていたような気がします。
もしくは、
そんな生き方にあこがれていたけど、それがかなわなくて、
その心がすごく残っていたというような、そんな気もします。
たとえば、
まったく信仰とは真逆の、
正反対の生き方をしていて、
次もし生まれかわったら、
絶対に信仰の道に進めるように神に願っていたとか…。
(そっちのほうが可能性が高そうですね。)
もちろん、
このように書くと、まっしぐらに信仰の道を進んだように、
誤解されるかもしれませんが、途中道に迷ったり、
この道から落ちそうになったことも多々ありました。
それを、信仰の道に連れ戻してくれたのは妻のおかげです。
神との出会い、
もしくは神を確信できる出来事もありましたが、
それは私にとって、あまりにも予想外すぎて、
想像さえしていなかったものでした。
まだ、私が進もうとした道は完結していないし、
もしこんな私にも、なんらかの使命のようなものがあるとするなら、
それをまだ果たしたとは、いえそうにありませんが…。
それでも、今こうやって振り返ってみると、感謝です。