※PTSD┉心的外傷後ストレス障害
車中で少し話しをしました。
ちょっとした物音が怖いとのこと。
自分は障害者であること。
障害者なのだから、お金をふくめ、保護されるべき、権利があること。
とはいえ、人から下に見られることの屈辱感(くつじょくかん)があるということ。
例えば、生活保護を受けることについての、誹謗(ひぼう)中傷があること。
「そんなこと、誰が言うの?」
私がそう聞くと、彼女はネット世代なのですね。
彼女の言(げん)です。
ツイッターでは、そのことについて、7~8割が中傷にあふれているそうです。
私は少し、違和感をおぼえました。
「〇〇さんは、誰もが中傷して、ひどいことをいっているというけど、ほんとうにそうなの?」
「最低、僕はそう思わないし、もし、本当にそうだとしても、あなたは、そんなあやふやな人たちの言葉を信じるの?
例え、10人中9人がもし、そう言ったとしても、一人の信頼できる人が、そうじゃないと言ったら、その一人の人の言葉を信じるべきじゃないの?」
つい、わたしも少し熱くなってしまっていたようです。
答えは返ってきませんでした。
きっと彼女の頭のなかでは、
自分が経験してきたことと、私の言葉がぶつかりあっていたのだと思います。
わたしの祖父があるとき、一人の人から次のような質問をうけました。
「この世で一番だいじなものとはなんでしょうか?」
祖父は少し考えてから、
「信じるということが、一番だいじだと思います。」
そう、答えました。
わたしはその祖父の言葉を、偶然耳にしましたが、そのとき、その言葉はとても、平凡に思えました。
でも、今私は彼女に、祖父が言っていたと同じ言葉を伝えようとしていることに気がつきました。
わたしの頭の中に、その言葉、その情景がよみがえっていました。
それは、今私の心を曇らせている争いの、唯一(ゆいつ)の答えのような気がするのです。