異論はあるかとは思いますが、人はこの世に、何か目的をもって生まれて来ている。
それは、もしかすると、前世でやりのこした宿題だったのかもしれない。
神様からちょっと、用事をたのまれたのかもしれない。
ちよっと前、確かスーパーボランティアの尾畠(おばた)さんというかたがいましたよね。
誰にもまねできない、その生き方に尊敬こそすれ、ばかにするような方はいないでしょう。
この世を上手(じょうず)に生きることはできても、見事に生きることはなかなかできないということが(尾畠さんを見れば)わかります。
この世を見事に生きるためには、この世のしがらみをいったんは捨てなければならないのだと思います。
チャンスは必ず何度かあるはずです。でも、しがらみがあると難しいでしょうね。
しがらみというか、生存するために人は必死に生きている。
この身体(からだ)を維持しようと、食べるために必死に生きている。
そのことを否定しません。
でも、それは生きるために生きているのであって、生きる目的ではありません。
よく、自分は人に言えない苦労をした。こんな苦労をしましたよ、と言うかたがおりますが…
それはすごいと思いますが、自分のための苦労は、自分がその報酬をうけとっているので、人に言いたい気持ちはわかりますが、褒(ほ)めてもらう必要はないのだと思います。
ただ、自分のためではなく、人のために尽くす行為は、他人からみても見事だし、天の知るところとなるのだと思います。
天は地(を知り)、地は人なりと聞かせていだだいたことがあります。
天から見て、天から知られるようになったとき、または、天から知られるぐらいの行動によって、人はその目的(使命)を果たしたと言えるのかもしれません。
この世に生まれてきたという、その目的です。