私には、ほぼほぼ同じ時間を共有した、とても深い縁を感じるいとこがいます。
性格が合うとか、一緒にいて、楽しいとかというわけではありません。どちらかというと、性格は合わないほうだと思います。
ですが、人生の大部分の重要な部分を共有しているという意味では、とても深い縁があります。
そのいとこに、とても大切な言葉を伝えなければなりません。
いとこがそれを、拒否し、怒ることは十二分にわかっているつもりです。
わかりすぎるぐらいわかっていたからこそ、今まで、そのことには触れないようにしてきました。決裂することがわかっていますから、そのことには触れない。
私がそのことに触れなくても、私が困ることもありません。
だから、そのままにしていれば、波風をたてずに、平穏に済ますこともできます。
でも、「そうじゃないよ。
お前は、たましいに忠実に、たましいの声を聞きながら、行動すると誓ったな。宣言したな。だから、そのように行動しなさい。」
そういわれていることが、すぐわかりました。
結論から言いますと、このたましいのパートナーともいうべきいとこと、心が通じることはありませんでした。
一瞬にして、心が通じるという奇蹟のような出会もあれば、何十年もの人生を共有していても、心の距離が埋まることはないというのもあります。
天は私に、何を期待していたのでしょう。
私なりに、心を通じあわせようと最大限の努力をしましたが、だめでした。
私の宣言に、天は一つの解答をくださいました。
たましいと共に生きるということは、それまでの義理や体裁(ていさい)、しがらみ、建前(たてまえ)をすて、何も持ってない裸の自分として生きること。
形だけの親しさや、付き合いを捨て、たましいの部分でのまじわりだけを持とうとすること。
あきらめるのは、まだ早いのかもしれません。
「これは、お前への課題だ。宿題なのだよ。」
「難しいかもしれないが、それを解くことが、お前の残り少ない人生をどう生きたらいいのかの答えとなるのだよ。」