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時の関守

たましい

先日、(私がフォローしている)フォロワーさんの記事を読ませていただいておりましたら、こんなことが書かれていました。
「自我は、ほっとけばいいということに気がつきました。」

これには少し、解説がいるかもしれませんね。(私の解説なんて書きましたが、まちがってないことを祈ります。😅)

人は誰もが、自分の自我というものに、悩まされています。
簡単にいえば煩悩(ぼんのう)ですが、たとえば、誰もがコンプレックスを持っています。
あんな完璧な人が、という人にもあります。
人は誰もが弱いものです。
強そうにみえる人ほど、表面上の強さと裏腹に、弱い心をかかえているものです。

私も立場上、強く思われがちですが、いつも、自分のあまりの意思の弱さに泣いています。
まあ、唯一(ゆいつ)の効能といえば、ないこともありませんが…
自分の弱さに気づけば、人をそんなに責められないですよね。
少しおおらかな気持ちで、人を許すことができるかもしれませんね。

スピリチュアルを少しでも、かじった人は、(スピリチュアルでは)自我(エゴ)が一番の悪者になっていることに気づくはずです。

でも、よく考えてみて下さい。
スピリチュアルでどんなに、諸悪の根元のように言ったとしても、(人が)自我を捨てることなんて、できると思いますか?
自我って、ほぼほぼ、自分そのものでしょう?
どんなにいやな自分であっても、それ意外の自分は他に見あたらないのに、捨てることなんてできませんよね。

私はずっと、そう思っていました。思っていたというか、無意識にそう思っていましたね。
そこが盲点でした。

ですから、最初に書いたフォロワーさんの言葉、「自我に気がついたら、ほっとけばいいじゃん。」は、見た瞬間、はっとさせられました。











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