こころがざわっとする。
なにか敬虔(けいけん)な気持ちになります。
この世は、夜にはじまった
ときいたことがあります。
この世のはじまりには、
今この世を支配している
法則はもちろん、
物質(もの)もない
光もなく、暗闇があるばかり。
何度か、電灯のない、
真っ暗のなかを、車で走ったことがあります。
ほんとうの暗闇に、
人間は恐怖を覚えます。
そこに
月さまがあらわれると、
その明るさに驚きました。
その月さまの光がだんだんと薄れてくるころに、
日さまの光が、少しずつさしこんできました。
いつのまにか、新しい世界が誕生していました。
このように、
暗闇だった世界に、
月さま、日さまという親があらわれました。
親があらわれることによって、
この世、人間がうまれ、
人間の住む世界ができました。
親がつくってくれたこの世に住む人間が、
その親のこころを推し測(はか)ろうとすることは、
当然なのかもしれません。
子どもはいつか、
親がどんな気持で、
自分を育ててくれたのか、
わかるときが必ずあるのですから。
そのときの
親のこころがすべての発端(ほったん)です。
その発端の心から人間がうまれ、
この世が生まれたのであれば、
その心を知ろうとすることは、
人間にとって、
ほかの何事にもかえがたい、
大切なことになります。
自分の親が亡くなった年に、
いつの間にか、
自分も近づいていることに、
今この文章を書いているとき、気がつきました。
以前にも書きましたが、
母が望んでいたであろうこと、
その期待に、
私は何も答えていない、
そう思ったとき、とてもあせりました。
母はきっと、「そんなことはないよ。」と言うだろうことも推測できます。
でも、もしかしたら、「少しはがんばりなさい。」
とも、言うかもしれません。
「あなたはまだ、やりきってないでしょう…。」