tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

「立ちっ放し」の仕事は「歩きっ放し」の仕事より辛そうだ

2017-05-25 14:49:11 | 雑感
守衛さんなどを見ていると思うのだが、
「立ちっ放し」の仕事は「歩きっ放し」の仕事より辛いよなあと思う。
「歩きっ放し」には相当耐えられる自信があり、ノンストップでも2、3時間は行けるが、
「立ちっ放し」はものの20分くらいで嫌になってくる。

体力ばかりの問題ではない。
「歩きっ放し」は足のみならず全身に動きをかけ、解放させられる。
それに対し、「立ちっ放し」は全身の動きを止め、固めねばならない。
また、「歩きっ放し」は次々と風景が変わるのに対し、「立ちっ放し」は風景が全く変わらない。

…まあ、「歩きっ放し」の仕事ってなんだ?ってことですが。
チラシのポスティングがそれに当たるだろうか。
歩くのは苦にならないが、チラシ投函を毛嫌いする家が多そうだから、
住人に咎められるリスクには常に怯えてなきゃならないね。
どこかに、「純粋に歩くことが目的」の仕事はないだろうか?

「四国八十八カ所霊場の先達」というのが思い浮かんだ。
もちろん、好き勝手に歩けばいいというのではなく、「引率」という使命を帯びることになるが。
悪くない。こういう仕事に憧れる。
霊験あらたかな仕事で、人格的にも一皮剥けたらいいと思う。


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アルツハイマーにならないために(昨晩の「ガッテン!」をまとめると)

2017-05-19 11:56:45 | 雑感
脳内の老廃物質「アミロイドβ」が蓄積されてしまうのがアルツハイマーの原因。
これを排出させるには「質のいい睡眠(熟睡)」が有効。
弱った神経細胞を活性化するホルモンを分泌させ、アミロイドβの分解酵素を増やすには、
「有酸素運動」「コミュニケーション」「知的活動(=頭を使いながら指先を動かすこと)」が効果的。
食材では緑黄色野菜、ブルーベリー、ナッツ、魚が有効。
ポリフェノールが含まれるワインも良い。菓子やバター、ファストフードは良くない。
脳の血管を丈夫に保つ意味では、「減塩」も重要。


「ガッテン」は役に立つ番組だが、いかんせん、勿体をつけた小道具使いや、
いちいちスタジオゲストにリアクションを求めるのがまだるっこしい。
(これが「噛み砕いて伝えている」ということなんだろうけど)
早送りで要旨だけ捉えるようにして見るのがいいようだ。


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不気味なおばさんの家

2017-05-17 17:30:42 | 雑感
自宅への帰り道、いつも使うわけではないがたまに通る道沿いに、不気味なおばさんの家がある。
僕がその道を通る頻度など相当低いのに、しかも夜しか通らないのに、
かなりの確率で、そのおばさんが家の玄関先に出ているのに遭遇するのだ。

遭遇の頻度からして、おばさんは相当な長時間を玄関先で過ごしていると思われる。
掃除や植物の手入れをしているわけでもなく、座って一服しているわけでもなく、
ただ「いる」のである。しかも季節を問わず、年中。

家を見やれば、いつも、2階の台所と思しき場所に非常灯のような灯りが1つ点いているだけ。
あとは真っ暗。他の家族の気配もない。

その家の前には車や自転車が置かれているが、どれも微妙に敷地から路上にはみ出している。
はみ出した輪郭部分に、こまごまとした鉢植えやレンガを置き、箒を立てかけている。
どうも「境界線」を主張しているらしい。

道路のセットバックで不当に自宅の敷地が奪われた…とでもいった意識がそうさせるのだろうか。
自分の「領土」への強い拘りが、彼女を暗闇の中での立哨へと駆り立てているのだろうか。

不様な姿の「境界線」。
しかし、おばさんの正気と狂気の「境界」にこそ、なによりも危うさを感じてしまう。


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電車で痴漢の疑いをかけられないためには

2017-05-16 16:11:56 | 雑感
“痴漢”「自分じゃない」線路を逃走、死亡

15日夜、横浜市の東急田園都市線・青葉台駅で、痴漢行為を疑われた男性がホームから飛び降りて逃走し、電車にはねられて死亡した。田園都市線は帰宅ラッシュ中で、約2万3000人に影響が出た。

警察によると15日午後8時20分頃、横浜市の東急田園都市線の青葉台駅で、30代の男性が「痴漢行為をした」と30代の女性に訴えられ、電車から降ろされた。駅員が話を聞いていたところ、男性は駅員の手をふりほどき、ホームから飛び降りて線路上を逃走したが、入ってきた電車にはねられ死亡した。

目撃した人「男の人と女の人が組み合っているような感じで、『痴漢』みたいな感じで女の人が助けを呼んでいた。(男性は)『自分じゃない』みたいな感じの話を叫んでました。走り出して線路に落ちた」

東急田園都市線はあざみ野と長津田の間の上下線で2時間近く運転を見合わせた。帰宅ラッシュの時間帯だったため、あざみ野駅はバスやタクシーを待つ人であふれ、一時、混乱した。

東急電鉄によると、上下線合わせて57本が運休し、約2万3000人に影響が出たという。(日本テレビ)


ついに死者が出たか。「痴漢の疑いをかけられて線路に飛び降りて逃げて」の結果として。

痴漢の疑いをかけられて駅事務室に連れて行かれたら最後、たとえ物証が揃わなくとも、
被害者の告発だけで、エスカレーター式に警察に引き渡され、起訴されるという。
起訴されたら、自分で無実・無罪を証明するのは極めて難しい。
「やった」こと(事実の存在)を証明するのに比べ、
「やっていない」こと(事実の不存在)を証明するのは至難の技だからだ。
「赤いカラスが存在する」と証明するには、赤いカラスの写真が1枚あれば足りる。
しかし、「赤いカラスは存在しない」と証明するには、
地球上のすべてのカラスを捕捉しなくてはならないのだ。
「やった」ことの証明には第三者の「やったのを見た」という目撃証言があれば成立するが、
第三者の「やったのを見ていない」という証言では、「やっていない」ことの証明にはならない。
「やっていないのを見た」という証言でなくてはならないのだ。
しかし、「やっていないのを見た」という状況が、いったいどのように成立しうるだろう?
他人の体の動きを死角(=空間的空白)なく、また隙(=時間的空白)なく見ている他者など、
いるはずがないのだから。

しかも、現在の司法制度では、被害者は痴漢の物的証拠を提示しなくてもいいことになっている。
「この人にやられました」という証言ひとつさえあれば、有罪に持ち込めるのだ。
それゆえ、「思い込みや勘違い」でその人を犯人にしてしまう危険性があるどころか、
「意図的に罪をかぶせる」ことさえ可能となってしまう。

こと痴漢冤罪に関しては、容疑者は被害者に対して、圧倒的に不利な立場に立たされている。

この立件・有罪まっしぐらのエスカレーターに乗らないためには、
「その場から走って逃げるしかない」と、複数の弁護士がテレビで言っていた。
弁護士だって決して無責任にそのような発言をしているわけではないだろう。
それがあながち極論とも言えないまでに、残念ながら、そうした司法制度の実情があるということだ。

では、痴漢の疑いをかけられないためには、どう振る舞えばいいか。

1、とにかく混雑時間帯、混雑車両を避ける。
諸悪の根源は殺人的なラッシュにあるのである。
人と人が密着する必然性がなくなれば、痴漢自体も行われにくくなるし、
もし痴漢が行われたとしても、手口の現認がしやすくなる。
混雑には近寄らないよう、時間や車両をできるだけずらす。
僕は行きは始発電車に座るようにし、帰りは混雑する乗換駅・乗換車両を避けるため、
30分ほど余計に時間がかかるが、迂回した経路で帰ることにしている。
この迂回経路だと着席できる確率が高いため、じっくり読書できる時間と割り切っている。

2、車内では中途半端な場所に立たない。吊革を確保せよ。
「中途半端な場所」とは、具体的には、吊革や手すりのつかめない場所、
電車の揺れでよろけ、他の人の体を支えとしなければ立てないような場所のことである。
通路の中ほど、出入口付近の中ほどと言ってもいい。
こういう場所に立っていいのはせいぜい一駅間にとどめる。
次の駅に着いたら、吊革や手すりがつかめるポジションに移るか、
それができないなら、周りの人間を「入れ替える」。
立ち位置をずらしたり向きを変えたりして、同じ人間と密着し続けている状況を作らない。
なるべく座席側の吊革を確保するようにし、右手で吊革を持ち、左手で本を読む。両手をふさぐ。
座席側の吊革下に立つということは、自分の前半身が誰かと密着することもなくなるということである。
僕が帰りに迂回経路を取っているのは、通常の経路だと混雑が激しすぎて、
この「中途半端な場所」に立たされ、身動きが取れなくなる可能性が高いからである。
「ただ立っているだけ」のこうした状態は、痴漢の疑い云々を別にしても、
時間の過ごし方として無駄だと思っている。
30分余計に時間がかかっても、読書の時間になるなら有意義になる。

3、もしも捕まっても決して「逆上」しない。
不運にも痴漢の疑いをかけられて女性に捕まったとしても、決して逆上してはならない。
「痴漢など到底するはずもない冷静な紳士」をどこまでも徹底して装い続ける。
怒りも見せず、焦りも見せず、相手を見下げることもなく、
ただただ「自分はやっていない」ということを淡々と主張する。
声は絶対に荒らげずに、相手に聞こえるギリギリのボリュームまで下げる。
「逆上しているのは相手の側であり、自分は露ほども動じていない」という状況を、
相手のみならず、周囲にも見せつける。
自分を不利にさせない空気を醸成するよう努めるのだ。
皮肉な話だが、本物の痴漢ほど、こうした「捕まった時のシミュレーション」を念入りに行っているだろう。
そしてふてぶてしく「やってませんよ」と、脈ひとつ上げずに居直れるのだ。
それに対し、痴漢行為など考えたこともないという人は、そんなシミュレーションも当然していないから、
いざ捕まると思いっきり動揺し、狼狽し、逆上し、あらん限りにボルテージを上げ、
大胆にも「駅員を突き飛ばして線路に飛び降りて逃げる」ことすら辞さなくなるのだ。
「もしも捕まったらこう振る舞う」というシミュレーションをしっかりしておき、
いざ「本番」を迎えたら、そのシミュレーションをきっちり演じ切る覚悟を持っておこう。

しかしね…繰り返すが、痴漢行為が起きるのは、「殺人的ラッシュ」、つまり、
「人が多すぎる」ことに起因するのは間違いないのである。
これだけ情報化が進んだ社会で、物理的に人間たちが一極に集中する必要が本当にあるのだろうか?
いい加減、日本人は、議論のステージを、「痴漢防止の対症療法」から、
「東京の一極集中解消」へ、一段上げていくべきじゃないんだろうか。


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消費が落ち込んでいるのは「贈り物をしなくなったから」という仮説

2017-05-11 18:16:49 | 雑感
日本の消費が弱まりつつある理由のひとつは、
「人へ贈り物をする」という習慣・発想がどんどん廃れているからだと思う。
中元・歳暮しかり、バレンタインデー・ホワイトデー・クリスマスしかり。

ハロウィンが新しい年中行事として近年浮上してきたのは、「仮装」という、
ナルシスティックなまでにベクトルが「自分」向きのイベントだからだろう。
主役はあくまで自分で、人に有形無形の何かを「贈る」という発想がそこにはないばかりか、
むしろ人に「お菓子をくれ」とせがむイベント。

「虚礼廃止」は極めて合理的な考え方だ。
好きでもない相手にお義理で贈り物をする必要なんかないに決まってる。
でも、好きな相手になら、奮発してプレゼントをしてもいいんじゃないか?
今はそれすらも徐々になくなってきている気がする。

そう思ったのは、僕がある人たちへの贈り物に、1枚5400円もするバスタオルを選んだから。
自分用にだったら5400円もするバスタオルなど勿体なくて絶対に買わない。
所詮は「水気を拭き取る」だけの用途なんだから。
人へのプレゼントだと思うから、値が張っても買えるのだ。
自分用ならスーパーで量販品で決めてしまうような食材も、
人へ贈るものなら、デパ地下で「逸品」を買おうと思う。
値が張るものを買う、そうして消費が、経済が動く。

思えば僕がふだん使っているバスタオルなど、もう「20年モノ」ばかりである。
しかも全部もらいもの。
亡くなって久しい祖母が、敬老祝として市からもらったもの(が僕のもとに流れてきて)。
大学時代のバイト先でたまたま「創立○周年」とかでもらったもの。
入社間もないころ借り出された野外イベントで、急に雨が降り出して買って来いと言われて
コンビニで買ったもの。
仕事でノベルティを作った店で粗品としてもらったもの。
…そんなのばかりだ。

自分はケチである。
自分に対してお金を使おうとは思わない。でも、人に対しては見栄も生まれる。
いや、見栄などというひねくれた見方をせずとも、
単純に「相手に喜んで欲しい」という素朴な気持ちは湧く。

…僕は人とのコミュニケーションが狭く、浅い人間である。
そういう人間には「贈って・贈られて」の機会も少ない。
たまにそういう機会に自分が居合わせると、こんなことを考えるのだ。


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