tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

町田散歩

2017-06-10 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
12:22 小田急線で町田へ。駅を出て、お昼ごはんを食べるところを探している。町田駅は小田急線とJR横浜線が十字に交差しており、町もそれによって4分割されている。つまり「駅前」が4か所ある。どこを町の「核」とみなしていいのかがわからず、昼食の店もどの辺にあたりをつければいいのかがわからない。今、連れがスマホで店を検索している。その間に、僕はこうして踏切で電車の写真など撮っている。

西口の「セモリナ」でパスタランチ(僕は鶏肉の醤油バター味「ジャポネーゼ」)を食べた後、前から一度行きたいと思っていた「町田市立国際版画美術館」へ向かう。谷を下ったところにある緑濃い「芹ヶ谷公園」の中に美術館はある。

13:34 美術館の玄関。開催されている企画展は「横尾忠則 HANGA JUNGLE」。珍しいことに、展示されている作品はどれも「撮影OK」だった。自分のカメラに小さく収めても仕方ないから僕は撮らなかったが。15:00からは「ギャラリートーク」が行われ、最初は耳を傾けていたが、あまり引き込まれる話ではなかったので、途中からパスした。横尾忠則作品は別の美術館でもたびたび目にしていて、「再会」した作品も多かった。個性と気迫でブレークスルーし続けている作家だとあらためて思った。

横尾展を見た後、美術館のカフェで休憩し(クリームあんみつ)、常設展を見た。版画は絵画と異なり、「刷り上がり」という偶然に委ねる工程を経るためか、絵画の持つ「手の跡」の生々しさから少し離れられ、それで安心して見ていられるところがある。
16:03 美術館を出て芹ヶ谷公園。柱の上から吹き出した水が流れ落ちて、その重みで2本の板がシーソーのように動く。バランスが不安定なのか、シーソー運動には法則がなく、そこが面白い。ししおどしのようにひととおり水が溜まってから動くので、水は一気にバッシャーンと落ちる。下にいる水着や下着の子どもたちは大喜びだ。連れとは公園を出たところで別れる。谷底にある公園から、片や西に、片や東に登っていく。坂の途中で振り返ると、ちょうど向こうも振り返った。大きく手を振り合う。

坂を登って台地に上がったと思ったら、また坂を下りていく。小田急線の線路が現れる。傾斜一帯に家々が広がる。

電車の写真を撮るにはこのカーブがちょうどいいアングルなので、しばらく電車を待つ。電車を待っているこの時間というのは、無用の時間ではあるけれど、忌避すべき時間だとも思わない。

ロマンスカーも来る。僕が子どものころからあるこの車両もまだまだ現役だ。

16:57 玉川学園前駅を過ぎる。この後、玉川大学の敷地に当たってしまい、線路沿いに進むことができなくなり、大きく迂回を強いられることとなる。

気がつくと横浜市に入っている。定規を並べたような、無機質に徹した外観の団地が現れる。団地脇のスーパーでホイップあんぱんを買い、歩きながら食べる。さっき美術館でクリームあんみつを食べたのに。歩き疲れがこういう食べ物を欲するのか。行き交うバスの行先が青葉台とかこどもの国とか十日市場とか、小田急沿線を歩いていたつもりが、いったい自分はどこに向かっているのかと思う。

17:36 TBSのドラマのエンドクレジットでよく目にする「緑山スタジオ」の前。中で活動の気配は特に感じられないけど、駐車場には車がたくさん停まっていたから、倉庫のような外観のあのスタジオの中で、ドラマ撮影が熱く繰り広げられているんだろうか。

玉川学園前からわずか一駅なのに、山に阻まれて迂回を強いられ、次の鶴川の駅が実に遠い。未開発の丘陵地帯が広がっている。

鶴川、柿生を過ぎ、今日のゴールに決めていた新百合ヶ丘に近づく。日暮れとともに僕の気持ちにも影が差してきて、歩くのに倦んできた。
18:34 カメラを取り出すモチベーションもすっかり下がっていたのだが、この異様な「擁壁断崖住宅」を目にして、最後の1枚。街を歩いているとつくづく思う。どこにでも、どんな家にでも、人は住んでいる。今日歩いたのはおよそ13km。


鉄道沿線歩き~西武多摩川線

2017-05-05 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
<鉄道沿線歩き>
関東鉄道竜ヶ崎線(2013.3.10)
西武多摩湖線・山口線・狭山線(2013.3.17)
静岡鉄道(2013.4.14)
都営大江戸線(2013.4.28)
相模鉄道本線(2013.5.3)
都電荒川線(2013.5.12)

12:30 中央線、武蔵境駅南口。ここから西武多摩川線(8.0km)沿いに歩く。まずは駅の北口の商店街を歩き、何か食べたいものがあったら昼食をとろうと思ったが、それほど食欲もなかったせいか、店に入ることはなかった。道すがら何か食べたくなったら食べればいいや。

駅からわずか数分歩くだけで、立派な「生産緑地」が広がる。やはり都下、武蔵野。23区とは違う。

住宅街の落ち着きぶり、ゆとりも、23区とは違う。もちろんこちらの方が好ましい環境だ。

13:03 新小金井駅(武蔵境駅から1.9km。以下、数値は武蔵境駅からの路線距離)。駅前にコンビニすらなく、静か。駅という機能だけが淡々と住宅街の中にある。

向かいのホームには踏切で渡る。ローカル色が濃い。でも、跨線橋を昇り下りさせられるよりよほど人間的。

駅からしばらく歩くとコンビニがあったので、シュガーマーガリントーストと、マグロわさび醤油・ツナマヨネーズのおにぎりを買う。以前歩いた多摩湖線と同じく、多摩川線の車両の塗装は白一色。なぜ西武鉄道伝統の黄色を捨てて、この不気味な“白装束”を選んだのか、そのセンスは理解に苦しむ。

跨線橋があったので上がってみた。調布飛行場に着くのだろう、飛行機が高度を下げながら横切る。線路の敷地を見るに、この多摩川線はゆくゆくは複線にする目論見もあったのかも知れないが、全線単線である。

13:24 武蔵野公園。先ほどまで台地の切り通しの中を走っていた電車が、今は川を高めの鉄橋で跨いでいる。つまり、土地がいきなり下がっているということ。「国分寺崖線」がわかりやすく現れている。先ほど買ったパンとおにぎりを食べる。

公園の中を流れる野川。水量はずいぶん心細い。ジャンプして飛び越えてしまえる(事実、この後そのようにして対岸に渡った)。

菜の花と電車。電車は1時間に5本。つまり上下合わせて10本。単線にしては結構な頻度で来る。

公園の一角はバーベキュー場になっている。この新緑の下でのバーベキューは爽快だな。

畑。苗木が整然と並んでいる。正月飾りにでも使いそうな樹種だ。具体的に何かはわからないんだけど。

14:14 多磨駅(4.1km)。多「摩」ではなく多「磨」なんだよね。

多磨霊園の最寄駅。だから駅前にもこんな看板が目立つ。

畑越しに電車を見送る。車通りの少ない住宅街の道を歩いているので、実に静かなものだ。

白糸台駅には車庫がある。電車が留置されている。今線路に出ているのは、多分3編成だと思う。

車庫の敷地に投げ捨てられている部品の山の佇まいが、なんとなく気に入った。このそばにある踏切の脇には何かの石碑が立っているのだが、その前に跪いて熱心にメモを取っている詰襟制服の男子がいた。その傍らにはテントのような大掛かりな装備の荷物も置かれており。あの男子は何をしていたんだろうか?僕がもう少し気さくな人間なら、話しかけていたのだが。

14:39 白糸台駅(5.5km)。どの駅の駅前も、駅前だから開発しようとか、ここで商機を窺おうという気配はないのだった。駅を出るとすぐに静かになる。駅自体も、フラッパーゲートを備え付けたような大掛かりな自動改札はなく(代わりに、パスモをタッチさせるスタンドがある)、ラッチと言うんだろうか、駅員さんが中に立つ「囲い」がまだ現役で使われているのだった。

白糸台駅は京王線の乗換駅ということになっていて、数分歩いたところに京王線の武蔵野台駅がある。10両編成の列車がビュンビュン走り去るところ、支線の多摩川線に対して、こちらはやはり「本線」なのだなと感じさせる。ただし、武蔵野台駅には各駅停車しか止まらないが。

のんびりと歩いている。電車ものんびり行く。

「危険です 通らないでください」とは、この「線路の下」のことを指しているんだろうか?高さは1mくらいか。「通らないで」と言いつつも、特に塞がれているわけでもなく、身を屈めれば通れる状態になっている。さすがに真上を電車が通過している時には入りたくないが。線路の向こう側に行きたかったので、通ってしまった。

多摩川競艇場。ボートのブオンブオンブオン…というエンジン音が響いている。そばには中央道が通っていたり、上空を調布飛行場への飛行機が比較的低空で行き来していたり、このエリアは何かと騒音の種がありそうだ。

15:23 競艇場正面から競艇場前駅(7.0km)へとつながるスロープ。登りきると、多摩川の向こうの丘陵地帯が見えた。

競艇場の周囲を回り込むような形で線路は南から西へと方向を変える。

15:40 終点、是政駅(8.0km)。この駅前もやはり静か。

駅から少し歩くと多摩川に出る。是政橋。都心から多摩川に延びた東急の旧玉川線もそうであったように、この西武多摩川線も多摩川の砂利採取を目的として敷設されたという。

多摩川の流れ。下流方向。反対側を見やると、カーブで西から北へと向きを変えて多摩川の鉄橋にさしかかる南武線の電車が見える。南武線はまだ6両で走ってるんだな。

是政発15:57発の電車で帰る。都心から比較的近くでこれだけローカルムードが味わえる路線、なかなか素敵だ。この後、武蔵境で電車を下りてから吉祥寺まで歩いたので、今日歩いたのは合計16km。


箱根1泊旅行 2日目

2017-03-05 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
朝、ホテルから見えた富士山の頭。空が澄んでいる。温泉なら畳タイプの旅館が自分の好みなのだが、今回はベッドタイプのホテルに泊まった。都心にも系列ホテルがあるこのホテル、サービスがしっかりしていたので良かった。

バスで桃源台に出て、箱根ロープウェイに乗る。乗るのは10年以上ぶり。ゴンドラがリニューアルして大型になっている。
9:46 富士山がよく見渡せる。今まで何度か乗っているこのロープウェイだが、こんなに富士山が見えるのだと気づいたのは初めてかも知れない。

9:57 大涌谷。昔はもっと噴煙のそばまで行けたはずだが、火山活動の活発化で、今行けるのはここまで。朝食をたっぷり食べてきたばかりでお腹もこなれておらず、名物「黒玉子」には手を出さず。

富士山の眺めが見事。

谷底からゴーッ…とジェット音のような轟音が鳴り続けており、あれは火山ガスが噴出する音だろ、いや何かの機械の音でしょ、と論争になる。

本当は大涌谷から次の早雲山までが、噴煙立ち上る谷を相当な高度で越えていくロープウェイのハイライト区間なのだが、あいにく保守点検とかで長期運休中。桃源台へ引き返す。昨日登った金時山が、別名「猪鼻岳」の名の通り、ポコッと膨らんだ頂を見せている。

海賊船に乗船。今日は小田急の「箱根フリーパス」で乗れるだけの乗り物を堪能するつもり。子どもの頃の「箱根フリーパス」では、確か海賊船には乗れず、ごく普通の見た目の遊覧船にしか乗れなかった。だからと言って特に悔しかったという記憶もないが。子ども心にもこのキッチュなデザインには嘘臭さを感じていたのだろう。陽射しがあるので、デッキに出ていても寒くて堪えきれないということはない。船上には外国人観光客が多かった。
【桃源台10:50―(箱根海賊船)→11:30元箱根】

【元箱根11:50―(東海バス)→12:09三島大吊橋】
バスで箱根峠を越えて静岡県に入り、「三島スカイウォーク」へ。同じバスに乗ってきたおばさんが運転士に「このバスは“スカイツリー”に行きますか?」と間違えて尋ねていたのがおかしかった。運転士は平然と「行きますよ」と返事をしていたが。「ただの橋」と言えばその通りなのだが、結構な人出があり、駐車場入り待ちの車が列をなしていた。

全長400m、歩行者専用としては日本一長い吊り橋だそうだ。渡橋料は1000円(箱根フリーパスの割引で900円)。富士山の眺めはよい。この橋を渡ってどこか別の地へ行けるわけではなく、歩いて往復するだけ。A地点とB地点との短絡移動のために作られたのではない、「橋を渡る」という目的のみに作られた、いわば「純粋な吊り橋」。これが公共事業なら用途には首を傾げてしまうところだが、作ったのは地元・三島の民間企業みたいだ。
【三島大吊橋13:06―(東海バス)→13:32元箱根】

三島から再び箱根へ。さてどうしようと思ったのだが、小田原や湯本の方までバスに揺られ続けるのも退屈そうだし、遊覧船、ロープウェイ、ケーブルカー、登山鉄道と乗り継いで、帰途につくこととする。元箱根の遊覧船乗り場で、待ち時間にバニラと抹茶のミックスソフトクリームを舐める。
【元箱根14:10―(箱根海賊船)→14:50桃源台―(箱根ロープウェイ)→大涌谷】
大涌谷では早雲山へのロープウェイ代行バスの待ち時間があった。その間に、図らずも、午前中には食べられなかった「黒玉子」を食べることができた。
【大涌谷―(代行バス)→早雲山15:32―(箱根登山ケーブルカー)→15:42強羅】
子どもの頃は、夏休みの旅行というと毎年箱根だった。親父の会社の保養所が箱根にあったから。このケーブルカーの「公園上」という駅が最寄駅だったはずだが、とくに思い出を呼び覚ますようなよすがは見つけられなかった。

【強羅15:53―(箱根登山鉄道)→16:32箱根湯本】
来たのはロングシートの車両でがっかり。前回と同じだ。ただ、床は木張り、壁はペンキ厚塗りのものすごく年季の入った車両が、車体をギシギシと右へ左へ傾がせながら山を下りていくさまは、なんだか風情があった。

帰りのロマンスカー特急券は買っていなかった。箱根湯本駅の窓口に並ぶ。電光掲示板を見るとこの後の列車は満席のマークが続き、ならば湯本の商店街で小一時間ほどお土産でも見て時間を潰すか…と言っていたのだが、列が進むうちに、すぐ後に出発する特急がなぜか空席表示に変わる。それに乗ってしまうことにする。売店で慌ただしく駅弁を買い込み、ロマンスカー車中へ。
【箱根湯本16:48―(ロマンスカーはこね36号)→18:18新宿】


箱根1泊旅行 1日目

2017-03-04 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
初めての「新宿バスタ」から高速バスに乗る。この「バスタ」ねえ…誰が設計を主導したんだろう?ベンチが少ないゆえ、みんな立ちっ放しで落ち着かない。コインロッカーコーナーよりも狭いコンビニしかなく、買い物客は有無を言わさず店内通路に並ばされ、「商品をあれこれ選んでからレジへ向かう」という当たり前の買い物ができない。トイレも数が少なくて大混雑。新施設のわりに「最先端の知見を集めて」という感じがせず、素人臭い見込みの甘さが目につく。
9:05発の小田急箱根高速バス。このバスもどうなんだろうなあ…池尻大橋までずっと、優に30分以上も下道を行く。高速道路を下りる御殿場までのトータル所要時間は1時間半だから、「30分以上の下道」というのはずいぶんなロスに感じる。途中、高速道路の渋滞もあって、目的地への到着は1時間遅れた。
12:00 乙女口。ここから乙女峠経由で金時山に登る。このシーズン、富士山がスカッと見えることを期待して。天気は「晴れ」と「曇り」の中間くらい。

12:40 乙女峠。正面が富士山の展望台になっているけど、視界はあと一歩。近くのベンチでおにぎりの昼食。

乙女峠からは尾根歩きとなる。富士山が顔を覗かせる。

箱根山や芦ノ湖を望む。山の中腹、大涌谷の噴煙も見える。

14:00 金時山頂(1212m)。「金太郎茶屋」でお汁粉と味噌汁の休憩。山頂にはここと「金時茶屋」の2つの茶店があるが、山頂に県境があり、「金太郎茶屋」は神奈川県、「金時茶屋」は静岡県に位置するそうだ。茶屋の女将さん曰く、「年間3分の1しか見えない」という富士山、雲に隠れてはいるが見えている。

食後、「金太郎飴」を女将さんからいただいた。

下山は仙石原へ。矢倉沢峠を過ぎ、明神ヶ岳方面へと続く稜線を望む。15:30、麓に下りる。


筑波山1泊旅行 2日目

2017-01-22 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
温泉に1泊すると3回は風呂に入る。1日目の到着後すぐ、夕食後しばらくしてから、そして翌朝の朝食前。
7:38 ひとっ風呂浴びてきた。標高540m余りに位置するこの宿、麓の平野を見晴らす爽快な露天風呂だった。ただ、昨晩深夜、隣接する駐車場に暴走族が集まってきたようで、ブオンブオン…と喧しいので閉口した。いかにも茨城らしい古典的な暴走族には苦笑せざるを得ない。「県の魅力度ランキングで最下位」になるのが嫌だったら、こういうのこそきっちり取り締まればいいのに。

9:05 昨日の歩き出し地点、筑波山神社へ向けて下山開始。ちょうどロープウェイが真上を通過した。

杉などの木立の中をのんびり下りていく。

筑波山神社を通過、さらに山を下る。神社の境内では今日も「ガマの油売り」の実演をしていた。
10:01 今は廃止された「筑波山郵便局」の建物跡。

下っているのは、古からの筑波山の参詣道「つくば道」。両脇に建ち並ぶ家々もどこか風格がある。

ここは山の南側の斜面だ。陽が差して温かい。風もなく穏やか。

いい陽気だから梅も咲いている。つくば山には梅林もあり、2月には梅祭りも開催されるという。

鳥居。だいぶ山を下りてきた。

サボテンってのはなかなか逞しい。こんな石垣の隙間からも、器用に鈴なりに生えてきている。

平地に下り、山を振り返る。ここら辺は遮るものの何もない一面の田んぼで、強風が吹いていたら歩くのがとても苦痛だったろうが、今はのどかそのもの。…それにしてもやっぱり、男体山(左)の峰の方が女体山より高く見えるんだよな。

10:39 神郡の古い町並みを行く。山を振り返る。

火の見櫓も町並みによく合う。

11:07 北条の町の中に入る。立派な石柱の道標が立っている。画面奥が筑波山。

1987年に廃止された「筑波鉄道」の名残。ここは踏切だったと思われる場所。線路跡は今は自転車道として整備されているようなので、今度は自転車で筑波山を目指すのもいいかも知れない。

およそ7.5km歩いた。ゴールの「筑波交流センター」でバス待ちのトイレ休憩。おそらくは市町村合併前には役場だったと思われる建物。だだっ広いが閑散としている。片隅に、なんとも懐かしいロゴの「つくば科学万博」のゴミ箱が。見に行ったなあ、あの万博。開催は1985年だから、もう30年以上前だ。「科学万博を成功させよう」というスローガンの書かれたシールもはっきり読める。よくぞまあここまで綺麗に使い続けているものだ。

【筑波交流センター11:35―(つくバス)→12:11つくばセンター】
つくば駅へ戻ってきた。今まで歩いていた鄙びた風景が一変、開発されたニュータウンの只中。

少しつくばの町を歩いてみる。駅前に広大な公園があるのがいい。この銅像は江崎玲於奈か誰かだったかな。ノーベル賞を受賞した科学者たちが像になっているのだ。ひとつだけ「土台だけで、像がない」空間があり、そこは「未来のあなたのために空けてあります」と。なかなか粋な演出。

芝生や林だけでなく、池もある。公園に面して図書館や美術館もある。なかなか贅沢な空間。

公園の一角には古民家も移築されていた。18世紀末・江戸寛政年間に建てられたと推定される、この地方に典型的な農家建築だという。縁側に腰かけて日向ぼっこをしていたら、「お茶が入りましたから」と係の女性に声をかけられ、温かいお茶をごちそうになる。

「歩車分離」、歩道と車道が立体的に分けられていて、のんびり歩ける。駅の周囲をぐるっとひとめぐりし、最後に駅前の西武百貨店に入ると、2月末で閉店すると貼紙が。開店したのはつくば万博と同じ1985年だという。きらきらとした「未来」を見せていたあの万博がもう過去のものになったように、このデパートももう時代に追いつけなくなったのか。初めて来た店なのに地元民のような淋しさを覚える。
帰りは、つくばエクスプレスではなく、東京駅までの高速バスを選んだ。敷地にロケットが置かれていたりする研究施設のある町をバスは抜けていく。乗客は数名。静かで暖かなバス車中だった。
【つくばセンター13:30―(関東鉄道高速バス)→14:50東京駅】