tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

その避難訓練じゃ意味がない

2017-05-25 15:14:33 | 雑感
会社が入居するビルで避難訓練があったが、実施方法が解せない。
「混雑するから」という理由により、2つある非常階段のうち、自分のデスクから離れた方の階段を使えという。
2つの非常階段は、どちらが使いやすくどちらが使いにくいというものではないから、
この「区分け」は、あくまで便宜的なものに過ぎない。
また、地上出口はいくつかあるものの、使う出口を1つに限定され(これも便宜的に)、
さらに、地上に出てからも最短距離で避難場所へ行ってはならず、ぐるっとビルの周囲を迂回せよという。

これでは現実味が乏しいではないか。
覚えていられるかどうかも怪しげな複雑な迂回経路を歩かされたのでは、本当の非常時に役立たない。
本当の緊急時には正確な誘導アナウンスだって期待できないかも知れない。
煙に巻かれたり、サイレンが鳴り止まなかったりしてパニックに陥りそうになっても、
自分の「体が覚えたこと」を粛々と引き出して、実践に移せるようにならなければ、訓練の意味がない。
この訓練は、「実践」を見据えたものではなく、「訓練を成功させるための訓練」に成り下がっている。

僕は混雑するエレベーターを回避するために日頃から階段で地上へ降りることも多いので、
(当然、ムダのない経路で、だ)それが一番の避難訓練になっていると感じた。
だから、今回の避難訓練には参加しなかった。

日本人って、こういう、手段が目的と化した=自己目的化した行為を、
「みんながそうしているから」と、疑問を抱かずに受け入れてしまう傾向がある気がしてならない。


「立ちっ放し」の仕事は「歩きっ放し」の仕事より辛そうだ

2017-05-25 14:49:11 | 雑感
守衛さんなどを見ていると思うのだが、
「立ちっ放し」の仕事は「歩きっ放し」の仕事より辛いよなあと思う。
「歩きっ放し」には相当耐えられる自信があり、ノンストップでも2、3時間は行けるが、
「立ちっ放し」はものの20分くらいで嫌になってくる。

体力ばかりの問題ではない。
「歩きっ放し」は足のみならず全身に動きをかけ、解放させられる。
それに対し、「立ちっ放し」は全身の動きを止め、固めねばならない。
また、「歩きっ放し」は次々と風景が変わるのに対し、「立ちっ放し」は風景が全く変わらない。

…まあ、「歩きっ放し」の仕事ってなんだ?ってことですが。
チラシのポスティングがそれに当たるだろうか。
歩くのは苦にならないが、チラシ投函を毛嫌いする家が多そうだから、
住人に咎められるリスクには常に怯えてなきゃならないね。
どこかに、「純粋に歩くことが目的」の仕事はないだろうか?

「四国八十八カ所霊場の先達」というのが思い浮かんだ。
もちろん、好き勝手に歩けばいいというのではなく、「引率」という使命を帯びることになるが。
悪くない。こういう仕事に憧れる。
霊験あらたかな仕事で、人格的にも一皮剥けたらいいと思う。