「一流の店は客に感想を聞かない」?
そりゃそうだなと思う。
「何を今さら気づいたかのように言っているのだ」とさえ思う。
シェフがわざわざ席まで出張ってきて、
客と会話を交わすのをよしとする人もいるのだろう。
そういう行為を受けることで、ある種の「虚栄心」が満たされる人もいるのだろう。
僕は必要のないことと思う。
言葉のコミュニケーションというのは、意思伝達が極めて直截的である分、
「無粋」だからだ。
本物のプロフェッショナルなら、裏方に徹し、存在を消しながらも、
客にしっかりと満足感を与えるべきだ。
もしも客との間に直截的な接点が生まれるにしても、
言葉より先に「所作」「物腰」で客を満足させればそれでいい。
「言われたらわかる」のではなく「言われなくてもわかる」のがプロである。
だから、僕がいちばん「プロのいる店ではない」と思う店は、
「とにかくやたらと声を出す」店だ。
たとえば昔入ったある居酒屋。
客が入店するたびに、いちいち店員の全員が全員、店内のどこに居ようとも、
大声で「いらっしゃいませ~」と叫ぶ。
同席の人と会話をしていれば、それが否応なく中断させられてしまうほどの大声で。
こういう店は「店員を軍隊式によく“躾けて”いる」という印象はあっても、
決してサービスの格式が高いという印象は受けない。
あるいは「挨拶」のなんたるか、「活気」のなんたるかを取り違えているか。
電車や駅での無駄なアナウンスの多さにも象徴されるが、
とにかく「言葉をたくさん添える」ことがサービスだ、と勘違いしてる人、
結構多いような気がする。
そりゃそうだなと思う。
「何を今さら気づいたかのように言っているのだ」とさえ思う。
シェフがわざわざ席まで出張ってきて、
客と会話を交わすのをよしとする人もいるのだろう。
そういう行為を受けることで、ある種の「虚栄心」が満たされる人もいるのだろう。
僕は必要のないことと思う。
言葉のコミュニケーションというのは、意思伝達が極めて直截的である分、
「無粋」だからだ。
本物のプロフェッショナルなら、裏方に徹し、存在を消しながらも、
客にしっかりと満足感を与えるべきだ。
もしも客との間に直截的な接点が生まれるにしても、
言葉より先に「所作」「物腰」で客を満足させればそれでいい。
「言われたらわかる」のではなく「言われなくてもわかる」のがプロである。
だから、僕がいちばん「プロのいる店ではない」と思う店は、
「とにかくやたらと声を出す」店だ。
たとえば昔入ったある居酒屋。
客が入店するたびに、いちいち店員の全員が全員、店内のどこに居ようとも、
大声で「いらっしゃいませ~」と叫ぶ。
同席の人と会話をしていれば、それが否応なく中断させられてしまうほどの大声で。
こういう店は「店員を軍隊式によく“躾けて”いる」という印象はあっても、
決してサービスの格式が高いという印象は受けない。
あるいは「挨拶」のなんたるか、「活気」のなんたるかを取り違えているか。
電車や駅での無駄なアナウンスの多さにも象徴されるが、
とにかく「言葉をたくさん添える」ことがサービスだ、と勘違いしてる人、
結構多いような気がする。