この前のブログに、新卒採用の面接官をした体験記を書いた。
これは、何をどう書いても「鼻持ちならなく」なる。
「私=選ぶ人 / あなた=私に選ばれる(選ばれない)人」という立場からの描写が、
自分ではそんな高慢な意識は周到に排除しているつもりでも、
構造上の必然として「上から目線」と取られてしまうからだ。
だから、その記事に「バランスを取る」…と言えば自虐がキツすぎるが、
「選べない(選ばれない)」立場としての自分のことを書こうと思う。
婚活のことだ。
婚活サイトでやりとりをしていた女性と、ゴールデンウィークを前に、終わらせることにした。
何が原因かと言えば、3月上旬からずっと「一度会ってみましょう」と誘いかけてきたのに、
今の今までずっと、応じてもらえなかったからだ。
気乗りがしないということであれば率直に言ってください、ともちろん言ったのだが、
そんなことはない、ただ、タイミングが悪いことに、
今、自分は「プライベートの状況が混沌としている」ので、
新たに人と会っても楽しめそうにないのだ、というのが彼女の説明。
僕に悪友がいれば、この状況についてこう突っ込むだろう。
「それはさあお前、お前とは別に交際している男がいて、そっちがダメだった時のための
“スペア”か“補欠”の扱いを受けてるんじゃないの?」
メールの文面からはそんな感じは受けなかったが、所詮メールはメールに過ぎない。
本当のところはわからない。いや、だからこそ、「実際に会うこと」が大事だと思っているのだが。
3月上旬に初めて「会いたい」と伝えてから以降も、
「しつこい催促」と受け取られないよう細心の注意を払いながら、何度か、
会える時をお待ちしています。都合がつきましたら教えてください。
最初に会うのはお茶だけ、小1時間程度で構いません。平日でも休日でも。
…とアプローチしてみたのだが、彼女の抱えている「問題」とやらは一向に解決しないようで、
返ってくる答えは「今はまだ、ごめんなさい」だけ。
かと言って、その「問題」について納得のいくような説明をしてくれるわけでもないし、
僕とは終わりにしたいというわけでもないらしい。
要するに、理由も、先行きの見通しも示さず、ただ「待って欲しい」の一点張りということだ。
…さて、どうします?
だから、待ちましたよ。3月上旬から数えて、1ヶ月半。
もう充分待ったんじゃないか…?
そう思い始めた矢先に来た最近のメールに、こうあったのが引っかかった。
「自分は完璧主義的なところがあるので、今はまだお会いしても楽しめないと思う」
何だ、「完璧主義」って?
もちろん、言わんとすることはわかる。
自分だって、できるだけベストのコンディションで相手に会いたいと思うもの。
でも、自分の「ベスト」を追求するあまり、
相手との関係を「ゼロ」の状態に留めておいたまま動こうとしない、というのは本末転倒じゃないか?
「完璧主義」のベクトルを、「自分自身」ではなく、「相手との関係」に向ければ、
この「ゼロの状態=完璧からほど遠い状態」を放っておくことはできないと思うのだが。
それに、自分自身のコンディションが「100点」の完璧さに到達したところで、
相手との関係が、冷え切った「0点」に近づいていたら、意味がないと思うし。
現に、1ヶ月半も待ちぼうけを食わされ、その理由も、先行きの見通しも見えない僕は、どんどん白けてきている。
「村上春樹の新刊、出ましたね!」
そんなことも今回のメールには書かれている。つまり彼女は、世事に疎からぬくらいの社会生活は送れているわけだ。
会社にだって通っているだろうし、1ヶ月半の間には美味い物を食べることだってあるだろう。
テレビでバラエティーを見て笑い転げることだってあるだろう。
もちろん、それがいけないことだなんて全然思っちゃいない。
でも、なぜそうした日常の1コマの中で、
「1人の男と会うちょっとした機会」をつくることができないのだろうか?
…もう、潮時だな、と思った。
「価値観の違い」というフレーズは、それを持ち出すと、どんな婚活だって簡単に終わってしまう、
「魔法」の言葉であり、「馬鹿の一つ覚え」の言葉だけど、これこそまさに「価値観の違い」なんだろう。
理由や先行きの見通しを説明しないで、1ヶ月半、まだ面識もない相手を待たせられること。
(僕はこの間、他の相手を探したりもせず、それなりに「筋」を通しているつもりで、
「待つ=無為にかまけている」わけでもないつもりなのだ)
抱えている「問題」がなんであれ、この1ヶ月半の間に、「解決」は難しいかも知れないにせよ、
「折り合い」をつけようとか、「妥協」しようとか、脇に置いて「留保」しようとか、
そうした結論を見出せないこと。そういう「大人の」判断ができないこと。
「完璧主義」にせよ、「楽しめない」にせよ、そのこだわりのベクトルは自分の方にしか向いていないこと。
…これらは僕の価値観には相容れない。
一方、彼女の方も、
「1ヶ月半くらい(あるいはそれ以上)、無条件に待ってくれてもいいはず」
という価値観を持っているのだろう。
その見方からすれば僕などは、「寛容さ」も「思いやり」も持ち合わせていない人間、と映るのかも知れない。
…さて、また振り出しに戻ってしまった。連休明けから、新しい相手を頑張って探さねば。
これは、何をどう書いても「鼻持ちならなく」なる。
「私=選ぶ人 / あなた=私に選ばれる(選ばれない)人」という立場からの描写が、
自分ではそんな高慢な意識は周到に排除しているつもりでも、
構造上の必然として「上から目線」と取られてしまうからだ。
だから、その記事に「バランスを取る」…と言えば自虐がキツすぎるが、
「選べない(選ばれない)」立場としての自分のことを書こうと思う。
婚活のことだ。
婚活サイトでやりとりをしていた女性と、ゴールデンウィークを前に、終わらせることにした。
何が原因かと言えば、3月上旬からずっと「一度会ってみましょう」と誘いかけてきたのに、
今の今までずっと、応じてもらえなかったからだ。
気乗りがしないということであれば率直に言ってください、ともちろん言ったのだが、
そんなことはない、ただ、タイミングが悪いことに、
今、自分は「プライベートの状況が混沌としている」ので、
新たに人と会っても楽しめそうにないのだ、というのが彼女の説明。
僕に悪友がいれば、この状況についてこう突っ込むだろう。
「それはさあお前、お前とは別に交際している男がいて、そっちがダメだった時のための
“スペア”か“補欠”の扱いを受けてるんじゃないの?」
メールの文面からはそんな感じは受けなかったが、所詮メールはメールに過ぎない。
本当のところはわからない。いや、だからこそ、「実際に会うこと」が大事だと思っているのだが。
3月上旬に初めて「会いたい」と伝えてから以降も、
「しつこい催促」と受け取られないよう細心の注意を払いながら、何度か、
会える時をお待ちしています。都合がつきましたら教えてください。
最初に会うのはお茶だけ、小1時間程度で構いません。平日でも休日でも。
…とアプローチしてみたのだが、彼女の抱えている「問題」とやらは一向に解決しないようで、
返ってくる答えは「今はまだ、ごめんなさい」だけ。
かと言って、その「問題」について納得のいくような説明をしてくれるわけでもないし、
僕とは終わりにしたいというわけでもないらしい。
要するに、理由も、先行きの見通しも示さず、ただ「待って欲しい」の一点張りということだ。
…さて、どうします?
だから、待ちましたよ。3月上旬から数えて、1ヶ月半。
もう充分待ったんじゃないか…?
そう思い始めた矢先に来た最近のメールに、こうあったのが引っかかった。
「自分は完璧主義的なところがあるので、今はまだお会いしても楽しめないと思う」
何だ、「完璧主義」って?
もちろん、言わんとすることはわかる。
自分だって、できるだけベストのコンディションで相手に会いたいと思うもの。
でも、自分の「ベスト」を追求するあまり、
相手との関係を「ゼロ」の状態に留めておいたまま動こうとしない、というのは本末転倒じゃないか?
「完璧主義」のベクトルを、「自分自身」ではなく、「相手との関係」に向ければ、
この「ゼロの状態=完璧からほど遠い状態」を放っておくことはできないと思うのだが。
それに、自分自身のコンディションが「100点」の完璧さに到達したところで、
相手との関係が、冷え切った「0点」に近づいていたら、意味がないと思うし。
現に、1ヶ月半も待ちぼうけを食わされ、その理由も、先行きの見通しも見えない僕は、どんどん白けてきている。
「村上春樹の新刊、出ましたね!」
そんなことも今回のメールには書かれている。つまり彼女は、世事に疎からぬくらいの社会生活は送れているわけだ。
会社にだって通っているだろうし、1ヶ月半の間には美味い物を食べることだってあるだろう。
テレビでバラエティーを見て笑い転げることだってあるだろう。
もちろん、それがいけないことだなんて全然思っちゃいない。
でも、なぜそうした日常の1コマの中で、
「1人の男と会うちょっとした機会」をつくることができないのだろうか?
…もう、潮時だな、と思った。
「価値観の違い」というフレーズは、それを持ち出すと、どんな婚活だって簡単に終わってしまう、
「魔法」の言葉であり、「馬鹿の一つ覚え」の言葉だけど、これこそまさに「価値観の違い」なんだろう。
理由や先行きの見通しを説明しないで、1ヶ月半、まだ面識もない相手を待たせられること。
(僕はこの間、他の相手を探したりもせず、それなりに「筋」を通しているつもりで、
「待つ=無為にかまけている」わけでもないつもりなのだ)
抱えている「問題」がなんであれ、この1ヶ月半の間に、「解決」は難しいかも知れないにせよ、
「折り合い」をつけようとか、「妥協」しようとか、脇に置いて「留保」しようとか、
そうした結論を見出せないこと。そういう「大人の」判断ができないこと。
「完璧主義」にせよ、「楽しめない」にせよ、そのこだわりのベクトルは自分の方にしか向いていないこと。
…これらは僕の価値観には相容れない。
一方、彼女の方も、
「1ヶ月半くらい(あるいはそれ以上)、無条件に待ってくれてもいいはず」
という価値観を持っているのだろう。
その見方からすれば僕などは、「寛容さ」も「思いやり」も持ち合わせていない人間、と映るのかも知れない。
…さて、また振り出しに戻ってしまった。連休明けから、新しい相手を頑張って探さねば。