Q.靖国神社参拝は外国からとやかく言われることではない。内政干渉だ。
A.靖国問題の本質は歴史認識にあり、国内問題であると同時に国際問題でもあるのです。
私達は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾し、降伏し、翌1946年11月3日には「戦争の放棄」、「主権在民」、「基本的人権の保障」を基本原理とする日本国憲法を制定し、世界に向かって民主国家となることを宣言し、戦後の再出発をなしました。そして1951年9月9日締結した、サンフランシスコ講和条約において、東條英機元陸軍大将らの戦争責任が裁かれた東京裁判の結果を受け入れました。この東京裁判については、「勝者の裁き」として様々な批判があるのはそのとおりですが、しかし、日本人310万人、アジアで2000万人の死者を出したあの戦争について、誰にも責任がないということにはなりません。誤った戦争遂行した指導者と赤紙1枚で召集され、むざむざと殺されてしまった兵士達との違いは認識されておくべきです。
靖国神社は日本の近・現代史における戦争を、すべて自存自衛のためのやむを得ないものであったとし、東條英機元陸軍大将らいわゆる「A級戦犯」についても、国内法的には戦争犯罪人という者は存在しないと述べるなど、その歴史認識は、植民地支配と侵略戦争について謝罪した戦後50年国会決議、同60年決議など歴代の日本政府の見解とは全く異なるものです。同神社発行パンフレット「私達の靖国神社」は以下のように述べています。
「……日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には『日清戦争』『日露戦争』、大正時代には『第1次世界大戦』、昭和になっては『満州事変』、『支那事変』そして『大東亜戦争(第2次世界大戦)』が起こりました。
戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い命をささげられた、たくさんの方々が靖国神社の神様として祀られています。……また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に、“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた1068人の方々、靖国神社ではこれらの方々を『昭和受難者』とお呼びしていますが、すべて神様としてお祀りされています。」
このように侵略戦争と植民地支配を肯定する特異な歴史認識を体現している靖国神社に、日本の首相が参拝することに対して、諸外国、とりわけ日本の植民地支配と侵略戦争によって蹂躪された歴史を持つ近隣アジア諸国が、「日本はおかしい、謝罪は本心ではなかったのか」と不信の念を持ち、抗議の声を挙げるのは至極当然のことではないでしょうか。
2005年3月1日、韓国の盧武鉉大統領は、日本の植民地時代に起きた「三・一独立運動」の86周年記念式典における演説の中で「日本はすでに謝罪した。我々は日本にくり返し謝罪を求めようとは思わない。謝罪に見合う行動をすることを求めているにすぎない・・・・・・」と述べ、植民地支配はよかったなどと相も変わらずなされる日本国内における「妄言」に警告しました。
このように靖国問題は国内問題であると同時に、近隣アジア諸国との間の国際問題でもあるのです。≪内政干渉だ≫という言い方はおかしいと思います。
■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■
周辺諸国が好戦的な国家となることを防ぐことは内政干渉ではないと思う。日本も北朝鮮の民主化、中国の民主化を促進させるべきです。もちろん、日本の民主主義を成熟させることも大切ですが…。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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A.靖国問題の本質は歴史認識にあり、国内問題であると同時に国際問題でもあるのです。
私達は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾し、降伏し、翌1946年11月3日には「戦争の放棄」、「主権在民」、「基本的人権の保障」を基本原理とする日本国憲法を制定し、世界に向かって民主国家となることを宣言し、戦後の再出発をなしました。そして1951年9月9日締結した、サンフランシスコ講和条約において、東條英機元陸軍大将らの戦争責任が裁かれた東京裁判の結果を受け入れました。この東京裁判については、「勝者の裁き」として様々な批判があるのはそのとおりですが、しかし、日本人310万人、アジアで2000万人の死者を出したあの戦争について、誰にも責任がないということにはなりません。誤った戦争遂行した指導者と赤紙1枚で召集され、むざむざと殺されてしまった兵士達との違いは認識されておくべきです。
靖国神社は日本の近・現代史における戦争を、すべて自存自衛のためのやむを得ないものであったとし、東條英機元陸軍大将らいわゆる「A級戦犯」についても、国内法的には戦争犯罪人という者は存在しないと述べるなど、その歴史認識は、植民地支配と侵略戦争について謝罪した戦後50年国会決議、同60年決議など歴代の日本政府の見解とは全く異なるものです。同神社発行パンフレット「私達の靖国神社」は以下のように述べています。
「……日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には『日清戦争』『日露戦争』、大正時代には『第1次世界大戦』、昭和になっては『満州事変』、『支那事変』そして『大東亜戦争(第2次世界大戦)』が起こりました。
戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い命をささげられた、たくさんの方々が靖国神社の神様として祀られています。……また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に、“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた1068人の方々、靖国神社ではこれらの方々を『昭和受難者』とお呼びしていますが、すべて神様としてお祀りされています。」
このように侵略戦争と植民地支配を肯定する特異な歴史認識を体現している靖国神社に、日本の首相が参拝することに対して、諸外国、とりわけ日本の植民地支配と侵略戦争によって蹂躪された歴史を持つ近隣アジア諸国が、「日本はおかしい、謝罪は本心ではなかったのか」と不信の念を持ち、抗議の声を挙げるのは至極当然のことではないでしょうか。
2005年3月1日、韓国の盧武鉉大統領は、日本の植民地時代に起きた「三・一独立運動」の86周年記念式典における演説の中で「日本はすでに謝罪した。我々は日本にくり返し謝罪を求めようとは思わない。謝罪に見合う行動をすることを求めているにすぎない・・・・・・」と述べ、植民地支配はよかったなどと相も変わらずなされる日本国内における「妄言」に警告しました。
このように靖国問題は国内問題であると同時に、近隣アジア諸国との間の国際問題でもあるのです。≪内政干渉だ≫という言い方はおかしいと思います。
■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■
周辺諸国が好戦的な国家となることを防ぐことは内政干渉ではないと思う。日本も北朝鮮の民主化、中国の民主化を促進させるべきです。もちろん、日本の民主主義を成熟させることも大切ですが…。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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