Q.国立追悼施設を作っても、靖国神社にとって代わることはできない。
A.靖国神社はすべての戦争被害者の追悼施設たりえない性質のものです。
「兵隊さん達は、『靖国神社の庭で会おう』と言って死んで行った。だからどんな追悼施設を作っても靖国神社は残り、これにとって代わることはできない」というようなことが、まことしやかに言われます。
でも本当でしょうか。本当に「靖国神社の庭で会おう」と言って死んで行ったのでしょうか。
「靖国神社の庭で会おう」というのは、本人にとってはもちろんのこと遺族にとっても大変悲しい死という事実を、靖国神社で「祀神」として顕彰し、そこに「現人神」である天皇が参拝するという行為を介して、喜びに変えるための壮大なデマゴーグであったと思います。再び「靖国神社の庭で会おう」なんて云い合う社会を招来させてよいのでしょうか。
「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」と書き残し、1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊員として沖縄嘉手納湾の米機動部隊に突入戦死した慶応大学出身の学徒兵上原良司は、その「所感」と題する文の中で、
「人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対にできなく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は、彼のイタリアのクローチェも言っているごとく真理であると思います。権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には破れる事は明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見る事が出来ると思います。ファシズムのイタリヤは如何、ナチズムのドイツもまた、既に敗れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります」(『きけわだつみのこえ』岩波文庫
と、日本の現状を批判するとともに、自分にとっての死は、先に亡くなって、今は天国にいる愛する恋人に会いに行く途中でしかないと述べています。自由主義者として、「靖国で会おう」がデマゴギーであることを見抜いていたのです。
靖国神社が日本の近・現代史における戦争をすべて聖戦であったとする特異な歴史認識を有していることは前述したとおりです。ところで、諸外国では外国から来た首脳らがその国にある過去の戦争犠牲者を追悼する施設に献花・追悼する習わしがあります。
2000年、沖縄サミットの際、来沖したクリントン米大統領は、1995年沖縄本島南部戦跡地に建立された平和の礎──無宗教であるだけでなく、日・米・韓・台湾など国籍を問わず、また軍人・民間人であるかをとわず、沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前を刻んでその死を悼んでいる──に献花をしました。日本本土にもこれまで多くの外国の指導者が訪れています。しかし、靖国神社を参拝した首脳はほとんどいません。
ブッシュ米大統領、ブレア英首相がいかに小泉首相の「盟友」であろうとも、前述したように、日本の近・現代における戦争をすべて聖戦であるとする特異な歴史認識を有し、かつ先の大戦におけるA級戦犯をも祀っている靖国神社に参拝できるはずがありません。
このように、靖国神社の性格を正確に理解するならば、「国立追悼施設を作っても靖国神社に取って代わることはできない」などと云えないはずです。大体、日本の軍国主義の解体という戦後改革の中で、靖国神社が解体されず生き残ることができたのは、同神社が国家とは離れて一宗教法人となったが故にです。つまり、靖国神社は日本国憲法の政教分離原則によって生き残ることができたのです(8月15日以前の靖国神社と、それ以降の同神社とは異なる)。そんな一宗教法人に、「国のために死んだ人々」を祀らせておいてよろしいのでしょうか。
毎年8月15日に政府主催で行われる全国戦没者追悼式が、靖国神社とは無関係に行われることの意味を考えてみる必要があります。
■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■
上原さんについては、「戦争で死ぬこと~場合によっては政府による殺人と評価しなければならない」や「第1問:日本の市民は、だれを信頼して安全と生存を保持しようとしたのか?」で書きました。二度と彼のような思いをする若者を出してはならない…。
※写真は、特攻攻撃で「殺された」上原良司さんが兄たちとピクニックに行ったときに写されたもの。「あゝ祖国よ恋人よ きけわだつみのこえ」(上原良司・信濃毎日新聞社)の扉からの転載。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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A.靖国神社はすべての戦争被害者の追悼施設たりえない性質のものです。
「兵隊さん達は、『靖国神社の庭で会おう』と言って死んで行った。だからどんな追悼施設を作っても靖国神社は残り、これにとって代わることはできない」というようなことが、まことしやかに言われます。
でも本当でしょうか。本当に「靖国神社の庭で会おう」と言って死んで行ったのでしょうか。
「靖国神社の庭で会おう」というのは、本人にとってはもちろんのこと遺族にとっても大変悲しい死という事実を、靖国神社で「祀神」として顕彰し、そこに「現人神」である天皇が参拝するという行為を介して、喜びに変えるための壮大なデマゴーグであったと思います。再び「靖国神社の庭で会おう」なんて云い合う社会を招来させてよいのでしょうか。
「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」と書き残し、1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊員として沖縄嘉手納湾の米機動部隊に突入戦死した慶応大学出身の学徒兵上原良司は、その「所感」と題する文の中で、
「人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対にできなく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は、彼のイタリアのクローチェも言っているごとく真理であると思います。権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には破れる事は明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見る事が出来ると思います。ファシズムのイタリヤは如何、ナチズムのドイツもまた、既に敗れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります」(『きけわだつみのこえ』岩波文庫
と、日本の現状を批判するとともに、自分にとっての死は、先に亡くなって、今は天国にいる愛する恋人に会いに行く途中でしかないと述べています。自由主義者として、「靖国で会おう」がデマゴギーであることを見抜いていたのです。
靖国神社が日本の近・現代史における戦争をすべて聖戦であったとする特異な歴史認識を有していることは前述したとおりです。ところで、諸外国では外国から来た首脳らがその国にある過去の戦争犠牲者を追悼する施設に献花・追悼する習わしがあります。
2000年、沖縄サミットの際、来沖したクリントン米大統領は、1995年沖縄本島南部戦跡地に建立された平和の礎──無宗教であるだけでなく、日・米・韓・台湾など国籍を問わず、また軍人・民間人であるかをとわず、沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前を刻んでその死を悼んでいる──に献花をしました。日本本土にもこれまで多くの外国の指導者が訪れています。しかし、靖国神社を参拝した首脳はほとんどいません。
ブッシュ米大統領、ブレア英首相がいかに小泉首相の「盟友」であろうとも、前述したように、日本の近・現代における戦争をすべて聖戦であるとする特異な歴史認識を有し、かつ先の大戦におけるA級戦犯をも祀っている靖国神社に参拝できるはずがありません。
このように、靖国神社の性格を正確に理解するならば、「国立追悼施設を作っても靖国神社に取って代わることはできない」などと云えないはずです。大体、日本の軍国主義の解体という戦後改革の中で、靖国神社が解体されず生き残ることができたのは、同神社が国家とは離れて一宗教法人となったが故にです。つまり、靖国神社は日本国憲法の政教分離原則によって生き残ることができたのです(8月15日以前の靖国神社と、それ以降の同神社とは異なる)。そんな一宗教法人に、「国のために死んだ人々」を祀らせておいてよろしいのでしょうか。
毎年8月15日に政府主催で行われる全国戦没者追悼式が、靖国神社とは無関係に行われることの意味を考えてみる必要があります。
■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■
上原さんについては、「戦争で死ぬこと~場合によっては政府による殺人と評価しなければならない」や「第1問:日本の市民は、だれを信頼して安全と生存を保持しようとしたのか?」で書きました。二度と彼のような思いをする若者を出してはならない…。
※写真は、特攻攻撃で「殺された」上原良司さんが兄たちとピクニックに行ったときに写されたもの。「あゝ祖国よ恋人よ きけわだつみのこえ」(上原良司・信濃毎日新聞社)の扉からの転載。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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