文芸評論家のドナルド・キーンさんが日本で初めて花見をしたときのことだ。場所は奈良の吉野山。一九五〇年代後半のことらしい▼花見の光景に「大いに幻滅を感じた」そうだ。酔っぱらいが多い上、弁当箱(おそらく重箱か)がうずたかく積まれているのも気に入らぬ。桜の幹には拡声器が付けてあって音楽まで流している。「人がいなかったらどんなによいだろうに」。騒々しい花見がお気に召さなかった▼東京管区気象台が昨日、東京都心で桜(ソメイヨシノ)の開花を発表するなど、全国的に桜の季節となる。いつもの年なら心躍る花見の季節の到来だが、今年はそうもいかぬ。新型コロナウイルスの感染防止のため、桜の下での飲食を伴う宴会などに対し自粛要請が相次いでいる。桜の下をマスクをつけて散策する静かな花見にとどめるしかないか。少々寂しいが、これも感染リスクを避けるため、致し方あるまい▼キーンさんなら静かな花見を歓迎するだろうか。おもしろいことに花見に人がいなければと言っていた人も日本での生活が長くなるに連れ、考え方が変わってくる▼桜を見て、食べ、飲み、踊るのは大昔からの伝統。何より「そこに人がいるからこそ花見は楽しい」。やっぱりそうでしょう▼来年の今ごろは落ち着いているだろうか。そこに大勢の人がいて、はしゃぐ来年の花見を今から心待ちにする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます