Slavik Kryklyvvy & Elena Khorova - Samba (WSSDF2006)
ことわざは「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」と言っている。出世しても、富を得ても、人は畳半分か一枚分しか必要としないし、それ以上占めることもできない。一度に食べられる量にも限りがある。足るを知れ。欲を戒める教えだろう▼東京拘置所の部屋は三畳ほどしかないそうだ。豪華な食事は期待はできない。地位も富もある人は、そんな待遇を劣悪だと感じていただろうか。勾留されているカルロス・ゴーン容疑者である▼自白を迫るように勾留し続けるのは、人道上の問題がある。そんな声が海外から上がる中で、東京地裁が一昨日、延長を認めない決定を下した▼わが国の刑事司法制度の異質性にまで議論が及ぶ異例の展開である。繰り広げられているのが、いったい何の話であるのか。混乱しそうになった時に、ゴーン容疑者が昨日、特別背任という新たな容疑で、再逮捕された▼十八億円を超える損失を日産自動車に付け替えたなどの疑いがあるという。先月、疑惑としておおむね報じられているが、陰謀説も招いた有価証券報告書の虚偽記載とは、重みが違うだろう。事実ならば、悪質な私物化である。私的な投資による損失の額にも驚かされる▼事件はさらに長期化しそうだ。全体像がはっきりするのは先であろうが、やはり、足るを知らざる人の事件であるとみなされる日が来るのではないか。
第二次大戦末期のヤルタ会談で、ポーランド共産化に話が及んだ。ソ連のスターリンはこう話したと伝えられる。「法王がいったい何個師団を持っていると言うんだ」▼ローマ法王のバチカンに自前の軍はない。知らないはずはなかっただろうが、独裁者は武器を持たぬ国と法王の力を正しく見積もっていなかったようだ。ポーランド生まれの法王ヨハネ・パウロ二世は冷戦期に、外交と言葉の力で、母国の民主化と冷戦終結の立役者となる▼いまなお師団こそ持たないが、世界の目をひきつける力は持ち続けているであろう。法王フランシスコが来年の終わりごろに訪日し、被爆地の広島と長崎を訪れるという。実現すればヨハネ・パウロ二世以来、二度目の法王訪日だ▼就任後から、核兵器廃絶をくり返し訴えてきたフランシスコである。被爆者と会い、被爆地で撮影された「焼き場に立つ少年」と呼ばれる写真をカードにして配ったことがある▼日本に布教したイエズス会から出た初の法王でもある。若いころから、日本行きを熱望していたそうだ。今年、世界文化遺産への登録で注目を集めた潜伏キリシタンの地を訪れる。歴史の縁と巡り合わせを感じさせよう▼米ロ間で、朝鮮半島で、混迷し停滞する核軍縮である。軍を持たないがゆえに多くを語れる。そんな人の何個師団にも匹敵する力のある言葉が求められる時だろう。
漫画「タイガーマスク」(原作・梶原一騎、まんが・辻なおき)の最終回は子ども心にも悲しかった。タイガーの正体である伊達直人はトラックにはねられそうになった子どもを助けようと飛び出し、身代わりに死んでしまう▼あんなに強かったタイガーが交通事故であっけなく…。死の間際、上着のポケットにしまっていた虎のマスクを川に投げ捨てる。死んだ後も自分がタイガーだったことを隠し通すためである。子どもたちへの善行も知られず、永遠に報われることのない最期である▼現実の「伊達直人」は決してそんなことはなかったし、もちろん、亡くなってもいない。十七日付夕刊にこんな記事が載っていた。「タイガーマスク お元気に」▼「伊達直人」を名乗り、兵庫県内の児童養護施設にクリスマスケーキなどを三十二年間、贈ってきた男性がいらっしゃる。お気の毒なことに重い病にかかり、十一月に入院し、手術を受けた▼それを施設の子どもたちが知る。子どもたち二百四十五人と職員は本名も顔も知らない「伊達直人」に励ましと感謝の寄せ書きを贈ったそうだ。「自分のことをこれほど心配してくれるとは」。「キザ兄ちゃん」もさぞやうれしかったことだろう▼誰かが自分のために差し伸べてくれた温かい手。その手に元気がなくなれば、お返しに温められた手で握り返す。見ている、こちらも温かい。
「鬼平犯科帳」などの作家、池波正太郎さんは年が明けると年賀状の干支(えと)の絵を描いた。ずいぶんとのんびりした話に聞こえるか。勘違いしては困る。描いているのは来年の年賀状の下絵である▼毎年、数千枚の年賀状を出していたそうだが、この枚数では年末になってからでは間に合わない。春に刷り上がった年賀状を日に十枚ほどずつ書いていく▼「戦後の日本は、古きよき習慣や風俗も事もなげに捨て去ってきたけれども、年賀状の習慣だけは廃らないようだ」。そう書いていらっしゃるが、平成の終わりにあっては池波さんの見立てもあやしくなってきたかもしれぬ▼二〇一九年用の年賀はがきの当初発行枚数は約二十四億枚。結構な枚数とも思えるが、ピークだった〇四年用の約四十四億六千万枚に比べれば、半減近い。年賀はがきに冷たい風が吹く▼ネットの普及や人口減。理由はいくらでもある。そもそもペンで何かを書くという習慣も減り、いざ年賀状と思っても、わずらわしさが先に来るということもあるだろう▼池波さんのまねも無理で今年はどうするかと迷っていたが、コピーライターの岩崎俊一さんのこんな文章で気を取り直す。「年賀状をもらってうれしいのは、(出した人が)あなたの顔を思いうかべながら、年末の深夜、眠い目をこすり、知恵をしぼりながら、せっせとペンを走らせてくれたからだ」
漫画家の東海林さだおさんが魚のサバを激励するエッセーを書いている。煮付けて良し、焼いて良しのサバだが、大衆魚の中でも気の毒な立場なのだという▼同じ大衆魚でもサンマは佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」のおかげで格上扱いされる。イワシには「通や料理人に好まれるところがある」。ところがサバには売りがない。サバはサンマやイワシに「オレたち大衆同士だよな」と思っているのだが、当のサンマやイワシは「同じ大衆でもちょっと違う大衆なんだかんな」と見下しているというからひどい。しかたなくサバは定食屋さんや「缶詰界」という世界で生きていくことを決意した…。ショージ君独特の分析である▼サバが胸を張っている。その年の世相を象徴する料理や食品を選定する「今年の一皿」。二〇一八年はサバが選ばれた▼今年の漢字は「災」だったが、サバの受賞もこれと関係がある。災害が相次ぎ、防災意識の高まりによって今年、サバ缶の良さがあらためて注目されたそうだ▼必須脂肪酸を多く含み、健康効果も期待できるというサバ本来の実力も再評価され、今回の受賞となった。そういえばサバ缶が人気で品薄になる現象もあった▼実力はありながら、目立たなかった歌手が苦労を重ね、つかんだ栄冠。おごることも高級化の道も選ばず、いつまでも、大衆の食卓にあることを長年のファンは切に願う。
吸血鬼ドラキュラの弱点はニンニクと十字架だったが、東欧アルバニアに伝わる、女の吸血鬼の弱点はちょっと変わっている。豚の骨で作った十字架と血に浸した銀貨だそうだ。この吸血鬼、名をシュトライガという▼伝説によると蛾(が)や蠅(はえ)に変身して村人の血を吸う。生まれついての吸血鬼ではない。子どもをなくして邪悪な心を持つようになったと聞けば、気の毒な身の上でもある。ルーマニアではストリゴイ。英語名はストライガである▼アフリカの人々を苦しめる雑草にその名がついているのはトウモロコシなどの作物に寄生し、養分や水分を奪い、枯らしてしまうためだろう。憎き吸血鬼もこれまでか。名古屋大学の研究チームがこのほどストライガ退治の新薬開発に成功したという▼写真で見れば、ピンク色の花がなかなか愛らしいが、除草剤も効かぬ強敵。アフリカを中心に年間一兆円規模の被害をもたらしている▼開発した新薬は吸血鬼をあざむくのだそうだ。ストライガは寄生する作物がないとやがて枯死する。新薬の効果で作物がないのに発芽を促し、四日程度で枯れさせる▼新薬が安価なこともアフリカの人々をほっとさせるだろう。一グラム四十円程度で製造でき、その量があれば一ヘクタールほどの面積に効果がある。吸血鬼を撃退し、アフリカの食糧問題に力を貸す日本発の十字架と銀貨。効果を早くアフリカで見たい。
明治、大正の時代に、風刺の効いた歌で庶民の心をつかんだ演歌師の添田唖蝉坊(あぜんぼう)は、「当世字引歌」の中で、こう歌っている。<「空前絶後」とは「タビタビアルコト」で 「スグコワレル」のが「保険付」…「マネゴトスル」のが「新発明」…「賃銀労働者」は「ノーゼイドウブツ」>▼文明開化の世の中は、立派でありがたそうな言葉、新しい物でいっぱいだ。いい時代になったようには見えるけど、その看板と中身、なにか違っていませんか。字引に見立てて、世相を突いた▼当世の字引歌なら、こう歌ってみたくなろうか。「多用途運用護衛艦」は「コウクウボカン」で「戦闘機は常時搭載しない」は「ノウリョクハアルケレド」。与党が了承した海上自衛隊いずも型護衛艦の改修である▼最新鋭ステルス戦闘機を搭載できるようになる。遠くに攻撃力のある戦闘機を運ぶ能力を持つ。実質的な空母化だ。しかし政府は空母とは呼ばない。常時搭載はしないので、憲法上持つことが許されていないとしてきた攻撃型空母にも当たらないと主張しているそうだ▼うなずく人がいるのかもしれないが、呼び方と理屈で、実体を別のものに見せようとしていませんか。疑問が消えない。外国がみるのは実体のほうだろう。軍拡競争にもつながらないか▼何より「専守防衛との整合性を守る」が「リクツシダイ」になりませんように。
災難を逃れる方法がある。そう教えているのは、江戸期の禅僧、良寛である。越後を襲った地震で子を失った知人宛ての書状に書いている。「災難に逢(あ)う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候」▼災難が来たら災難に遭えばよい。死ぬ時には死ぬのがよい。きょうび、SNSにこんなことを書き込めば、それこそ災難が降りかかろうが、教えているのは災難を災難と考えるのではなく自然現象としてそのまま受け止めるしかないというところか▼今年の漢字。選ばれたのは災害の「災」だった。西日本豪雨に大阪北部地震、北海道胆振東部地震。台風被害も大きかった。夏の猛暑は災害として扱われた。「災」に振り回された一年でその字が人の心から離れなかったのだろう▼良寛は「災」をただ受け止めなさいというが、現代においてはそうあっさりとうなずけぬところもある▼「わざわい」の「わざ」とは神の行為の意味と聞く。良寛の時代なら、なるほど「災」とは自然現象に他ならぬが、異常気象の背景とされる地球温暖化を思えば、現代の「災」という字の裏には自然ばかりではなく間違いなく人間がいる▼人が対策をすれば、人があらためれば、「災」の字を小さくできぬか。そう考えた時、良寛さまは笑おうが、「災難に逢うがよく候」とはあきらめきれぬ。
俳優の高倉健さんが出演する映画作品を選ぶ判断基準について語っている。一つは「脚本の中身」。もう一つは出演料だそうだ。「僕はギャラの額を大切にします」と言う▼健さんが演じた人情あふれる人物たちを思えば、ドライにギャラとはやや意外。理由がある。いかに自分が必要とされているかが出演料で分かる。なにより「撮影前に多くのものを背負っていれば、自分を追い込むことにもなる。今日はつらいから撮影をやめるなんて絶対に言えなくなる」▼この状況なら健さんも「やめさせてもらいます」となるか。船出したばかりの官民ファンド「産業革新投資機構(JIC)」の取締役九人が一挙に辞任した問題である。辞任の理由は機構側と所轄官庁、経済産業省の間の報酬をめぐる対立だった▼最大で一億円を超える報酬水準を経産省側がいったん提示しておきながら高額すぎるとの批判を受けて撤回。これを取締役側が納得しなかった▼一般の金銭感覚からすればギョッとなる額である。とはいえ報酬を一方的に下げられたら、取締役たちが仕事への熱や経産省への信頼を失うことも分からぬでもない。最初に示した報酬水準も含め経産省側の手抜かりであろう▼ヒット間違いなしの触れ込みだった映画「JIC」。ギャラをめぐる俳優陣の降板で撮影再開のめどは立たぬ。制作費は国民。泣けてくる喜劇である。