進学、就職など新たな出会いの季節だろう。初対面の人とどうやって親しくなるか。お悩みの方もいるだろう▼幼いころの「共通の話題」はいいきっかけになるらしい。子どものときに見たテレビ番組や聴いた音楽。自分と似た経験をしてきたのだなと思わせれば相手は安心する。心を開きやすくなる▼周到に計算された例がある。岸田首相の米連邦議会での演説である。冒頭、幼少期にニューヨークで暮らした経験に触れている。へえ米国で暮らしていたのか。米国民は興味を持ったはずだ。続けて子どものときに観戦したヤンキースやメッツの名に触れる。野球好きの米国の方には親近感を与える魔法の言葉だろう▼とどめは米国の懐かしのアニメ番組「フリントストーン(『恐妻天国』)」か。「今でも懐かしく感じる」と語り、主人公の口癖の「ヤバダバドゥー」まで持ち出せば、米国の議員には岸田さんが親しみやすい人物に映ったはずである▼さて、演説の主題は防衛協力を柱とした新たな日米関係である。「米国は独りではありません。日本は米国と共にあります」。首相の言葉を聞いてこっちもあのアニメを思い出す▼トンマな主人公フレッドの言動にいつも振り回される気弱な親友バーニー。米国がフレッドなら日本は…。米国では受けた演説なれど、日本で聞いている人には「ヤバダバドゥー」とははしゃげまい。
ハワイ出身の元横綱曙の曙太郎さんが生まれて初めて雪を見たのは、入門のため18歳で来日して間もなく。「雪って冷たいんだな」と思ったという▼その後の土俵人生も節目には雪が舞ったと自著『横綱』で明かしている。横綱に昇進し明治神宮で土俵入りした日も、長野五輪開会式で横綱土俵入りを披露した日も、引退を決心したのに理事長からけがを治して頑張れと慰留されて撤回した日も、本当に引退を決め師匠に告げた日も降ったと書いている▼雪は白星の色、勝ち星の象徴と本人は記すが、冷たいそれとの縁は常夏の故郷を離れ、異国で苦労を重ねた力士らしい▼外国出身で初めて綱を張り、若乃花、貴乃花兄弟との対決で土俵を盛り上げた人。訃報に接した。54歳とは若すぎる▼横綱になってからのけがとの闘いは凄絶(せいぜつ)で、両膝のけがで痛み止めを打ち続け、その末に胃や腸も病み、痛んだ。注射のみならず点滴で激痛を和らげたこともある。俺は横綱なんだと言い聞かせ自らを鼓舞。2000年名古屋場所で19場所ぶりに優勝を決めた際は涙をこらえようと天を仰いだ。色紙に書いた字は「忍」。身長2メートル超の怪力自慢はいつしか、日本人の琴線に触れる存在になった▼旅立つ前は東京近郊で入院中だったが、今年の桜は見ただろうか。もうけがにも、病気にも、雪の舞う日の寒さにも耐えなくていい。どうか安らかに。
英国の科学担当大臣が1993年にこんな大会を開いた。すべての物質に質量を与えるヒッグス粒子について分かりやすく説明した人には年代物のシャンパンを進呈する▼シャンパンを獲得した説明はこうだ。質量ゼロの粒子をサッチャー元首相に見立てている。大勢の人が集まったパーティー。サッチャーさんが会場内を横切ろうとするが、みな、握手したがるので、サッチャーさんの動きは緩慢になる。質量ゼロの粒子が質量を持った歩みの遅い粒子になる。この人の波のようなものがヒッグス粒子…▼ヒッグス粒子の存在を予言した英国の物理学者ピーター・ヒッグスさんが亡くなった。94歳。その世界のスターだろう。予言したヒッグス粒子は2012年、巨大加速器による実験で発見され、ヒッグスさんはノーベル物理学賞に輝いた▼「私を有名にした仕事だが、その期間は人生のごくわずか」。わずかな期間とはヒッグス粒子をひらめいた1964年の夏の3週間である▼苦労はむしろその後だろう。本当に存在するのか。待つことに人生の大半を費やした。粒子が発見されたとき、ほっとしたのか、ハンカチで目をぬぐっていた姿を思い出す▼さて歴史上の物理学者たちが集うパーティーがどこかで開かれているか。主役のヒッグスさんが会場内を動こうとするのだが、功績への称賛と握手攻めでなかなか前に進めない。
護送車の事故を幸いにと囚人2人が手錠でつながれたまま逃走を図る。米映画の『手錠のまゝの脱獄』(1958年)。シドニー・ポワチエさんが若々しい▼物語の設定にわくわくする。手錠で互いから離れられない囚人の1人は白人でもう1人は黒人。2人は何かと反目し合うのだが、次第に助け合い、心を通わせるようになっていく。手錠でつながれた仲の悪い2人という設定はドラマを生みやすいのか、高倉健さん主演の『網走番外地』(65年)にも似た場面があったっけ▼コンビニ大手2社の決断に映画の場面がつい浮かんだが、あまり適切ではなかったか。ファミリーマートとローソンが岩手、宮城、秋田の3県で商品の共同配送を始めるそうだ。大手同士の本格的な連携はこれが初めてという▼深刻な状況に競い合う2社もいがみ合ってはいられず、息を合わせるしかなかったのだろう。状況とはもちろん、運転手不足が心配される物流の「2024年問題」である▼1台のトラックを2社で共有して荷物を運ぶという。運転手が足りないのなら共有すればよいと言うのは簡単なれど、長年のライバル同士とあれば、実現までには難しい調整もあっただろう▼今後、3県以外への拡大も検討するそうだ。「呉越同舟」ならぬ「ファミマ・ローソン同トラック」。うまく進めば、二酸化炭素の排出量抑制というオマケも付く。
ミステリー作家のアガサ・クリスティはチョコレートに目がなかったらしい。子どものころの思い出としてミステリーがかった話がある。フランス語の勉強が嫌になったクリスティさん、教科書をひそかに隠してしまった▼家族が家中を捜し回るが、見つからない。クリスティは知らん顔。そこでお母さんが宣言する。「見つけた人にはチョコレートをあげる」。教科書を真っ先に発見したのはもちろん、アガサ少女。「こんなところにあったわ」。だが、教科書隠しの悪事もバレて「真犯人」はこっぴどく叱られることに。「わたしはまんまと(母親の)わなに落ちたのだった」▼クリスティが聞けばさぞ顔を曇らせるだろう。チョコレートが世界的に値上がりしている。日本でも「キットカット」「チョコボール」など、おなじみの商品の値上げが発表されている▼子どもも大人も泣かせる、「真犯人」は主原料カカオ豆の高騰。ニューヨーク市場の先物は今年に入って約2倍に跳ね上がったそうで、消費者には「苦み」の強すぎる話だ▼世界生産量の約6割を占めるガーナとコートジボワールで天候不順が続いた上、カカオの木を枯らす病気が流行し、収穫量が大幅に落ち込んだという▼早期の回復は見込めないと聞く。続きそうな価格高騰に取り乱し、解決策を見つけた人には「チョコレートをあげる」とつい宣言したくなる。
宮城の気仙沼港は生鮮カツオの水揚げが27年連続日本一。例年6月ごろに始まり、気仙沼の人々は夏場に大いに食べる▼東日本大震災の約3カ月後、初水揚げを取材したことがあった。地元水産業者の建物も津波で流され、がれきも片付いていなかったが、70センチ沈んだ魚市場の岸壁を突貫工事でかさ上げしシーズンに間に合わせた▼頑張れたのは、カツオのない気仙沼の夏などありえないと人々が思ったから。季節の風物は被災地では一層、価値を増す▼能登半島の七尾と穴水を結び、先の地震で被災して一部区間の不通が続いていた第三セクター・のと鉄道が今日、全線で運行を再開する。約100本の桜並木が列車に覆いかぶさるように枝を伸ばす「桜のトンネル」で有名な能登鹿島駅でも列車が発着する。昨日聞いたら、幸いつぼみ。運行再開後に見頃を迎えられ、よかった▼のと鉄道によると、通学の利用が多く、新学期には全線で復旧させたいと工事を進めたという。おかげで例年同様に見られそうな列車と桜と愛(め)でる人々。現場の奮闘に敬意を表さねばなるまい▼震災後の気仙沼では早朝の岸壁で、魚市場の人たちと一緒に最初のカツオ船の入港を待った。もやに煙る海上に姿を現し徐々に近づいてきた時、取材者の立場ながら胸に迫るものがあった。今朝、つぼみ膨らむ駅のホームに立ち、列車を待つ人々の胸中を思う。