まーったく関係のない写真ですみません。
息子の七五三の写真なんですが、私が着ているのが
「成人式のときの振袖」、袂を切って訪問着にしたものです。
それにしてもなんという着方…衿元カッコわる~・・・。
さていよいよ成人の日、ですね。
準備も整い、楽しい計画に胸躍らせておられる新成人のかた、
その晴れ姿を楽しみにしておられる親御さん、
着付けとヘァメイクの予約を確認しつつ、腕まくりの美容師さん着付師さん、
カウントダウンですねぇ。
さて、せっかくのよき日を迎えるというこの時期に、
水を差すようで申し訳ありませんが、あえて今からご忠告を…。
それは「振袖のときのショール」の使い方、です。
元々、振袖にショール、と言うのは近年になっての習慣です。
「成人式」正確には「成人の日」というのは、昭和23年だったかと思いますが、
終戦後、新しい国づくりの中で「国民の祝日」として制定され、
時代を担う若者たちの大人への第一歩を祝おう、という祝日。
当時はまだ着物暮らしの人も多かった時代ですが、実は戦後でモノがなかった…
それでも「そういう日なら晴れ着を」ということで、
親は精一杯の祝いとして晴れ着を用意した…というのが
「成人式の振袖」の始まりなわけです。(と呉服屋さんからの受け売り)
実際には「そんな晴れ着のしたくができないから式典なんぞいかない」
ということも多くあったようですね。
昭和30年代に入り、だんだん「振袖」が増えてきまして
私の成人式のころには、当たり前のように「振袖にショール」になってました。
40年代半ばのことです。
そのころはみんな同じ形、広げるとブーメランみたい形ですね。
色は白がほとんどで、毛皮ももちろんありましたがぜいたく品でしたから
「フェイクファー」とか、思いっきり化繊のもの、
いまでいうと「フリース」のモコモコしたようなのでした。
さてやっと本題ですが、私は今でも盛装にショールは似合わないと思っています。
ただしルールということではなく、あくまで私の主観です。
元々女性の和服盛装では羽織も着ません。ショールはいわば防寒と塵除けです。
もちろん、時期的に寒いときですし、地域によってはなくてはならない
というところも当然あります。カゼひいたんじゃ何にもなりませんから。
そういう場合は別として、単純に「振袖に」と言う意味で言うなら、
本来ショールはいらないものだと、私は思っています。
ただファッションというものは、どんどんかわっていくものであり、
今の着物だって、200年300年前の着物から比べたら、
えらくかわっているわけですから、「ショールはおかしい」という言い方は
するつもりはありません。事実、今のショールは「アクセサリー感覚」の
ステキなものも多くて「あらシャレてる」というショール姿だってありますから。
貸衣装などでもショールもオプションでなく入っているようです。
なんかするのが当たり前、ないとおかしい…と言う感じでしょうか。
でも「するのが当たり前」というのを先にきめないで欲しいのです。
振袖にはショールをしなければならない、というルールは、それこそありません。
つまり「ショールは振袖に見合うものならしてもよい」、
そして「振袖にあった使い方をしていただきたい」と思うのです。
理由のひとつ、これはもういわゆる「着物姿の美しさ」のためなのです。
何度も言っておりますが、着物は形は全部同じです。
着方も基本的に変わりません。そういう状態での着物の美しいところは、
まず衿足、衿元、です。髪をあげ、衿を抜き着物を着る、
その後ろのうなじの美しさは、これはもう一番のみせどころ?!
それからⅤ字型に重なった衿の美しさ、その下の帯揚げや帯締めの華やかさ。
ショールをすっぽりしてしまうと、この一番きれいなところが
全部隠れてしまうんですよ、もったいない!
だから、浮き袋をすっぽりかぶったようなショールの使い方をするなら、
ちょっぴり寒くても「すっきりとしたうなじと衿元を見せるオシャレ」を
してほしいなぁと思うのです。
成人式は「写真」を撮るチャンスが多い日でもあります。
前からだけでなく後姿も、というところまではダレでも気がつくところ、
ついでにもう一枚撮ってもらってください。
「斜め後ろ」を一段高いところから、もちろんショール無しで。
あとでじっくり、自分の「うなじ」の美しさに酔ってください。
毎年成人式のようすをテレビで見たり、たまたま外出して見かけたり、
そういうことがあるわけですが、それでなくともなれない着物、
ドタドタ歩いていたり、足元おぼつかなくて下ばかり見て歩いていたり、
階段登るのに袂をひっ掴んでいたり…あ~あ…と思うお嬢さんを見かけます。
そして「ショール」、もこもこのを「浮き輪」かぶりで両手に荷物を持って…。
お願いです。エレガントを心がけてください。
それと、式場の様子が写ったりするとショールをしたままのかたを見かけます。
ショールは中に入ったらとるべきものです。
帯がつぶれないようにイスには浅く腰掛けて、袂が床掃除しないよう
クロスするようにヒザに広げて、バッグとショールはきちんとヒザの上、
明日はハレの日、いい女でいてください。
大人のオンナの第一歩の日なんですから。
息子の七五三の写真なんですが、私が着ているのが
「成人式のときの振袖」、袂を切って訪問着にしたものです。
それにしてもなんという着方…衿元カッコわる~・・・。
さていよいよ成人の日、ですね。
準備も整い、楽しい計画に胸躍らせておられる新成人のかた、
その晴れ姿を楽しみにしておられる親御さん、
着付けとヘァメイクの予約を確認しつつ、腕まくりの美容師さん着付師さん、
カウントダウンですねぇ。
さて、せっかくのよき日を迎えるというこの時期に、
水を差すようで申し訳ありませんが、あえて今からご忠告を…。
それは「振袖のときのショール」の使い方、です。
元々、振袖にショール、と言うのは近年になっての習慣です。
「成人式」正確には「成人の日」というのは、昭和23年だったかと思いますが、
終戦後、新しい国づくりの中で「国民の祝日」として制定され、
時代を担う若者たちの大人への第一歩を祝おう、という祝日。
当時はまだ着物暮らしの人も多かった時代ですが、実は戦後でモノがなかった…
それでも「そういう日なら晴れ着を」ということで、
親は精一杯の祝いとして晴れ着を用意した…というのが
「成人式の振袖」の始まりなわけです。(と呉服屋さんからの受け売り)
実際には「そんな晴れ着のしたくができないから式典なんぞいかない」
ということも多くあったようですね。
昭和30年代に入り、だんだん「振袖」が増えてきまして
私の成人式のころには、当たり前のように「振袖にショール」になってました。
40年代半ばのことです。
そのころはみんな同じ形、広げるとブーメランみたい形ですね。
色は白がほとんどで、毛皮ももちろんありましたがぜいたく品でしたから
「フェイクファー」とか、思いっきり化繊のもの、
いまでいうと「フリース」のモコモコしたようなのでした。
さてやっと本題ですが、私は今でも盛装にショールは似合わないと思っています。
ただしルールということではなく、あくまで私の主観です。
元々女性の和服盛装では羽織も着ません。ショールはいわば防寒と塵除けです。
もちろん、時期的に寒いときですし、地域によってはなくてはならない
というところも当然あります。カゼひいたんじゃ何にもなりませんから。
そういう場合は別として、単純に「振袖に」と言う意味で言うなら、
本来ショールはいらないものだと、私は思っています。
ただファッションというものは、どんどんかわっていくものであり、
今の着物だって、200年300年前の着物から比べたら、
えらくかわっているわけですから、「ショールはおかしい」という言い方は
するつもりはありません。事実、今のショールは「アクセサリー感覚」の
ステキなものも多くて「あらシャレてる」というショール姿だってありますから。
貸衣装などでもショールもオプションでなく入っているようです。
なんかするのが当たり前、ないとおかしい…と言う感じでしょうか。
でも「するのが当たり前」というのを先にきめないで欲しいのです。
振袖にはショールをしなければならない、というルールは、それこそありません。
つまり「ショールは振袖に見合うものならしてもよい」、
そして「振袖にあった使い方をしていただきたい」と思うのです。
理由のひとつ、これはもういわゆる「着物姿の美しさ」のためなのです。
何度も言っておりますが、着物は形は全部同じです。
着方も基本的に変わりません。そういう状態での着物の美しいところは、
まず衿足、衿元、です。髪をあげ、衿を抜き着物を着る、
その後ろのうなじの美しさは、これはもう一番のみせどころ?!
それからⅤ字型に重なった衿の美しさ、その下の帯揚げや帯締めの華やかさ。
ショールをすっぽりしてしまうと、この一番きれいなところが
全部隠れてしまうんですよ、もったいない!
だから、浮き袋をすっぽりかぶったようなショールの使い方をするなら、
ちょっぴり寒くても「すっきりとしたうなじと衿元を見せるオシャレ」を
してほしいなぁと思うのです。
成人式は「写真」を撮るチャンスが多い日でもあります。
前からだけでなく後姿も、というところまではダレでも気がつくところ、
ついでにもう一枚撮ってもらってください。
「斜め後ろ」を一段高いところから、もちろんショール無しで。
あとでじっくり、自分の「うなじ」の美しさに酔ってください。
毎年成人式のようすをテレビで見たり、たまたま外出して見かけたり、
そういうことがあるわけですが、それでなくともなれない着物、
ドタドタ歩いていたり、足元おぼつかなくて下ばかり見て歩いていたり、
階段登るのに袂をひっ掴んでいたり…あ~あ…と思うお嬢さんを見かけます。
そして「ショール」、もこもこのを「浮き輪」かぶりで両手に荷物を持って…。
お願いです。エレガントを心がけてください。
それと、式場の様子が写ったりするとショールをしたままのかたを見かけます。
ショールは中に入ったらとるべきものです。
帯がつぶれないようにイスには浅く腰掛けて、袂が床掃除しないよう
クロスするようにヒザに広げて、バッグとショールはきちんとヒザの上、
明日はハレの日、いい女でいてください。
大人のオンナの第一歩の日なんですから。
本当は大変なんですよね。
なが~い袖の扱い方や座り方、歩き方など事前に少しでも練習しておいてほしいと思いますね~。
高校の授業で 着付けとか立ち居振る舞いを教えて欲しいかなぁと思います。(立ち居振る舞いは礼法で習ったのですが、和裁と着付けを知らずに育ちましたので)
私のほうもさせていただきます。
私の時代(昭和39年)にも、ふかふかのショールは持ったと思いますが、最近の成人式和服はもう特別のジャンル化していて、成人式柄と言うものがあるようですね。
一般の和服とは一線を画したいような気持ちです。
女性の一番綺麗な胸元とうなじを見せる・・・と言うのは全く同感で、私は洋服でこれを唱えております。
(自分だけでひそかに実践してるだけ)
男性にない女性だけにしかない美しいところ、それは、胸元、うなじ、すね、これらのものをすっきり見せること、胸にペンダントをつけるとせっかくの胸元に目が行かなくてペンダントに目が行くから損、だからTシャツやセーター、ブラウスでも首が詰まったものは着ない、広く開いたものが好き、じゃらじゃらしたイアリングもしないのがもっとーです。
(テレビのキャスターやアナウンサーはいつもこういう目で参考にしています。)
すねに関しては、この10年くらいすっかりパンツ派に転向してしまったけど、女性ならやっぱり膝丈のスカート姿が美しい。
七五三の写真、正統派の「きもの」という感じですね。お子様のも紋付に袴は縞、これも正統派、とてもすがすがしいです。
いつのころからか「最初の着物が振袖」になってしまって、いきなり「盛装」ですもんね。せめて手前のお正月、で練習してもらいたいですねぇ。でも鼻緒ズレできちゃったりして当日に差し支えゃうかな、つまり日頃の積み重ね、なんですよね、やっぱり。
zizi様
私の学校にも「礼法」がありました。やっぱり今でも役に立ってます。授業で「着物」について、何らかの授業をしてほしいですよね。民族衣装なんですから。
さくら様
ブックマークの件、ありがとうございます。よろしくお願い致します。
「成人式柄」、まさしくそのとおりと思います。ただ華やかで、ありったけ豪華、のように見えて実は没個性ですよね。全く印象に残らない…。呉服屋さんの責任もちょっとあるかと思いますが、洋装感覚ではなく「日本の着物の柄」というものをきちんと認識できるように作って欲しいと思います。
洋服でも和服でも「流行っている」とか「華やか・きれい」ではなく、自分にとってどうか、キレイにみえる色、引き立たせる寸法、欠点を隠してくれる形、服も着物も「着るもの」であって「着られるもの」ではないんですけどね。私の成人式のときは「パステルカラー」の流行し始めのころで、ピンクやクリーム、薄いブルーなど、優しい色合いのもので、お花がたくさん!が主流でした。「ゼッタイやだ」と、紫に御所車にしました。花は一切ありません。地味だといわれましたが、今でもよかったと思っております。