長崎は祈りの日、あちこちの教会では、鎮魂の鐘が鳴り響いたことでしょう。
たいへんな「人災」を受け、いまだ病に苦しむ人がいる…家族をなくし、家をなくし、
いわれのない差別を受けて生きてきた方々がどれだけいることか。
当事者だけでなく、胎内被ばく、被ばく2世3世といわれて、自身もいまだ病気の不安に襲われる…。
今、世界も「核」について揺れ動いていますが、あんなもの、誰も使うことはできないし、
使ったら、今の核なら、自分の国だって壊れます。
人は英知のかたまりであり、もっともおろかでもあります。
知恵の使いどころがわかっているのに、どうしていい方に進みませんかねぇ。
日本は、とんでもない経験を2回もさせられた唯一の被爆国です。
戦争という大きな人災に苦しんだ国です。
あのときのたくさんの人の命や、残った人の奮闘、それらの上に、今の私たちはいるわけです。
元々勤勉で辛抱強い国民性ですから、本当にすごい速さで日本は立ち直り、
小さい島国でありながら、世界にもいろんな意味で認められる先進国となりました。
大事にしなけりゃいけないと思うのに…なんですか、最近のていたらくは…。
ナンタラの会長だの監督だのという立場の人のパワハラや、組織の私物化、
議員バッチを付けたり、これまた長と名のつく立場にいる人の、セクハラ、パワハラ、
あげくに裏口入学だの使い込みだの…もういいかげんにしてほしいものです。
そして聞くに堪えないのが「自分は悪くない」「言ってない、やってない」「そんなことになると思わなかった」
「そんなつもりはなかった」…まぁ言い訳の多いこと。
李下に冠を正さずというでしょう。スイカ畑で靴ひもなおすなというでしょう。
実際スイカ泥棒していなくても、疑われるだけで恥ずかしいことなのですよ。
いつからこんなボーッとした国になったのでしょう。
上に立つ人ほどしっかりしてほしいのに。
台風は横浜をわずかにかすめました。
何もなく過ぎましたが、ほんの少しのズレで被害が出たところもあります。
西では先日の天災とその被害にあった人がいて、今もまだ泥やガレキと戦っています。
頑張る人、助ける人、私のように直接は何もできない人、でも気持ちはちゃんと向けること…
それはどんなに過去の彼方のことであっても、最近のことであっても、
「思う」ことの大切さは変わらないと思います。
忘れない、伝える、思う…災害の続く夏に戦争の記念日を迎えて、思いを重ねて考えたことでした。
私も高校の修学旅行で、長崎の資料館に行きました。
今でも強烈な印象を受けたことを覚えています。
思えば、あの時から無関心ではなくなった気がします。
やはり伝えることは大切なことだと思いますね。
イマドキの「上に立つ人」、何を学んできたのやら。
言葉の使い方も知らず、いつも保身ばかり。
ネットなどで今まで言えなかったことも、
けっこう言えるようになったせいか、
「だまっていない」人が増えました。
SNSは功罪あるけれど、いい方に生かして、
道を正してほしいものです。