ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

dear hiroshima

2012-08-18 20:11:33 | 着物・古布

 

写真は頂き物の帯。持ち主は80代の方だそうです。

単帯の繰り回し、状態から見てこれもまた戦火を越えてきたのではないかと思います。

糸もなかったのでしょう、黒糸で綴じあわされているところもあります。

 

 

さて、タイトルの「dear  hiroshima(ディア・ヒロシマ)」は、昨夜、BS1で放送されたものです。

石内 都という女性カメラマンの作品。広島の犠牲者たちの「遺品」を並べた写真展のドキュメンタリーです。

「ヒロシマの写真」というと、すぐに瓦礫の山、目を背けたくなるような被爆者の顔、体…、

そういった残酷なものを思い浮かべますが、この写真展はそうではありません。

そういう写真は一枚も出てきません。すべて「モノ」です。

戦後「遺品」として、ヒロシマの平和祈念館に寄付されたものの写真です。

今でも送られてくるのだそうです。つまり、最近撮られたもの…。

 

遺品を見てあれっと思いました。まったく傷のないもの、ただ古いだけのものもあるのです。

あぁそうか…と思いました。確かに「そのとき」身につけていたものもあるけれど、

そのとき、あるいはそのあとで亡くなった人が、かつて使っていたものもあるのだと。

 

写真は、現代に撮られたものですから、すべてカラーです。

色がある…ということのメッセージ性の強さは、ふしぎです。

 

今までに見た「原爆の遺品写真」は、モノクロばかりでした。

焼けただれた服、穴のあいた靴、半身ちぎれたブラウス…。

確かに、今回の写真にも、そういうものはたくさんあるのです。

それでも、私は「きれいだ」と思いました。著者も「美しいのよ、ほんとに」と言いました。

元々「被害記録」だの「調査資料」だのの写真ではありません。

ライトをうしろから当てたり、バックにキレイな色を使ったりしています。

それでも、私は、過去に見た写真とは、なんというか…違う感じ方をした…といいますかねぇ。

 

ボキャ貧で、うまく言い表せないのですが、過去に見たモノクロの「記録写真」からは、

その持ち主の「死」が語られているのを感じます。

これを着ていた人は、持っていた人は、履いていた人は、一瞬にして、あるいは苦しみの果てに、

その命をなくしたのだと、そして、その残った品々は「そのものも一緒に終わったのだ」と感じていました。 

でも、この美しいカラー写真を見ていると、同じことなのですけれど、

「これを着ていた人は、そのときまでその一瞬まで、確かに生きていたのだ」と感じ、

更には、その人が生きて暮らしていたこと、を感じさせてくれるのです。

ぼろぼろになった遺品は「持ち主は消えたけれど、私は生きているのだ」といっているようなのです。

結果的には同じことなのかもしれませんが、そう思いました。

その人の死から「かつての生」を感じ、ものの「生」から「理不尽な死」を感じる…

私の乏しい表現力では、これで精一杯です。

 

戦時中、しかももう本土決戦かという、ぎりぎりのところだというのに、

女性や少女の着ていたた服たちは、とてもかわいいのです。

こんな言葉を使うべきではないかもしれませんが、セクシーだったり、チャーミングだったり、プリティだったり…。

淡々とわずかばかりの説明と、撮影者と学芸員の会話が続きます。

「派手なものは禁止、というご時世に、上は上着で隠し、下はもんぺをはいて、

その下に花柄のかわいらしいワンピースを着ていた」…だから、燃え残ったのでしょう。

かわいらしいパフスリーブ、精一杯の赤いボタン、ちょっとだけついているレース…。

女たちは、少女たちは、それでも「自分の人生の春の時代」を楽しんでいた…のですね。

 

白と紺の、柄が大きく染め分けられたサンドレスのようなもの、

元は浴衣だったようで、ズームすると白い小花は菊でした。

「これは『シミーズ』と書いてあった。シミーズって下着だよね、ずいぶん派手だけど」

ものがなくなって、浴衣で下着を作らねばならなかった…と、同時に「表に見えないところでせめて華やかに」

私は、後のほうの理由ではないかと思いました。

江戸の裏勝りと同じ、お上がやいのやいのと表を言うなら、そっと裏でやっちゃうわ…。

確かに、彼女たちは「生きていた」んですねぇ。

 

橋の欄干に引っかかっていた洋服、体はなかったそうです。

紐の千切れた靴、履いていた少年は、やけどだらけの体で、信じられない精神力のみで、

長い道のりを自宅まで歩き、その夜息絶えたそうです。

思わず身を乗り出した一枚がありました。男の子の「綿入れの着物」です。絹と思います。

昔の武家の狩装束で使われた「綾藺(あやい)」という、独特の笠が見て取れました。なかなかの柄でした。

「綿入れ」…原爆が落とされたのは真夏です。なにより着物には焼け焦げひとつない…。

それは、母親が大事にとっておいたもの、それを着た男の子は、13歳で被爆し、なくなったのだそうです。

着物はおそらく一つ身だと思いますが、母親は、子供が大きくなってもその着物を大切に取っておいたわけです。

大人になったら「おまえこんなに小さかったのよ」と笑いながら見せたかもしれない、

その子が結婚して息子が生まれたら「これはアンタのお父さんが着ていたのよ。

おばぁちゃんが縫い直してあげようねと」言ったかもしれない…。

その日まで、着物はその母親の誇りであり、幸せの思い出であり、未来も夢みさせてくれる品だったはず。

それが一瞬にして、その子の未来のすべてが絶たれ、それは哀しい形見になってしまったわけです。

どんな思いで、戦後の長い時間、この形見を手元においていたのでしょう。

着物は今すぐに、幸せな子供に着せ掛けられるくらい、キレイに「生きて」いました。

 

この写真展は、世界を回ると聞きました。

その最初が、カナダのバンクーバー。

写真を見たたくさんの人たちのコメントが、ただ字幕で写ります。

本当に淡々と…という感じでした。

また、カメラマンがこの美術館についてから見学したのが「トーテムポール」、大きいのです。

その美術館は、そのトーテムポールの高さに合わせて作られたのだとか。

カナダの先住民たちは「カラス」を魔術師ととらえていたとかで、たくさんのカラスが彫られていました。

くちばしに紐のようなものが回されて、あかないものもあります。「夜中にカタカタならさないように」だそうです。

原始的で、素朴で、ダイナミックなトーテムポールを見ていると、

人はいつから「畏敬」とか「共存」とかを忘れたのだろう…と思いました。

自然の中から掴みだしたものを組み合わせて、人の手で大殺戮兵器を生み出した。

それは、自分たちの小ささを忘れこけたた人間の、愚かなおごりだと、私は思っています。

 

再放送…されるといいなぁ。

彼女「石内 都氏」の、著書はこちらです。展示されていた写真も載っています。

アマゾンのページ、表紙写真の下の小さい写真にポインターをあてると見られます。

 

ひろしま
クリエーター情報なし
集英社

 


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2 コメント

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Unknown (陽花)
2012-08-18 21:12:51
着るもの、着ていたものの記憶というか
思い出って気にいったものほどちゃんと
残っていますね。
いつもお下がりばかりだったのに、ある日
可愛い紫陽花柄のひらひらワンピースを
買ってもらったのにその年着ただけで次の年には
着られなくなって泣いた事や、先日も娘たちが
お揃いのエプロンドレスを頑張って縫ったのを
覚えてくれていたり、普段気にしていなかったのに
布や柄って大切な思い出だときずかされました。
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Unknown (とんぼ)
2012-08-19 18:21:12
陽花様

そうなんですよね。
手触りや着心地まで覚えているものもあります。
私の子供のころの服は、さすがに残っていませんが、
息子のものはまだ…。
思い出って、お金では買えないものですものねぇ。
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