昨日入手の羽裏、というより男物羽織です。
ご覧の通り、一目瞭然の「赤穂浪士柄」。
マタデスカ、といわれそうですが、いつのまにか集めてます。
特別「赤穂浪士オタク」ではないんですけれど、
男物の羽裏や長じゅばんには、この「忠臣蔵の柄」がけっこうあります。
それがまたたいがい「名場面」ですから、けっこう面白いのです。
いつの間にか、コレクションになってしまいました。
もっとも、販売するのにヤブサカではございませんが。
「赤穂浪士」につきましては、毎年12月14日近辺になりますと、
あれこれ書いておりますので、今日はこまごま書きませんが、
雪の柄で少しは涼んでいただけましたでしょうか…って違うでしょー。
この羽織、たぶん「大島」だと思いますが、相当傷んでます。
保存上の汚れやヤケはもちろんなんですが、
そこまで行く前に、あちこち黒いしみをつけたりしていて、
ところどころに「ツギアテ」もあります。
こんな感じ。
ついでにこんなにヤケてます。
表をみたとき、こりゃハズしたか…と思ったのですが、
どうもこの羽裏は、あとから付け替えたようです。
つまり、さんざん着て羽裏もホロボロになったので、羽裏だけ付け替えた…。
ですから、表のダメージの割には羽裏はダメージがあまりありません。
残念ながら、しみはありますが…。よっぽど好きな羽織だったのでしょうね。
これは解いて羽裏だけにしましょう。本体は手芸素材ですねぇ。
まぁ場面の説明くらいはさせていただきますと、これは吉良邸の庭での戦い。
真ん中の「二刀流」は「清水一学」ですね。
この人は「かなりの遣い手で、討ち入り当夜は孤軍奮闘のあげく討ち取られた」
とということになっていますが、これはあくまで「お芝居の筋書き」。
元々は農家の出、剣術の腕を買われて士分に取り立てられたそうですが、
実際にはあまり戦わずして、すぐに討ち取られたとのこと…まだ25歳、
もったいないですねぇ。
まぁ事実のほうはともかく、この絵のほうのお話をいたしますと、
元々「歌舞伎柄」という題で出品されていました。
確かに「歌舞伎」ですが、要するに「役者絵・芝居絵」仕立てということですね。
それゆえ衣装やその着方、立ち方なども、芝居がかっています。
清水サンの着方、これは袴をつけて、その袴の股立ち(ももだち)を取っています。
実際には…とまた、そっちに行きますが、当夜は「急襲」です。
映画などでは、吉良方は、袴をつけるどころか、
寝巻きのままで戦う設定のほうが多いですね。
事実はどうであれ、この絵の場合は袴をつけ、股立ちを取っています。
つまり、裾のひらひらした袴は動きをジャマするので、
腰脇の帯のところに、袴をはさんで引っ張り上げるわけです。
こちらがアップ、ちーとやりすぎているようにも見えますが…。
男袴は「馬乗り」ですから、真ん中に股があり、
こうすることで、中の着物も左右に分かれて持ち上げられるので、
足捌きがよくなるわけです。女袴の「行灯」でやっても、
ただの「たくしあげ」にしかなりまへんな。
一方ほかの三人の袴、これは「伊賀袴」といわれるもの、
すねの部分が「脚絆」状になっていて、ひざ下にぴったりあわせて
穿くことができます。上下を紐で結ぶタイプ(この絵のもの)と
こはぜなどで、とめるものがありました。
こちらがアップ、紐が見えますね。
腰紐の部分が袴とは違う白布(たぶん晒ではないかと思うのですが)です。
この袴は動きやすいので忍者が使ったといわれ「忍者袴」とも言われています。
よく似たかっこうで、同じようにひざ下が脚絆の袴に
「たっつけ」があります。お相撲のときの「呼び出し」が穿いている袴で、
後ろが細く、いわば「袴のTバック?」。
さて、この「ひざから下にフィットさせる」というのは、
袴に限ったことではありません。
脚絆というのは、たとえば旅をするとき、あるいは飛脚のように
長距離を走る場合、長く歩き回るシゴトをする場合、に使いました。
脚絆には、筒状の布の上下に紐をつけて縛るタイプ、
こはぜなどで止めるタイプ、同じ筒状で上だけ紐がついているタイプがあります。
上だけ紐っての、実は最近、オシャレグッズでありますね。
太いふくらはぎや足首を隠すのには、ちょうどいいかもしれません。
かつて「ルーズソックス」がはやったとき、
私はいつも「筒型脚絆かい」と思ってみていました。
この「脚絆」ですが、ただ汚れを防止するというだけではなく、
つまりは「サポーター」の役目をするわけですね。
今の時代では ふくらはぎから足首を適度な度合いでしめつけることによって
血流を調整し、足のむくみを軽減するのによいことがわかっています。
最近は専用のサポーターのほかに、そういう効果のある靴下やストッキングが
販売されています。こうしてみると、昔の人は足をうましめつけることで
長旅や長距離の歩行での足の疲れを軽減できる、と
生活の中から学び取っていたわけですね。
さて、脚絆つながりで、こんなものも入手済み…。
これを見て「おぉ珍しい」と、すぐにわかる方、アタシよりきっと年上!
黒船は見ていないワタシ(しつこいってば)は、これも現物を見るのは
これで二度目です。最初はもう、ウン十年も昔、かなりいたんだものでした。
さてどこでみたんだったか…たぶん戦争の資料館のようなところだったかと。
はい、これは「ゲートル」です。フランス語だそうで。
日本では「巻脚絆」といいます。
過去記事で「きっつい着物の着付け」のお話をしたとき、
おなかに晒しを「ゲートルまき」する、なんていうことを書きました。
かなり息苦しくなる記事ですが、よろしかったらそちらもご覧ください。
で、ゲートルですが、盛んに使われたのは当然戦時中です。
昔、戦争に行ったご老人から、ちょっとだけ聞いたことがあるのですが、
「ゲートルの巻き方には決まりがあって、すばやく、決まりどおりに
巻きつけることができないと、ゲンコツくらった」と。
ゲートルというのは、足を保護すると同時にズボンの裾をきっちり押さえ、
どこかに引っかかったりする危険を防いだわけです。
命を守る道具でもあったわけですね。
話ばかりでは、と思い、やってみました。いやー難しいものですわ。
昔のそのご老人のお話、うろ覚えですが、
ゲートルは足首の内側から巻く、ふくらはぎで「折り返し」をして、
最後の三角のところが外側になる…。
やってみましたが、大根足はこんなときまで苦労する…。
いえ、上から撮ってるから、ジツブツより太く写ってるんですよ、ほんとにっ!
とりあえずこんな形、そうです、岩田帯もおなかにこうやって巻きますねぇ。
実際に上まで巻いてませんが、ワタシにはかなり長いと思います。
最後のところは、写真でも見えている長い紐をひざ下の位置で、
結んで止めるわけですが、一人ひとりのすねの長さも太さも違うわけですから、
同じにする、というのは、たいへんだったでしょうね。
結局、ブーツ、つまり「長靴」ですね、それが出てきたり、
また素材も形もいろいろ変わってますし、今はこのめんどくさいゲートルは、
使われて…いるんだかいないんだか…どうなんでしょ。
よく、ニュースなどで外国の記念行事やパレードなどで、
軍隊の行進が出てくると、ショートブーツのようなものだったり、
足首から甲にかけてだけの、カバーのようなものだったりします。
いずれにしても「足のサポーター」というよりは、
「ズボンの裾が広がらないように」という目的優先です。
だったらトレンカにすればいいのにと思いますが…。
伊賀忍者の時代から戦時中の陸軍まで、
いえいえ女性が社会進出して足のむくみに苦労している現代まで、
ふくらはぎをしめることのメリットは、理解されているんですねぇ。
というより、人間の体って、そうは変わってないってことですね。
日の出とともに起き、魚と野菜の食事をとり、よく働き、しっかり眠る、
昔のように暮らすことは、健康的だということで…
あ…このせんべ5枚目だわ…これでやめとかなきゃ(すでに多いよっ!)
[忠臣蔵] [羽織] キーワード
ご覧の通り、一目瞭然の「赤穂浪士柄」。
マタデスカ、といわれそうですが、いつのまにか集めてます。
特別「赤穂浪士オタク」ではないんですけれど、
男物の羽裏や長じゅばんには、この「忠臣蔵の柄」がけっこうあります。
それがまたたいがい「名場面」ですから、けっこう面白いのです。
いつの間にか、コレクションになってしまいました。
もっとも、販売するのにヤブサカではございませんが。
「赤穂浪士」につきましては、毎年12月14日近辺になりますと、
あれこれ書いておりますので、今日はこまごま書きませんが、
雪の柄で少しは涼んでいただけましたでしょうか…って違うでしょー。
この羽織、たぶん「大島」だと思いますが、相当傷んでます。
保存上の汚れやヤケはもちろんなんですが、
そこまで行く前に、あちこち黒いしみをつけたりしていて、
ところどころに「ツギアテ」もあります。
こんな感じ。
ついでにこんなにヤケてます。
表をみたとき、こりゃハズしたか…と思ったのですが、
どうもこの羽裏は、あとから付け替えたようです。
つまり、さんざん着て羽裏もホロボロになったので、羽裏だけ付け替えた…。
ですから、表のダメージの割には羽裏はダメージがあまりありません。
残念ながら、しみはありますが…。よっぽど好きな羽織だったのでしょうね。
これは解いて羽裏だけにしましょう。本体は手芸素材ですねぇ。
まぁ場面の説明くらいはさせていただきますと、これは吉良邸の庭での戦い。
真ん中の「二刀流」は「清水一学」ですね。
この人は「かなりの遣い手で、討ち入り当夜は孤軍奮闘のあげく討ち取られた」
とということになっていますが、これはあくまで「お芝居の筋書き」。
元々は農家の出、剣術の腕を買われて士分に取り立てられたそうですが、
実際にはあまり戦わずして、すぐに討ち取られたとのこと…まだ25歳、
もったいないですねぇ。
まぁ事実のほうはともかく、この絵のほうのお話をいたしますと、
元々「歌舞伎柄」という題で出品されていました。
確かに「歌舞伎」ですが、要するに「役者絵・芝居絵」仕立てということですね。
それゆえ衣装やその着方、立ち方なども、芝居がかっています。
清水サンの着方、これは袴をつけて、その袴の股立ち(ももだち)を取っています。
実際には…とまた、そっちに行きますが、当夜は「急襲」です。
映画などでは、吉良方は、袴をつけるどころか、
寝巻きのままで戦う設定のほうが多いですね。
事実はどうであれ、この絵の場合は袴をつけ、股立ちを取っています。
つまり、裾のひらひらした袴は動きをジャマするので、
腰脇の帯のところに、袴をはさんで引っ張り上げるわけです。
こちらがアップ、ちーとやりすぎているようにも見えますが…。
男袴は「馬乗り」ですから、真ん中に股があり、
こうすることで、中の着物も左右に分かれて持ち上げられるので、
足捌きがよくなるわけです。女袴の「行灯」でやっても、
ただの「たくしあげ」にしかなりまへんな。
一方ほかの三人の袴、これは「伊賀袴」といわれるもの、
すねの部分が「脚絆」状になっていて、ひざ下にぴったりあわせて
穿くことができます。上下を紐で結ぶタイプ(この絵のもの)と
こはぜなどで、とめるものがありました。
こちらがアップ、紐が見えますね。
腰紐の部分が袴とは違う白布(たぶん晒ではないかと思うのですが)です。
この袴は動きやすいので忍者が使ったといわれ「忍者袴」とも言われています。
よく似たかっこうで、同じようにひざ下が脚絆の袴に
「たっつけ」があります。お相撲のときの「呼び出し」が穿いている袴で、
後ろが細く、いわば「袴のTバック?」。
さて、この「ひざから下にフィットさせる」というのは、
袴に限ったことではありません。
脚絆というのは、たとえば旅をするとき、あるいは飛脚のように
長距離を走る場合、長く歩き回るシゴトをする場合、に使いました。
脚絆には、筒状の布の上下に紐をつけて縛るタイプ、
こはぜなどで止めるタイプ、同じ筒状で上だけ紐がついているタイプがあります。
上だけ紐っての、実は最近、オシャレグッズでありますね。
太いふくらはぎや足首を隠すのには、ちょうどいいかもしれません。
かつて「ルーズソックス」がはやったとき、
私はいつも「筒型脚絆かい」と思ってみていました。
この「脚絆」ですが、ただ汚れを防止するというだけではなく、
つまりは「サポーター」の役目をするわけですね。
今の時代では ふくらはぎから足首を適度な度合いでしめつけることによって
血流を調整し、足のむくみを軽減するのによいことがわかっています。
最近は専用のサポーターのほかに、そういう効果のある靴下やストッキングが
販売されています。こうしてみると、昔の人は足をうましめつけることで
長旅や長距離の歩行での足の疲れを軽減できる、と
生活の中から学び取っていたわけですね。
さて、脚絆つながりで、こんなものも入手済み…。
これを見て「おぉ珍しい」と、すぐにわかる方、アタシよりきっと年上!
黒船は見ていないワタシ(しつこいってば)は、これも現物を見るのは
これで二度目です。最初はもう、ウン十年も昔、かなりいたんだものでした。
さてどこでみたんだったか…たぶん戦争の資料館のようなところだったかと。
はい、これは「ゲートル」です。フランス語だそうで。
日本では「巻脚絆」といいます。
過去記事で「きっつい着物の着付け」のお話をしたとき、
おなかに晒しを「ゲートルまき」する、なんていうことを書きました。
かなり息苦しくなる記事ですが、よろしかったらそちらもご覧ください。
で、ゲートルですが、盛んに使われたのは当然戦時中です。
昔、戦争に行ったご老人から、ちょっとだけ聞いたことがあるのですが、
「ゲートルの巻き方には決まりがあって、すばやく、決まりどおりに
巻きつけることができないと、ゲンコツくらった」と。
ゲートルというのは、足を保護すると同時にズボンの裾をきっちり押さえ、
どこかに引っかかったりする危険を防いだわけです。
命を守る道具でもあったわけですね。
話ばかりでは、と思い、やってみました。いやー難しいものですわ。
昔のそのご老人のお話、うろ覚えですが、
ゲートルは足首の内側から巻く、ふくらはぎで「折り返し」をして、
最後の三角のところが外側になる…。
やってみましたが、大根足はこんなときまで苦労する…。
いえ、上から撮ってるから、ジツブツより太く写ってるんですよ、ほんとにっ!
とりあえずこんな形、そうです、岩田帯もおなかにこうやって巻きますねぇ。
実際に上まで巻いてませんが、ワタシにはかなり長いと思います。
最後のところは、写真でも見えている長い紐をひざ下の位置で、
結んで止めるわけですが、一人ひとりのすねの長さも太さも違うわけですから、
同じにする、というのは、たいへんだったでしょうね。
結局、ブーツ、つまり「長靴」ですね、それが出てきたり、
また素材も形もいろいろ変わってますし、今はこのめんどくさいゲートルは、
使われて…いるんだかいないんだか…どうなんでしょ。
よく、ニュースなどで外国の記念行事やパレードなどで、
軍隊の行進が出てくると、ショートブーツのようなものだったり、
足首から甲にかけてだけの、カバーのようなものだったりします。
いずれにしても「足のサポーター」というよりは、
「ズボンの裾が広がらないように」という目的優先です。
だったらトレンカにすればいいのにと思いますが…。
伊賀忍者の時代から戦時中の陸軍まで、
いえいえ女性が社会進出して足のむくみに苦労している現代まで、
ふくらはぎをしめることのメリットは、理解されているんですねぇ。
というより、人間の体って、そうは変わってないってことですね。
日の出とともに起き、魚と野菜の食事をとり、よく働き、しっかり眠る、
昔のように暮らすことは、健康的だということで…
あ…このせんべ5枚目だわ…これでやめとかなきゃ(すでに多いよっ!)
[忠臣蔵] [羽織] キーワード
伊賀袴とは、脛の細い部分と膝から上がつながっているものなんでしょうか?
「源義経」では「はばき」と袴は別物だったんですが、どうなんでしょうか?
http://ningyoya.exblog.jp/blog.asp?iid=2&acv=&dif=&opt=2&srl=7400962&dte=2007%2D11%2D11+16%3A43%3A00%2E000
涼しそうでいいですね。
袴の種類って結構多いんですね。
ゲートルという名は聞いたことがありますが、
多分実際には見ていなかったと思います。
ゲートル巻きなんてよく覚えておられますね。
腹帯の巻き方といわれても急には思い出せないのに・・・ほんと、記憶力がいいですね~
とんぼさん、これを使った羽織を仕立てて、裏
返しに着てみてはいかがでしょう。結構かぶい
た姿になると思うんですが、、。
出ました。ゲートル。そろそろ終戦記念日も近
いことだし。でも、このゲートルはかなり新し
いものではないですか?そんな感じがします。
そのうち是非戦闘帽も見せて下さい。防空頭巾
も。
伊賀袴は、上下つながっています。
平安鎌倉のころにはないと思いますよ。
義経の時代の具足の下は「鎧直垂」、
だったかしら、くくりですよね。
つまり細くなってなくて、
紐でギャザーを寄せて足首を細くし、
その上から具足、はばきをつける…。
戦装束は、戦のやり方の変化に伴って、
形を変えていきます。
義経のころは騎馬戦が主流ですが、
時代とともに個人戦から団体戦に
なっていくと、見栄えよりも
実をとったわけで、
走りやすいとか動きやすいとか…。
元々は山仕事などに使われた袴だそうです。
そういうのが、江戸時代になって、
旅装束とか、職業によって使われるように
なったわけですね。
ただ、実戦向き、ということは、
戦場とか試合において使うということで、
結局、特殊なシゴトの人にしか、
はかれなくなったわけです。
陽花様
ほんとに暑かったです。
袴って和服の中では特に種類が
多いと思います。専門家でも言うことが
違ってたりするんですよ。
アタマ、ごちゃごちゃになります。
ゲートルはジサマが子供のころに
やってたそうです。
年寄りがまわりにけっこういましたので、
いつの間にか記憶に残ってしました。
うんちく様
このゲートルは新品です。
今でも登山などに使う人がいるようですね。
残念ながら「戦闘帽」及び「防空頭巾」は
ありませーん。防災頭巾ならありますが?!
羽裏、けっこう革ジャンやGジャンの背中に
貼って着てる人がいるんですよ。
私、羽裏のいい羽織をそのままひっくり返して
コートにしたのを持ってます。
ひとさまにが作ったものですが。
今年はまだこの時期になるまで真夏日というのが殆どなく、ここ何年かのうちでは過ごしやすいと思うんですが、涼しげなものを見聞きするのはいいもんですね。だから・・というわけではないのですが、先日参加したと書き込んだコンサート(マンドリンです)では、何故だか『そり滑り』という、普通はクリスマスにやるような曲が入っていました。選曲した指揮者に「なんで?」と聞きましたが、「なんとなく・・、涼しそうだから」というわけの分からない返事でした。先月はそれとは別に加わっているオーケストラ(こちらはバイオリンで)のイベントが重なったもので忙しかったのです。
ゲートルっておフランス語だったんですね。実物を見たことがあるのは工事現場で働くおっちゃんの脚に巻かれている状態のものしかありません。無宿渡世人(だけじゃないか・・)が巻いていた脚絆と同じものだと言うことに気付いたのも最近のことです。洋の東西で同じようなものが同時に発達していたというのが面白いですね。何処かで何らかの文化交流があったのでしょうか?
東映時代劇全盛期の頃観た映画(赤穂浪士)を思い起こしております
あれは確か、清水一学役は近衛十四郎だったと思います、吉良邸の庭に架けられた石橋の上で浪士と立ち向かう訳ですが、その時のいでたちは、刺し子の稽古襦袢姿に鉢巻をし更にその締めた鉢巻に手裏剣二、三本を差し込むというものでした、それがまた強いったらありゃしない(笑)
でも橋の下から長槍で足の脛あたりを刺されてしまい、それが一学の最期でしたねぇ・・
こちらも晴れると蒸し暑いです。
コンサートお疲れ様でした。
たまにはゆったりと音楽など
聴いてみたいものです。
文化交流というより「体にいいこと」ってのは
どこでも同じようなことを、
思いつくのではないかと思います。
大差ないってことですよね。
伊藤様
あのころの時代劇は、娯楽の王様でしたね。
主人公が活躍するところでは映画だというのに
拍手がありました。
カッコもとにかく「大仰」でしたね。
「らしく、それらしく」だったのでしょう。
当時の若手が、内蔵助をやるようになって、
自分の年も感じています。