いただいたものの中に。夏用と思われる袴がありました。
一枚は腰板の角の布が擦り切れていまして、こりゃ解くよりないなと…。
腰板というのは、男物の袴で、結んだ帯の上に袴をシッカリ載せるための
カッチリした板です。布でくるみますが、これはあちこち「糊付け」もするもの。
したがってはずすときも、プチプチと糸を切るやらベリベリとはがすやら…。
で、広げてみましたら、芯はボール紙だろうと思っていたのに、
なんと「パナマ」でした。しかもなんか堅苦しい証印が…。
松坂屋のマークですね。
夏物ですから、やっぱり通気性のいいものを使ったんですね。知りませんでした。
さて、これを取り出すのにそぉっとそぉっと広げたんですが…
布に貼り付ける芯地のかわりに「新聞紙」が使われていました。
すごい古いですー。
記事の真ん中らしく、年月日がはっきりわかりません。
どうも内容が偏っているような気がして、そぉっとはがしまして、
ひっくり返してみましたら…どうやらこれは、今で言うところの「芸能欄」。
こんな記事もありまして…「上半期・映画界」
赤い線をひいたところは、私が聞いたことのある(リアルタイムじゃなくって!)
名前です。
早川雪洲というのは、大正の初めからアメリカで映画俳優をやっていたヒト、
売れっ子になり、かなりの資産も残し…で、戦争(第一次大戦)のおかげで、
アメリカからパリへいったりあれやこれやで、結局日本に帰ってきたわけですが、
この新聞の「太秦発声の…」を頼りに調べてみましたら、
昭和8年に「太秦発声(つまりトーキー)映画株式会社」というのができて、
彼は「楠正成」の映画に主演したのだそうです。
つまり、日本でやっと始まった「声の出る映画」に、
外国映画専門だった雪洲が、初出演した、ってことですね。
この雪洲さんはご他聞に漏れず「平均的日本人」で、背が低かったため、
映画であちらの俳優さんと並んで演技をするときは、風呂イスみたいな
台にのったということで、今でもこの台を「セッシュー」というそうです。
で、これが昭和8年、つまりこの新聞は昭和8八年の下半期に出たって事です。
最後の方の「林長二郎」、誰だか知ってる人は、えーと私と同じくらい~。
「長谷川一夫」さんのことですね。
お若い方は長谷川一夫も知らないでしょうねぇ。
私はあの鼻からみょーにふん抜ける「おのおのがた…」を見た年代、
ちょうど今日で59歳なんですよー。
最初の面ではこんな記事
またまた検索ぅ~「青バス」というのは「東京乗合自動車」というバス会社、
戦前のようです。路線は今の中央アタリから海側。
そこの車掌さんの夏の制服ってわけですね。
上着は本麻、スカートはセル(夏物ウール)ですと。
今じゃ制服といえば化繊…ですねぇ。
古い着物を触るとき、こんなふうに中に入っていたり、
或いはそれが包んであったり、この前は反物の芯になにやら難しい証紙が…。
紙芯を作っている老舗にメールでお尋ねしましたら、
元々木の芯であったものを、その会社がはじめて紙の芯にしたのだそうで、
その販売の頃…明治中ごろのものでした。
だからどーだといわれても困るのですが、
博物館や美術館におさまるようなものではないけれど、
こんなふうに、ほんとにあったこと、ほんとに使われていたもの、が、
ふっと姿を現すと、その延長線上に自分がいるのだなぁと。
なんとなくフシギな気持ちになるのです。
私の生まれた1950・4・21はエリザベス女王とおんなじ日…、
なんなんだこの違いは…ははは。
あれから59年目、さてこれからの私、またしょーもないものを
積み上げてゆくのでしょうねぇ、よろしかったらお付き合い下さいまし。
一枚は腰板の角の布が擦り切れていまして、こりゃ解くよりないなと…。
腰板というのは、男物の袴で、結んだ帯の上に袴をシッカリ載せるための
カッチリした板です。布でくるみますが、これはあちこち「糊付け」もするもの。
したがってはずすときも、プチプチと糸を切るやらベリベリとはがすやら…。
で、広げてみましたら、芯はボール紙だろうと思っていたのに、
なんと「パナマ」でした。しかもなんか堅苦しい証印が…。
松坂屋のマークですね。
夏物ですから、やっぱり通気性のいいものを使ったんですね。知りませんでした。
さて、これを取り出すのにそぉっとそぉっと広げたんですが…
布に貼り付ける芯地のかわりに「新聞紙」が使われていました。
すごい古いですー。
記事の真ん中らしく、年月日がはっきりわかりません。
どうも内容が偏っているような気がして、そぉっとはがしまして、
ひっくり返してみましたら…どうやらこれは、今で言うところの「芸能欄」。
こんな記事もありまして…「上半期・映画界」
赤い線をひいたところは、私が聞いたことのある(リアルタイムじゃなくって!)
名前です。
早川雪洲というのは、大正の初めからアメリカで映画俳優をやっていたヒト、
売れっ子になり、かなりの資産も残し…で、戦争(第一次大戦)のおかげで、
アメリカからパリへいったりあれやこれやで、結局日本に帰ってきたわけですが、
この新聞の「太秦発声の…」を頼りに調べてみましたら、
昭和8年に「太秦発声(つまりトーキー)映画株式会社」というのができて、
彼は「楠正成」の映画に主演したのだそうです。
つまり、日本でやっと始まった「声の出る映画」に、
外国映画専門だった雪洲が、初出演した、ってことですね。
この雪洲さんはご他聞に漏れず「平均的日本人」で、背が低かったため、
映画であちらの俳優さんと並んで演技をするときは、風呂イスみたいな
台にのったということで、今でもこの台を「セッシュー」というそうです。
で、これが昭和8年、つまりこの新聞は昭和8八年の下半期に出たって事です。
最後の方の「林長二郎」、誰だか知ってる人は、えーと私と同じくらい~。
「長谷川一夫」さんのことですね。
お若い方は長谷川一夫も知らないでしょうねぇ。
私はあの鼻からみょーにふん抜ける「おのおのがた…」を見た年代、
ちょうど今日で59歳なんですよー。
最初の面ではこんな記事
またまた検索ぅ~「青バス」というのは「東京乗合自動車」というバス会社、
戦前のようです。路線は今の中央アタリから海側。
そこの車掌さんの夏の制服ってわけですね。
上着は本麻、スカートはセル(夏物ウール)ですと。
今じゃ制服といえば化繊…ですねぇ。
古い着物を触るとき、こんなふうに中に入っていたり、
或いはそれが包んであったり、この前は反物の芯になにやら難しい証紙が…。
紙芯を作っている老舗にメールでお尋ねしましたら、
元々木の芯であったものを、その会社がはじめて紙の芯にしたのだそうで、
その販売の頃…明治中ごろのものでした。
だからどーだといわれても困るのですが、
博物館や美術館におさまるようなものではないけれど、
こんなふうに、ほんとにあったこと、ほんとに使われていたもの、が、
ふっと姿を現すと、その延長線上に自分がいるのだなぁと。
なんとなくフシギな気持ちになるのです。
私の生まれた1950・4・21はエリザベス女王とおんなじ日…、
なんなんだこの違いは…ははは。
あれから59年目、さてこれからの私、またしょーもないものを
積み上げてゆくのでしょうねぇ、よろしかったらお付き合い下さいまし。
私は一か月だけ早く生まれておりますが
学年は一年も早いです。
でも中味は・・・
体重だけが勝っている?ようです。
毎度毎度 とんぼさんの博学には敬服しております。
そして その知識を惜しげもなく披露して下さる事に
感謝です。
そうなんです、メンテに時間がかかりまして、
私もあせってました。すみませんでした。
ありがとうございます。
古い着物は、いろいろあって面白いですね。
着ていた人のことを想像するのも楽しいです。
ありがとうございまーす。
こういうタイムスリップは楽しいんですが、
なっかなかねぇ。古着屋さんに行くと、
買いもしないのに、袂を外から探ったり
やってますー。衿の中に恋文でも
縫いこんであったらいいのにねぇ。
お誕生日だったんですね。
遅ればせながらおめでとう御座います。
それにしても古新聞・腰板。面白いですね。
私も古い着物を解くとき、縫った人のことを考えながら楽しくやっています。
過去形になってしまって済みません。
明るく楽しい一年を過ごされますように!
遠い空の下からお祈りしております。
林長二郎、知っておりますですよ~ん。
昔のものを解くって、こんなタイムカプセルを開くみたいなことも起こるんですねぇ。
ありがとうございます。
たいしたことは欠いてりませんが、
お楽しみいただければ幸いです。
クラスでトップに年をとる…。
これって卒業しても変わりませんでしょ。
グループの友人たちはなぜか9月とか
12月で、春に会うと必ず
「もうとんぼは一つ年取ったんだよねー」と
いわれるんですよ。
ありがとうございます。
袂に髪の毛…そりゃ怖いです!
ロッキードなんてかわいいもんですがな。
70年ですか…万博の年ですね。
私はハタチでしたよー。
ありがとうございます。
ほんとに「タイムカプセル」ですね。
そういえば、むかーし「子供新聞」というのを
とってもらっていて、お菓子の広告マンガに
応募したのが掲載されたことがありました。
その新聞は、かなり長いこと
とってあったんですけどねぇ。
もう一度見てみたいです。
ありがとうございます。
以前、伯母の荷物が包んであった新聞が
「清宮様ご誕生」の記事で、仰天しました。
楽しいものですよね。
ボビー・オロゴンですか。
なんかそちらの方が距離が近くて
親しみがもてますね。
以前「切符」がでてきたことがあります。
「手紙」は私も期待しているんですが、
まだ遭遇しておりません。
ステキでしょうねぇ。
ありがとうございます。
ほかには野球選手がいましたよ。
母が古いパナマの草履を持っていましたが、
めったに履きませんでしたねぇ。
今でもパナマ帽って、お高いですよね。
うかがわせていただいております。
よい季節にお生まれだったのですね。学年では一番
おねえさんなのかしら? 私は2月生まれですので
シッポでした。
ますます、健康に気をつけて、たくさんの知識で
潤わせていただきたい!!っと思います。
古い衣装の芯になって、その時代があらわれるって
ロマンを感じて読み入ってしまいました。
嫁ぐとき、子供のころから使ってた紙製の小さな箪笥をごっそり整理したら、引き出しの底に敷いてあった新聞が「ロッキード事件」総理逮捕の一面トップでした!ぜんっぜんロマンチックじゃないけど!(私は’70生まれです。)
きものの時間旅行は面白いけど、袂を解いてて 髪の毛がまとまって出てきたときは…怖かった…。
新聞紙ってタイムカプセルですね。
みいってしまいそうです。
健康で過ごされますように・・・
生まれていない時の新聞なんかは
未知の世界を覗くようで楽しいですね。
古い着物をよく解きますがこんな楽しいタイムスリップに遭遇したことまだありません。襟の芯にへそくりが縫い付けてあるとかたもとに恋文が入ったままになってるとかあったら楽しいのに・・・とかいつも思っています。
それにしてもエリザベス女王様って、そんなに若いんだ!
な訳ありませんよね・・・・
同じなのは誕生日だけ・・・でしたね。
NHK美の壺でパナマ帽子のことを見ました。
すてきな物が腰板に使われていたんですね。
高級品だったかも。