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写真は再出、私物の「繰り回し羽織」、元は両褄の訪問着でした。丈長めです。
着物の質問サイトを覗くと、これからの時期「入・卒」のお話が多くなり、
「黒い羽織」についての質問をよく見かけます。
昨日の「付け下げと訪問着」と同じように、さして長い時間もたたないうちに、
あれよあれよといろんなことが、変わってしまったもののひとつです。
私が子供のころ、入・卒の時期になると、着物に黒絵羽、というスタイルが定着していて、
「カラスの軍団」などと揶揄されていたりしました。
ほんとに「判で押したように」、薄い色の着物に黒絵羽…。
これは「正しいのか」といわれれば、厳密には「黒けりゃいいってもんでもない」です。
結果的に、わずかの間に「言われなく」なりましたが、本来は「紋」がなければただの黒い羽織、です。
ここで「紋」というものについてのモン題、が出てくるわけです。(ダジャレてる場合じゃありまへん)
まずは羽織ってなんだ、のお話から。
元々は武士の陣羽織が始まり…といわれております。
世の中平和になってくると、戦場ではなく、普段の衣装として着られるようになっていくし、
用途も、また形としても、少しずつ変わっていくわけです。
衣服の流れの常道として、だんだん身分の上下差が「着物については、せばまってくる」。
つまり、庶民も羽織を着るようになる…です。
元々武家の慣習から出たものですし、江戸時代、武家の通常の服装、つまり「通勤着」は、
紋付羽織袴、でしたから、なおのこと、庶民が着るとしても「男性」に限られ、
またある程度の立場でないと、着られませんでした。
例えば、大だなの主人から、せいぜい番頭さんまで。手代や丁稚小僧は、普段でも着ることはありませんでした。
これがだんだん緩んで、江戸も終わりに近づくと、女性も羽織を「いけないといわれていても着ちゃった」わけです。
明治になって、服装も自由にはなりましたが、やはり「慣習」といいますか、
私はいつも「着物の出自」という言い方をしますが、つまり生まれや育ちですね。
それが「武家」「男子」ときましたから、やはり着られるようになっても、女性の場合は正装にはなりませんでした。
そういうことをずっと根っこに抱えるのが、文化とか伝統とかいうものなのでしょう。
というわけで、黒羽織は、男性の場合は正装、女性は「略礼装」です。
これがどうかわったか。
元々着物で暮らす、或いは何かあれば着物、という暮らしでは、いわゆる「一通りのもの」を
嫁入りにそろえるのは普通でした。そのリストなども昔の本などには載っています。
つまり「嫁入り準備」とか「ヤング・ミセスの着物ワードローブ」とか…。
それでいくと、まあ留袖、訪問着…ときまして、羽織は「紋付黒羽織、羽織」という記載です。
この場合の「黒羽織」は、地紋はあるけれど、柄のない紋付。
「築地明石町」の絵ですが、これですね。脇のうしろあたりにちらりと見えるのは、おそらく「裏紅絹」。
昔は地紋もない「ちりめん」か「羽二重」だったそうです。しかも本式は五つ紋。
さすがに五つも付けるのはなくなり、今はだいたい女物紋付羽織というと一つ紋です。
柄のないタダの紋付黒羽織、これは慶弔両用に使えます。(実際に、今でも)
お祝いなら、色の明るい色無地や、華やかな吉祥柄小紋などに、帯も華やかにして、
これを着れば、ちょっとしたお祝いごとに使えます。
これがですねぇ、イマドキは「そうやって行くことがない」のですね。
例えばご近所や友人の出産のお祝いとか、何か受賞したとか、長寿のお祝いとか…。
「弔」の方なら、お通夜、告別式。着物は地味目、帯は黒、小物もそれに準じます。
これは今でも通用するものなのですが、なにしろお祝いにしろお通夜にしろ、
今はそういうお付き合いが減りましたし、あってもそんなかっこうでいきませんから、
そういうことが、わからなくなってるわけです。
洋服ならお通夜も告別式も、近親であろうとなかろうと、全身真っ黒が当たり前ですから。
こちらがその「タダの黒紋付」。微妙に丈の違いがありますね。このお話はあとでまた。
左は昭和40年、右は42年です。
黒紋付が一枚あれば…それこそ子供の入学式に訪問着がなくても、色無地がなくても、
細かい柄の上品な小紋に紋のついた黒羽織を着れば「普段小紋」が「略礼装」に格上げされるわけです。
だから「マジック・アイテム」だったわけなんですね。
こちらが絞り柄の「黒絵羽」。これは昭和40年の本なのですが、この本の別ページには、
紋付の柄のない黒羽織が出ていて、それは「弔事用」、となっています。
この絞り柄のものは「上司宅への訪問などに黒があると便利」と書かれています。
つまりこの場合は、紋付でなくても「黒」という色が、かしこまった感じを与える…というわけですね。
柄の入った、俗に言う「黒絵羽」が出てきて、これが人気になったわけです。
ただ、それでも最初のうちは「紋がついてるから、格上げできるんだよ」だったのが、
いつのまにか薄れまして、黒の絵羽ならお祝い事に着られる…になっています。
これは、昨日も書きました「やたら紋がついていると、着られる場合が限られるから」というのも、
影響したのだと思います。
つまり、昔は「柄ナシの黒紋付と、ちょっとちりよけのオシャレ用の色羽織」
これが「一通り」のうちの最低限の二枚…できればこれに地色が黒の絵羽があればなおけっこう…だったものが、
だんだん着物が着られなくなって、めったに着ないんだから、「弔」の方は喪服か洋服の黒でいいから…
という感じで、黒紋付はなくなり、それで絵羽織で紋もなくてもOKになっていったのではないかと思います。
ごく最近の「着物質問コーナー」で「入学式に黒絵羽を着ようとおもうが、古めかしいだろうか」
というような内容のものがありました。
あらら、そんな質問もでるようになったんだぁと、ちとびっくり。
確かに、色無地や江戸小紋に黒の絵羽、というのは「カラスの軍団」といわれた、
あの時代の象徴的な姿ではありますが、ただ古めかしい…というのはちょっと抵抗があります。
ならば今、築地明石町のように着たら「時代劇じゃないんだから」とか
「いくらなんでもふるっ!」とかいわれるでしょうか。そんなことありませんよね。
クラシックな雰囲気はするけれど、いいものだ…と、私だったら思います。ちゃんとしてるなぁと。
着物の流行は、今の私がミニ・スカートをはくのとは意味が違います。
古めかしいのではなく「昔ながらの礼装(略ですが)」ということです。
ただ、私があの姿があまり好きではなかったのは「身丈の短さ」です。
昭和30年代も後半になるにしたがって、洋装の軽快さを追ったせいか、羽織丈はだんだん短くなり、
普段家で着るにはいいけれど、お出かけにはなんだか安っぽく見えてしまう。
黒の絵羽だって長さがある程度はあったほうが、品格もあります。
カラスの軍団は、なんだか尾羽の短い鳥の群れみたいで、いやだったのです。
元々羽織は着尺地で作るのが普通で、身丈の四分の三、マイナス二分…というのが形よいとされていました。
私で言うなら身長152センチですから、計算するとだいたい87センチくらいです。
(すみません、先に書いた記事で、計算間違えまして…やたら長いと思ったんです)
羽織丈って、ほんの2~3センチでも、見た目がずいぶん違うものなんです。
自分に合う羽織丈を知りたかったら、着物を着た上に、もう一枚の着物の裾を内側に折りあげて、
待ち針でとめて、羽織って後姿をみると感じがわかります。
もちろん色柄にもよります。私は目的や色柄で羽織の長さも変えています。
一番長くて95センチくらいありますが、これはもうコートがわりで、もんぺの上に着るサイズです。
トップの写真はもんぺ(私の場合は下がズボンタイプ)に着るつもりで繰り回してもらったもの、
なので私にしてはちと長めです。
おしまいに、こんなページがあったので…。
まぁ、色柄はともかくとして、長めですよね。ちなみに昭和28年の本です。
今、長羽織、とよく呼ばれているものは「中羽織」。一時期短くなったので、中羽織も今は長く見えるのでしょうね。
着尺一反使う、例えば男物の紋付などは「本羽織」。
普段用の衿がないとかウールやニットなどの家庭用は茶羽織です。
羽織は、洋服で言うと「スーツの上着やブレザー」の位置づけ、道行や道中着は「コート」の位置づけ。
つまり「家の中に入って脱ぐか脱がないか」…です。
礼装を着るときには女性は羽織は着ないので、礼装として着る着物には羽織は着ません。
だから黒紋付を着て入卒に…というのは、礼装にはならない着物でも、これを着ると略礼装になるよ、という
マジック・アイテムだった…というお話なのです。
昔のお通夜は「縞の着物に黒羽織」でよかったのです。今は、着ても色無地や江戸小紋です。
その着物に紋がついていれば、実は黒紋付の羽織は着なくてもいいわけです。
そのあたりがもう、ゴチャゴチャですね。
でも、どこまでいっても、礼装には羽織は着ませんから、訪問着や付け下げに着る場合は、
あくまで防寒、ちりよけ、現地に着いたら脱ぐのが礼儀です。
だから道行を着るのですね。ただし…これはいつも入卒のお話が出ると書くのですが、
入卒ってだいたいは体育館とか、そういう広いところでやりますね。長い時間じっと座っていると寒いです。
だから防寒に羽織を着るなら、下は小紋か色無地程度でいい…ということなんです。
いろんなことがごっちゃになっています。どれもこれもおかしいとか、めちゃくちゃとは思いません。
着るものも、着物の持ち方も、着方も、いろいろ変わってきています。
イマドキ縞の着物に黒羽織でお葬式には行かないように、色無地で黒絵羽で紋がないなら、
おかしいからやめたほうがいい、なんていうのはヤボというものでしょう。
ただ、「何でそうなっているのか」を知っておくと、納得して着られる…それだけのことなんですけどね。
それでも伝えてほしいことだと思うのです。
幸いに今のところ、非難された事は無いのですが、陰で何と言われているか、は不明です。
とにかく好き、で通そうと思っておりますが。(もちろん、真面目に勉強しますね)
よろしくお願いします(^_^)V
今はベリッとテープでつけるものが出ていますよね。
今はまったく着なくなりましたが、貴重な経験をしました・・・ゆるくすると、動いていたら崩れてきて格好が悪いから、といってきつく締めすぎて吐き気が出たときもありました
着物にも歴史があって素敵ですね
お見舞いに行くのに黒羽織なのですが、もうもう最高にカッコよく美しい~♪
この「築地明石町」の姿も素敵ですねぇ。
「黒羽織が欲しい!」と思うも、とんぼさんが書かれてらっしゃるように、着る機会が無いんですよ。
最後の羽織のスタイル画!
まだ羽織が普通に着られていた頃ですね。
着物や帯との取り合わせが何気無いようで、ちゃんと決まっていて、素敵ですわぁ。
人になにを言われても、それが実際に
みっともないことでなければ
気にしなくていいと思います。
おたいこがはずれちゃってるとか…。
何かお役に立つことがあったらとおもっています。
ご質問も、右上のとんぼへのおたよりから、
いつでもどうぞ。
着物はコツがいろいろあって、
帯がゆるみにくいとか、動いても乱れにくいとか、
それは親から教えてもらって覚えることだったんですけどねぇ。
着物はずっとなくなってほしくないものだと思っています。
そうなんです。
結婚した手のころに、一度は歯の借り物でお通夜にいきまして、
私もほしいからといったのですが、結局作らずじまい、
でもまったく用がなくて、作らなくてもまにあった…。
なんか、寂しいですね。
このスタイル画、今の私は40代くらいの組み合わせですねぇ。
このの感じで行くと、60以上は、もんのすごくババ臭い気がします。
そこんとこはシャクなんですが、色使い、取り合わせ、昔はサラリとやっていたのでしょうね。
私の母の頃は入・卒業式等の慶事には黒絵羽で、黒羽織は弔事、と聞いていました。
その前は、どちらも黒羽織だったんですね。
男物はそうですから、それも頷けます。
女物の羽織については、いちばん始めに着始めたのは芸者さんだったとどこかで読んだことがあります。
ちょっと怪しいですが、深川かどこか、鯔背を美風としていた土地の芸者さん達だった、と思います。
個人的には羽織が好きで、でも普段着ですから新しく作るほどではなくて、お下がりとか古着とかを着ています。
丈もお下がりの75cmくらいから95cmくらいの長羽織まで色々です。
今新しく作る方は、もっと長いものもあって、道行並のふくらはぎあたりまであるようなものもあるようです。
よく着るのは大島や銘仙ですが(着物も紬が多くて)、古着で黒絵羽もあります。紋なしで柄もセキセイインコみたいな鳥なので、普段に着たり、です。
羽織は、着ていても着物や帯が見えますし、軽くて活動的な感じに見えるところが好きです。
母も両方持っていましたが、絵羽が丈が短くて好きじゃないといってました。
母の言い方ですと「尻たたきみたいな丈」…。
深川芸者がお客さんの黒紋付を着たのが始まり…というのが通説ですね。
深川は、幕府公認の「花街」ではありませんでしたので、
芸者と言ってもいわばBランク扱いだったそうですが、
なればこその気風のいい芸者が多かったそうです。
男物羽織を着てはいけないという時代でしたから、彼女たちは、
髷もオトコ髷に結って(あの三社祭でたっつけ袴はいて花笠を背中に下げる
あのときのヘアスタイルです)源氏名もわざと「○吉」とか
「○太郎」というような、男の名前にしたのだそうですよ。
男なんだから羽織着たっていいだろう、という、お上へのしゃれた反発ですね。
私、昔は羽織は好きではなかったのですが、隠せるけど見える、
というメリットから、最近は数ほしいと思っています。
私のもけつこう古着が多いのですが、無地のお気に入りが、
大雨にあってシミがとれませんでした。おなじようなものがほしいと…
欲はちっともおさまりません。
私の母たちはホントそうでした。
そのイメージがあって私にとって羽織と言うとその一団を思い浮かべます。おっしゃるように丈が短め。
羽織ともそういうものだと思っていました。
で、あまり好きなイメージではなかったのですが
後になって長いものがあると知って長めのものを作りました。
これは帯の下手な結びも隠せるしで大好きなアイテムになりました(笑い)。
そうそう、みんな真っ黒けでしたねぇ。
私も短いのがすきではなくて、嫁入りには羽織は1枚しかもってきませんでしたが、
好きな長さにできるようになって、今じゃ「乱れ帯隠しアイテム」ですー。
便利ですよね。