トップ写真は、また「再出」の明治の写真。本の表紙です。まんなかの若い女性の半衿、大きく出ていますね。
これは作られたショットで、人力車がうしろにひっくり返った…という設定。
車軸の間に、お客の草履がはさまってるあたり、芸が細かいですね。
いえ、昔の着方…のちょっとした見本…のつもりの写真です。
先日の最後のところに「自由に着る」ということは、「知って」「選ぶこと」と書きました。
「知る」ということは「知識」です。「選ぶ」ということは「知恵」です。
どちらが少なくても多すぎても、ハズれてしまうことが多い…ハズさず楽しむ…これが着物の極意…、
なーんて難しいことはいいません。どれも「場数ふみゃわかってくる」ことなのだと思います。
かつて、ほとんどを着物ですごした世代があり、そのあとは着物と洋服ごちゃ混ぜ世代があり、
そして今の「ほとんど洋服」世代があります。
いまのうちなんです。かろうじて着物を着ていた過去を持つ人に、話を聞けるのは。
すで私の世代では、着物が着られない人も数多い世代に入っています。
知っていることを、できるだけ伝えたいと思うのです。
「着付け教室に行けば、着方はわかる」のですが、それは「基本」であって「応用編」はわずかです。
なんでもそうですが、学校で習うことは「基本」であり、社会へ出ると、ほとんどが応用編です。
着物を着るという作業は、袖に手を通し、まといつけて腰紐を結び、おはしょりを整える。
これだけのことです。着物を着ることを知っている人がいたら、30分もあれば教えてもらって着られます。
これが基本です。ここから先が応用で、形よく着るとか、その人にあった着方をするとか、そういうことです。
着物を着たとき、自分の後ろ姿を見たことはありますか?いや、カンタンには見られませんが、
写真に撮ることはできますね。きどったり、「きをつけっ」の姿勢ではいけません。
いつもどおりに立ったり、ちょっとひざを緩めて片方少し足を前に出したり、ちょっとカオだけ横に向けてみたり…。
つまり自分がヒトから見てどんなかを確かめるのです。いろんなことがわかります。
それと、どなたかに手伝っていただいて、後ろの衿の部分を少し高い位置から、
つまり「見下ろす形で」の写真を撮ってもらってみてください。自分の「衿足」を見るわけです。
半衿がきちんとついていないと、ここでヘンにゆがんでいたり、余分なギャザーが大きくよったり…。
もうひとつは、着物の衿と半衿、つまりじゅばんの衿の重なり具合です。
時々、じゅばんの半衿の方が少し出ている人を見ます。間違ってますか?マチガイではありません。
浮世絵などを見ますと、ものすごく出ていますよね。
元々、着物だけで暮らしていたときは、今ほどきっちり着てはいませんでした。
一日中着物で、掃除も洗濯も台所も、様々な動きを全部着物でするわけです。
そんなにきっちり着ていたらしんどいし、またそれだけ動いたらあちこちグズグズになります。
元々「着物」の形と言うものは「着崩れて当然」のものなのですよ。
洋服と言うのは、人の体の形に合わせて、布を曲線で裁って縫い合わせます。
だから体にピッタリするわけですが、では動きやすく、また着崩れないかと言ったら、そうでもないときもありますね。
例えば、体にきちんと添った形のスーツなどを着ると、高いところに手を伸ばすと袖がツレます。
ブラウスやシャツなど着て、スカートやパンツをはき、それであれこれ動くと、
ウエストからブラウスやシャツが引っ張りあげられて、やがてブラウジングしたようになります。
スカートやパンツでいきなりしゃがめば、後ろのベルト部分は下に引っ張られ、背中が見える…なんてこともあります。
つまり、洋服と言うのは、人間の体そのものの曲線を美しく見せる作り方なのです。
豊かな胸や、きゅっとくびれた腰やその下の、エーと今は「小尻?」、そしてすらりと伸びた足…。
いや、全然そうでない人であっても、要するに人の体の曲線を表に現すようにできているわけです。
だから少しでもバランスがいいように肩パッドを入れたり、腰が細く見えるベルトをしたり、
下着でもよせたりあげたり…するわけですね。だから洋服だって着崩れるのです。
着物は、体の線を現すのではなく、全部隠した上で、動きによる美しさをあらわす作りです。
江戸時代、いろいろうるさい規制がかかって、地味なものしか着られなくなって、
裏勝り、というものがはやりました。着物はジミでなければ、といわれても、中は何も言われていないとばかりに、
シブい縞の着物からは、こぼれるような緋鹿の子のじゅばんや、まっかな裾よけを覗かせたり、
長い袂の「振り」に紅絹を使ったり…。でも、今の着方だと、いくら派手なじゅばんを着ても、
浮世絵のようにはあれこれ見えませんよね。つまりキレイに着すぎているからです。
キレイに着ることがだめだといっているのではありません。
着物しかなかった時代の、それがオシャレだったことと、最初に書いた「着物でなんでもやる」ということで、
元々そんなにキッチリとは着なかったのです。動けばあちこち見えて当たり前。
明治時代の写真を見ると、外国のお土産向きの「作られた写真」であっても、結構いい加減に着ていたりしますし、
スナップ写真などは、おばぁちゃんなんぞ「今そこで襲われました」…なんていうくらい乱れて、
グズグズでダラダラです。それでないと動けなかったのですよね。
少しずつ時代が変わって、井戸でつるべの水を汲まなくてもよくなり、
お座りして台所をしなくてもよくなり(昔の一般家庭の台所は、座ってまな板使ったりしました)、
子供を背負ってあやすとか、荷物を担いで歩いたり…なんてこともなくなっていきました。
だから、きれいに着る…ということが始まったわけです。
中でも半衿の出し具合などは、大きな髷を結わなくなって、バランス的に大きく抜かなくてもよくなりました。
こちらは、京都の町でであった舞妓さんの後姿です。お稽古帰りか、髪結いさんの帰りか、
派手な舞妓衣装ではなく、舞妓の証の小さな肩揚げもかわいらしい小紋の普通の着物です。
それでも髪を結っている分、衿の抜き方も大きいし、更に左右に広げて着ていますね。
こんなところも少しずつ変わってきたわけです。そして、後ろの衿とじゅばんの衿の重ね方も、
別にじゅばんの方が出ていても、昔はあまり気にしなかったのです。
また、たまにこのU字型の衿の下(肌と接しているところ)から、チラリと肌じゅばんが見える人がいます。
別にかまわないのですが、それがシワシワでブザマに出ていたら興ざめですから、
出すならきれいに衿に沿わせる…。そのために、肌じゅばん専用の細い衿芯もあると聞いたことがあります。
私はゼッタイ見せないほうなので、花嫁さん用の、後ろ衿ぐりの深いものを着ていますが。
母は「チラリと覗かせるのは、ちょっといいもんだ、但しそのときは赤に限る」と言ってました。
つまり肌じゅばんが「赤」と言うことです。私は嫁入りの時に赤い肌襦袢を持たされました。
ただ、普通のではなくメリヤスだったかネルだったかで、厚地のぽってりしたものでした。
どういううわれがあるのか知りませんが、確か「おなかが大きくなったら着ろ」といわれたような記憶が…。
縁起物だったのかもしれません。
赤い肌じゅばんは、もっぱら「芸者さんたち(日本髪を結っている方)」がお召しになって、
大きくくれた後ろの衿から、真っ赤な肌だじゅばんをチラリと覗かせていたりします。
そういう芸者さんは、大きくくれたところに白半衿ですから、チラリと赤い線はなまめかしくてステキです。
さて、いつものように「あれっ何のお話してたっけ?」になってしまいましたが、
つまり、衿の抜き方だとか見せるとか見せないとか、それはどれも間違ってはいないということなんです。
ただ、今の時代でいうと、きちんとキレイに着ているほうが眼になれていますから、
どこかずれていると「だらしない」とか「ちゃんと着ていない」と見えてしまうわけです。
明治のころのようにグズグズでいいとは申しませんが、逆にあまりにもキッチリ着すぎると、
苦しいだけの、「立っているとききれいに見える着物」に、なってしまうということです。
歩いたとき、右足を出すとキレイに八掛が翻ってはスルリと戻る、
ヒザのうしろあたりにUの字のドレープがきれいに出る…そういう「動いて美しい」のが着物。
これは中原氏も言っていました。
洋服だって、例えばウエストだけはピッタリでも下はヒラヒラと広がったフレアスカートやギャザースカートなどは、
歩くとスカート部分がフワンフワンと動く、アレがキレイですよね。
「動くと見える姿のよさ」は、着物の「得意技」だと、覚えていてください。
次はおはしょりのお話しをしようと思っています。
ピッチリと着物を着られるもの・・と
感心する着方の方を見ます。
衿の抜き加減、半衿の幅、胸元の打合せ
帯の位置で個性が出ますね。
あちらこちらに 皺 弛み
おっと お肌の事では無く 着付け
正装・盛装 としての着付けでなければ
多少の 皺 弛み は 味になるかしら?
私は、ちょっと引っ張ったりすれば直せる部分が崩れたままというのが気になります。(脇の緩みとか~)
昔は公然とお女郎さんなどがいたわけですから、素人は一線を画さなくてはいけない!というのも強かったのだと思いますが、今では素人が進んでそれを真似する時代ですものねぇ。
私などはどこがグズグズしているよりも、普段着で、いわゆる「ちりけが見えるほど」抜いた衣紋の方がなんだかだらしなく見えます。
着付けた時と仕事が終わったときと
変わりないのが「本格の着付け!」と
そりゃもう…(・・;)
普段着なら全体的に、ゆったりで、よそさまから見て
不快でない程度の色あわせなら
アリじゃないかなぁと。
絞りがのびるほどぎっちり半襟をあわせるのを
そりゃないだろ~!と同じように
臨機応変もできる部分が和服にはあるのよと
とんぼさんみたいにお話しできる方がいると
なぁ…と、おもいます。
次のお話、お待ちしてます。
あんまりきっちりだと、見ているほうがしんどくなります。
まぁ礼装ならば仕方ないですが。
教科書どおりでは個性は出ませんよね。
衿元グズグズというと、昔の近所のオバーチャンになってしまいますが、
体に合わせてゆったり着るのは、
むしろ中年の特権かな…なんて思っています。
カオのシワと緩みに合わせて???
わー、グダグダになりそー。
きっちり着ていても「出るところは出る」んですよね。
脇がでろんとしていると「あー」と思います。
あわてて自分のも見たりして…。
衿元って、いろんな印象を与えますよね。
私も必要以上に肌の見える分量が多いと、気になるほうですね。
着物もやっぱりTPOはあるし、その辺は洋装も和装もかわらないんですよ。
着物を着ることを、洋服を着るのと同じように楽しめるようになるには、
やはり「経験値」だと思いますねぇ。
言葉や文字では表せない感覚的なものですから。