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モノは錦紗、使いこまれてシナシナ、やわやわです。
元はもちろん着物であったと思いますが、手元に来たときには「八掛」着分、
つまり、着物として着倒して最後に残ったいいところを八掛にした…ですね。
大きいパーツは、縫いあとが袖のようです。
柄のタテの縞模様は、染絞り風です。
アップにするとこんな感じ。あっ、ちっと白くなっちゃいました。
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あくまで和風ってのがいいですね。
一緒に出品されていたのがこちらの無地ちりめん、こちらも八掛分。
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もしかすると、この更紗が着物だったときの八掛かもですね。
これをあわせて「昼夜」の作り帯にしたらいいでしょうねぇ、
ひっかけの作り帯、いいかもしんない!?お太鼓だけどこんな感じ…。
更紗柄は今でもあります。でもなんかどこか違う、と感じてしまうのは、
単純に「昔好き」の勝手な思い込み?でしょうか。
日本という国は、島国で、しかも「イースト・エンド」といわれるように、
ハテのハテ、地図で見れば国の東側は大海しかありません。
それゆえ「モノや文化の流れ」というものが大海を越えて交流することはなく、
西側の大陸からのルートだけでした。
しかも、いよいよ大きな船で世界をめぐる時代になったとき、
日本は「入ってこないでぇ」と、鎖国状態。
更に更に、日本人というのは元々が勤勉で努力型、美的センスも感性も優秀で、
おまけにおまけに「器用」な民族でした。
だから、外から入ってきたものをただそのまま受け入れるだけでなく、
そのよさを十分に堪能した後は、それをわが国の気候風土や、
社会情勢、国民性に合うように自由に作り変えたり変化させたり、
さらには材料や技術が手に入らないときは、替わりのものを見つける、研究する、
そうやって、日本独特のものをつくりあげ、積み重ねてきたわけですね。
例えば、ずーっと前にお話ししたことがあるかと思いますが、
「金唐革紙」というのをご存知でしょうか。
間違えて「きんかわからかみ」って言いそうになるんですけど。
元々はヨーロッパの「革の壁紙」です。
ヨーロッパの石造りの家で、その冷たさや隙間風を防ぐために、
動物の皮に金属箔の型押し模様をつけ、ニスを塗り艶出しをして硬くしたものを、
壁紙がわりに壁にはったりぶら下げたりして使ったと言われます。
これが17世紀に日本に入ってきたわけですが、元々気候風土も違い、
家の作りも違う日本では「タペストリーや壁紙」には用がなかったわけです。
しかし、革製で渋く金銀が貼られつやつやと美しく輝く、
そんないいもの誰がほっておくものか…??で、結局これはもっと小さいもの、
例えば刀の鞘とか巾着とか、陣羽織などの飾りとか、そんなものに
使われるようになりました。
ところが、これが日本ではできない、つまり農業国の日本では、
革を生活の中に取り入れるということが少ないうえ、仏教国ですからね、
革を素材に使うということが少ないわけです。
そこで後年、考え出されたのが「和紙」を使う方法でした。
丈夫でメッタに破れない和紙の技術と、版画(浮世絵)の手わざ、
そて漆塗りなど「塗り物」の手わざ、これが合体して、
和紙のに型押しで箔模様が浮き出た、漆の輝きの壁紙、ができたわけです。
革の壁紙に負けないものを作り出しました。擬革紙といいます。
てっとり早く写真をごらんいただくくとこちら。
これは明治に入って逆にヨーロッパにおおいに輸出されたといいます。
ことほど左様に、日本と言うのは「美」に関しては譲らない?、
優秀な民族だったわけで、更紗も結局は「和更紗」というものを
生み出したわけですね。この更紗柄などは、更紗の一つ一つを見れば、
確かにオリエンタルな更紗ですが、そこに染疋田で青海波や鹿の子など、
純和柄を区切りの縞模様として入れています。
それがちっとも違和感なく、互いに引き立てあっていると思いませんか?
惚れ込んで、ほっぺにスリスリして…コラコラ汚れるわいな。
古布はどれも見ているだけで、しあわせ~な気分になりますが、
これはほんとにもう一度何かにして形を持たせてやりたいと思います。
さてちょっとおまけ話
昨日の夕刊での囲み記事、ちょんまげに新撰組風の羽織袴姿の男性3人組、
川崎のJ1「フロンターレ」が始めた「席ツメ隊」という一団、
スタンドを練り歩いて「席譲り合ってくださーい」とやるのだそうです。
薄浅黄の羽織の背中には「席」の文字…。
パッと見たときには、電車の中でやるのかと思いました。
でも、席を譲り合うのとツメるのとではちっとニュアンス違う気がします、
なーんてうるさいことを言うから「オバサンは」と言われてしまうのですね。
最近乗り物に乗ると車内放送で、いかにも「この地点にきたらこれを言う」と、
台本がありそーな、きのなさそーな声で「ご乗車のお客様にぃ…お願い致します、
混雑して参りましたらぁ…席をおツメ下さいましてぇ…
一人でも多くのお客様がお座りになれますよう…
ご協力をー…よろしくお願いいたしまぁす、次はぁ○○ぅ○○でございます、
お出口はぁ…」、つめられる前に降りちまうわいっ!
昔は「ツメる」といわず「恐れ入りますが、おヒザをお送りくださいまして」と
そういう言い方をしたように思います。「ヒザおくり」ですね。
ちょっとずつ腰を浮かして、ヒザ一つ分つめる、奥ゆかしい言葉ですけど、
今の人には通じないでしょうかねぇ。
元はもちろん着物であったと思いますが、手元に来たときには「八掛」着分、
つまり、着物として着倒して最後に残ったいいところを八掛にした…ですね。
大きいパーツは、縫いあとが袖のようです。
柄のタテの縞模様は、染絞り風です。
アップにするとこんな感じ。あっ、ちっと白くなっちゃいました。
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あくまで和風ってのがいいですね。
一緒に出品されていたのがこちらの無地ちりめん、こちらも八掛分。
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もしかすると、この更紗が着物だったときの八掛かもですね。
これをあわせて「昼夜」の作り帯にしたらいいでしょうねぇ、
ひっかけの作り帯、いいかもしんない!?お太鼓だけどこんな感じ…。
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更紗柄は今でもあります。でもなんかどこか違う、と感じてしまうのは、
単純に「昔好き」の勝手な思い込み?でしょうか。
日本という国は、島国で、しかも「イースト・エンド」といわれるように、
ハテのハテ、地図で見れば国の東側は大海しかありません。
それゆえ「モノや文化の流れ」というものが大海を越えて交流することはなく、
西側の大陸からのルートだけでした。
しかも、いよいよ大きな船で世界をめぐる時代になったとき、
日本は「入ってこないでぇ」と、鎖国状態。
更に更に、日本人というのは元々が勤勉で努力型、美的センスも感性も優秀で、
おまけにおまけに「器用」な民族でした。
だから、外から入ってきたものをただそのまま受け入れるだけでなく、
そのよさを十分に堪能した後は、それをわが国の気候風土や、
社会情勢、国民性に合うように自由に作り変えたり変化させたり、
さらには材料や技術が手に入らないときは、替わりのものを見つける、研究する、
そうやって、日本独特のものをつくりあげ、積み重ねてきたわけですね。
例えば、ずーっと前にお話ししたことがあるかと思いますが、
「金唐革紙」というのをご存知でしょうか。
間違えて「きんかわからかみ」って言いそうになるんですけど。
元々はヨーロッパの「革の壁紙」です。
ヨーロッパの石造りの家で、その冷たさや隙間風を防ぐために、
動物の皮に金属箔の型押し模様をつけ、ニスを塗り艶出しをして硬くしたものを、
壁紙がわりに壁にはったりぶら下げたりして使ったと言われます。
これが17世紀に日本に入ってきたわけですが、元々気候風土も違い、
家の作りも違う日本では「タペストリーや壁紙」には用がなかったわけです。
しかし、革製で渋く金銀が貼られつやつやと美しく輝く、
そんないいもの誰がほっておくものか…??で、結局これはもっと小さいもの、
例えば刀の鞘とか巾着とか、陣羽織などの飾りとか、そんなものに
使われるようになりました。
ところが、これが日本ではできない、つまり農業国の日本では、
革を生活の中に取り入れるということが少ないうえ、仏教国ですからね、
革を素材に使うということが少ないわけです。
そこで後年、考え出されたのが「和紙」を使う方法でした。
丈夫でメッタに破れない和紙の技術と、版画(浮世絵)の手わざ、
そて漆塗りなど「塗り物」の手わざ、これが合体して、
和紙のに型押しで箔模様が浮き出た、漆の輝きの壁紙、ができたわけです。
革の壁紙に負けないものを作り出しました。擬革紙といいます。
てっとり早く写真をごらんいただくくとこちら。
これは明治に入って逆にヨーロッパにおおいに輸出されたといいます。
ことほど左様に、日本と言うのは「美」に関しては譲らない?、
優秀な民族だったわけで、更紗も結局は「和更紗」というものを
生み出したわけですね。この更紗柄などは、更紗の一つ一つを見れば、
確かにオリエンタルな更紗ですが、そこに染疋田で青海波や鹿の子など、
純和柄を区切りの縞模様として入れています。
それがちっとも違和感なく、互いに引き立てあっていると思いませんか?
惚れ込んで、ほっぺにスリスリして…コラコラ汚れるわいな。
古布はどれも見ているだけで、しあわせ~な気分になりますが、
これはほんとにもう一度何かにして形を持たせてやりたいと思います。
さてちょっとおまけ話
昨日の夕刊での囲み記事、ちょんまげに新撰組風の羽織袴姿の男性3人組、
川崎のJ1「フロンターレ」が始めた「席ツメ隊」という一団、
スタンドを練り歩いて「席譲り合ってくださーい」とやるのだそうです。
薄浅黄の羽織の背中には「席」の文字…。
パッと見たときには、電車の中でやるのかと思いました。
でも、席を譲り合うのとツメるのとではちっとニュアンス違う気がします、
なーんてうるさいことを言うから「オバサンは」と言われてしまうのですね。
最近乗り物に乗ると車内放送で、いかにも「この地点にきたらこれを言う」と、
台本がありそーな、きのなさそーな声で「ご乗車のお客様にぃ…お願い致します、
混雑して参りましたらぁ…席をおツメ下さいましてぇ…
一人でも多くのお客様がお座りになれますよう…
ご協力をー…よろしくお願いいたしまぁす、次はぁ○○ぅ○○でございます、
お出口はぁ…」、つめられる前に降りちまうわいっ!
昔は「ツメる」といわず「恐れ入りますが、おヒザをお送りくださいまして」と
そういう言い方をしたように思います。「ヒザおくり」ですね。
ちょっとずつ腰を浮かして、ヒザ一つ分つめる、奥ゆかしい言葉ですけど、
今の人には通じないでしょうかねぇ。
更紗と言うのはフシギな柄で、一杯いろ柄があるのに
けっこうなんにでも合うんですよね。
お手に入れられた更紗帯、拝見してみたいです。
陽花様コメントスミマセンでした。
ほんとにドジです。
こんな更紗、着物でも着たかったですー。
蜆子様
そういうお茶碗、ぜひ拝見したいものです。
名物裂は、ホンモノは年代モノで傷みがありますし、
新しいものはなぜか「それらしい」ばっかりで、
重みが感じられませんね。
がんばってよいお着物(器さんの)、
見つけてあげてください。
zizi様
洋服になっていたら、それなりにすんなり、
みえてしまいそうですね。
眺め眺めで日が暮れております。
ちょ~ちょ様
お久しぶりです。
私もときどきおじゃまさせていただいてます。
こんな風に、思い通りの布と出会うのは、
なかなかありません。
蝸牛様
ほんとにモダンですよね。
レトロモダンっていうんでょうか。
手触りはもぉ、スリスリしたくなるですー。
きっと手触りも・・いいんでしょ!
素敵な布ですね。
思わず、コメント。
ひさしぶりですが、いつも楽しみに読ませていただいています。
古布も見ていると時間ばかり経ってしまって(汁;
袋は才覚で作るようにいわれていますが(もちろん袋はプロに頼むのですが)本当に生地がみつからない。
このような表で、裏がその縮緬ならばと言うことなしだわと想像です。
古布でやわらかくしっとりした手触りで、しゃれていて・・・本当にみつかりません。
いわゆるそれように作られた名物きれならばあるのですが、そんなのでは面白くないのです。
そういうことだったのですか・・・
更紗模様っていうと全体にというのが多い
ですが、こうした縞更紗もいいですね。
昼夜の作り帯にされたらとってもいい感じ
だと思います。
昨年来 更紗柄の帯を探していて つい先日
一衣舎さんの春展で更紗帯を買い求めました。
白系を探していたのに目に入ったのは
黒の地色の帯に焦げ茶の更紗柄の手書き(らしい)。
これだけ多色だと どんな色の着物でも合いそうですね。
良いな~