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写真は、これといって話題にあうものを思いつかなかったので、とりあえず古い「黒振袖」の再出。
あちこちの着物ブログで、着物についてのいろいろなお話を読みます。
年代にもよるのだと思いますが、「着物は決まりごとが多い」とか「細かすぎる」とか、
また更に進んで「ルールに縛られるから着物は着られなくなる」とか
「もっと自由でいいんじゃないか」とか、いろいろなご意見を見かけます。
私も、過去記事で「○○のときは、こういう着物で、帯は何々で」と書いています。
でも、ルールとかしきたりと言う言葉はいつも使うのに抵抗があります。
「ルール」と言うと「規則」であって、「破ってはいけない」とか「守らなきゃいけない」感覚ですよね。
「しきたり」は「仕来り」、ならわしとか慣習、つまりは「ずっと同じようにやってきたこと」なんですが、
なんとなく「破ってはならないもの」というような威圧的な感じがします。
着物の場合、私は最近「原則」とか「基本として」という言い方書き方がいいかなと思っています。
確かに「コレにはこれが決まり」という限定した書き方も多いです。
それは本来は「知らない人が多いので書き出しますと…」と言うことなのでしょうが、
知らないから「そうでなければいけないのか」と、思い込んでしまう場合もあるのでは…とも思います。
元々衣服には、何でも「スタンダード」はあるものです。着物ばかりがうるさく細かいわけじゃありません。
なんかいろいろ細かい決まりごとがある…と感じるのは、
それまで着物がそばにある環境で暮らしてこなかったから、いつもいう「積み重ね」がないからだと思います。
今は子供のころから洋装の中で暮らしますから、情報は知らず知らずのうちに積み重なります。
子供ころは使わない女性用の下着とか、男性ならネクタイ…そういうものでも、
いよいよ使うときになって、別に「これはなんだろう」とは思いません。
大人になってネクタイしなさいといわれて、ネクタイってなんですかって聞かないでしょう。
つまり、知らないうちにちゃんと、「知ってる」んです。着物にはそれがほとんどないから、
「これはなんだろう」レベルから、やらなきゃならないわけです。
着物のあれこれは、、まぁ洋装もそうなんですが、例えば料理のレシピの「砂糖大匙1」と同じようなもので、
それが基本だけど、もう少し甘いのが好きだったら大匙1.2でもいいわけです。
但し、砂糖を塩に変えるのはやめたほうがいいし、砂糖入れすぎて味がおかしくなったり、
そういうこともありますから、そのへんの、それこそ「さじ加減」が自分の責任持ち…ということです。
着物の場合、この「責任」の持ちようがわからないから「決まりごと」として縛られちゃうんですね。
まず、少し後ろを振り返って「着物の来し方」を遠く眺めてみますと…と、ここからいってみましょう。
今回の記事は長くなると思いますので(今日に限ったことじゃないでしょが…)、何回かに分けて書こうと思っています。
着物は確かに1000年以上の歴史がありますが、ずっと同じだったわけではありません。
素材も形も色柄も、様々に変化してきています。
また社会の状況としても、江戸時代まで(正確には明治もですが)長い間、身分制度がありました。
これは当然「貧富の差」としても大きく関係してきます。
更には「色は何色と何色」「丈はこれくらいにせよ」なんぞということまで命令された時代もあり、
もうひとつ「男尊女卑」という差別もありました。女性はそれを着てはいけない…です。
そういう状況で、庶民はずっと豊かではありませんでしたから、誰しもが礼服を持っているわけではなかったし、
様々な行事や式のやり方も身分や立場で違いました。
「平安時代の女性の衣服は?」「十二単」…マチガイではありませんが、それは代表的な礼装のことであって、
一部の人間だけの衣服で、庶民が十二単衣の裾をはしょって田植えしていたわけではありませんよね。
そんな中でも、なんでもそうなんですが、時代とともに、武家の風習公家の風習が、だんだん広まって、
庶民もやるようになる…というのは変化の常道です。
「被服の三原則」なんていわれていることの一つの表れなのですが、
まず「漸変の法則」これは「ゆっくり時間をかけてかわっていく」ということ。
最近はものすごいスピードで変化しているように思いますが、昔は情報の流れる速度も範囲も限られていましたから、
当然のように、それが広まって定着するまでには時間がかかったのです。
「形式昇格の法則」、身分の高い人の服装が、だんだん簡単になっていって、元々シモジモの着ていたものと近づく。
普段着ている式服よりも動きやすいですから、いわば「スポーツファッション」であったものが普段着になり、
やがては形を整えて「礼服」にもなりました。お父さんが息子のジャージを普段着に着ているのとは違いますが…。
それから「表皮脱皮の法則」、面白い名前ですが、下着、或いは中の見えないところに着られていたものが、
表着として使われるようになる…有名なのは、十二単の一番下の「小袖」が、今の着物になっていった…でしょうか。
この原則は、全部上から目線で言ってますが、要するに、身分の高い人たちのものが、
だんだん庶民に近づいてきた、ということは、時代が下がったとき、庶民が上のマネをするということでもあるわけです。
また時代が下がるとともに、変化に要する時間がスピードアップされてきました。
例えば留袖と帯でお話しをしてみますと、最初は「留袖に丸帯」でしたが、
丸帯は広幅の帯地を半分に折ります。裏表織り柄がありますから、厚地で重くて、締めるのもたいへん。
そこでこれまた明治ごろから「裏だけは無地」という丸帯より簡易でラクに締められる袋帯が出てきて、
留袖には袋帯が常識、になってきたわけです。イマドキ丸帯締めるのは花嫁さんとか舞妓さんくらいなものです。
比翼仕立てというのも、元々は「襲の着物」が主流で、白い中着と留袖を重ねて着ていたものが、
簡略になって「二枚着ているように見える比翼仕立て」になったわけです。
今の着物のしきたり本には「白い着物と二枚着る」とは、書いてありません。(実際にはまだお召しの方もいます)
「黒留袖、比翼仕立て」とあるのが普通です。昔は二枚着ていたということを知らない方もおられるでしょう。
帯揚げ帯締めも、私の子供のころは、ただの白い帯揚げ(絞りもありました)に、白羽二重の丸ぐけだったものが、
あっという間に白地に金銀で刺繍のある帯揚げとか、帯締めは白地に金銀の組紐になりました。
「白無垢」の花嫁衣裳は、もともと武家の女性がはじめです。
江戸時代のちょっと余裕のある一般の家庭の花嫁衣裳は、ただの華やかな晴れ着。綿帽子は単なる「ちりよけ」、
ビンボー庶民はせいぜい一張羅の木綿着物か、状態のいい古着。
長屋住まいの八っぁん熊さんの場合は、三々九度もなしで「コイツが今日からオレの嫁だ、よろしく」で終わりでした。
時代がどんどん進んで身分制度もなくなり、少しずつ貧富の差が縮まり、自由に絹も着られるようになったら、
お嫁さんは黒振袖…というのがはやったわけです。戦後すぐくらいまでいたでしょう。
それも、袖を切れば留袖になるものと、肩先や背中まで柄のある豪華なものと両方ありました。
黒が女の礼装、と考えられるようになったのは、江戸も後期ですし、一般女性には紋付は縁のないものでした。
それが「ダレでも何でも着られる」となって、それっと晴れ着としてきたわけです。
一方で、それまでは武家の特権だった白無垢も、ゆとりがある人は
それを真似して着るようになったりしたわけです。
こういった変化のスピードが、明治以降だんだん速くなっていきました。
今、あれにはこれ、これでなければ…というのは、たった100年200年くらいの間に、
少しずつ固まってきたことなわけです。
ダイジなことは…この「形がきまってきたこと」は、当時毎日着物で暮らしている人たちが、
「これってめんどうじゃない?」とか「あれ、マネしようよ」…というような、
また「こんなの作ったらいいんじゃないか」「これなら売れるだろ」というような、
現実の着物の暮らしのなかで、考えたり変えたりしてきたことなのですね。
それが、戦争を境に着物が着られなくなり、あっというまに「着物は特別な日に着るもの」になってしまいました。
着物で暮らさなくなったといっても、まだ着物暮らしを知っている人が残っていたころは、
「こういうときはこの着物にこの帯を締めるものだ」とか「その着物なら、小物はこれがいい」とか、
教えてくれる人がいたわけです。それがあっというまにいなくなりましたから、
今、これから着物を着たいと思うひとは「リアルな着物暮らし」に即した人の意見がなかなか聞けない…
また自分自身も「着物を続けてきた」という実績がないから、新しいものとしてそこからはじめなければならない…。
だから本を見たり質問したりする、そうなると一番基本的な「○○には☓☓」という箇条書きみたいなものが出てきます。
それを見て和装のことを知らない世代は、場合によって「なんでこうならなきゃいけないの」になるのではないかと…。
いつも言いますが、もし、戦前から戦中戦後も、そして今に至るも、
着物がずーっととぎれることなく洋装和装混ぜあって着られてきていたら、
変化は順当に進み、留袖の帯締めが「白の丸ぐけ」から「金銀入りの組紐」になっていったように、
もっといろんなことが実情に合わせて、いつのまにかそうなっていた…というふうに変わったと思います。
留袖も、もしかしたらこの50年くらいの間に「親だからと言って黒じゃ寂しいから、
最近は親御さんでも色留袖か訪問着ですよ」なんてことが、アタリマエになっていたかもしれません。
でも現実は、意識として「それでもいいんじゃないか」と思っても、なにしろ周囲が全部そうじゃない…。
誰かに聞けば「母親は黒留袖ときまっています」なんてことをいわれたりしてしまう…。
とちゅうでとぎれてしまったばっかりに、古いところでとまっているところから始めなきゃならないんです。
また「教えてくれる」といっても、昔の人が着物の歴史だの成り立ちだの変化についてだの、
何もかも知っていたわけではありません。
ただ、理由があってしていることでも、理由がわからなくてしていることでも、
それが現実に納得できることだったから、そのまま伝えてきたわけです。
だから私の母なども「最近の留袖の帯締めは丸ぐけじゃなくなった」といいましたが、
「昔の方がよかったのに」ではなく、今風のものの方が帯にもあってる…と、自分も組紐のものを買っていました。
それでも「喪服の帯締め」は、今でもまだ「黒の丸ぐけ」が残っています。
着飾る必要のない喪服の場合は、ツヤのでてしまう組紐よりも、黒羽二重の丸ぐけの方がしっくりくるからでしょう。
変化ってそうやってはじまったり残ったりして、つながっていくんですよね。
今風に「もっと自由にすればいいのに」とか「好きなように着たっていいじゃない」とかでますね。
「着物」のとくに礼装のことになると、とたんに「なんで?」と、構えてしまうご意見をたまに拝見します。
それは「着物って細かい」「決まりごとが多い」…そういう気持ちが先に立つからだとと思います。
洋装の方が自由だ、決まりごとがうるさくない…、まぁ着物に比べれば…ですが、でも洋装だって決まりごとはあります。
結婚披露宴に招かれたら、ちゃんとソレナリの服装で行くでしょう。お葬式には一様に黒を着ていきます。
デザイン的に自由だというだけで、告別式に真っ赤な靴はいていったらヒンシュクものです。
フォーマルドレスにスニーカーはないでしょう。
まずは、なんでそうなっているのか…ということがわかると、そこから考えられるのではないかと思うのです。
だから昔どおりにしなさい、ではなく、実はこうなのだから、それを踏まえて今はどうしたらいいか、
そういうふうに考えるほうが、偏らずに考えられると思うのです。
なんだかあいまいな言い方ですね。すみません。
あとは実例を出して、どう考えていけばいいのか…を考えてみましょう。
うっとりです。
不思議に思うのですーー世界の民族衣装の中で着物ほど着るのに大変な物はないだろうなあと。まあ、それだけ奥が深いということなのですが、そうしてしまったのは日本人の特質なのかなあ~
着物の懐は深いと思いますが今は特別な着るものとしてしか存在しなくなってしまったようにおもいます。
ちょっと古い映画などでは、でれでれとだらしなくきているおばあちゃんとか、かなりラフにきている人が沢山出てきますが今はそんな人もいなくなってしまいましたねえ。
続きを楽しみにしています。
いつも、こういうことが知りたかったのよ、という事柄を記事にして下っているので、本当にすごく楽しみに拝見してます。
今回の話も、確かに、と大きく頷いてしまいました。
着物を普通に着ていた頃は、地域差も相当あったはずなのに、なんでそれを無視して画一化するのかなあ、と思っていたのです。
着物は今のが完成形じゃなくって、これからも変わっていく ファッションであればいいなあ、とこちらを読んでて思いました。
続きも楽しみにしています。
和装について分からない不安な事は
呉服屋さんに聞けばいいように思い
ますが、今はきちんと教えて下さる
呉服屋さんが少ないですからね。
紋については言われる事が色々で
余計迷ったりしますね。
古布遊びさんも書いてらっしゃいますけど、もう何十年も「着物は礼装」という時代が続いて、それで尚更決まりごとがうるさく言われるようになったのだと思います。
白襟白足袋でなくちゃ!!とか・・・
花魁振袖などはその反動か?という気もします。
でも、決まりごとがあってこその美しさというのもあるのではないでしょうか?
緩やかな変化は、その美しさを損なわないものではあると思います。
こんな風に、知ってる人が知らない人にきちんと知らせる姿勢は大切なんだな。。。と思いました。
自分では…尋ねられれば教えるけど、相手は知ってるものとして勝手に先に行ってしまいます。歴史など自分は興味があっても、人はどうなのかわからないから…。
コミュニケーションは苦手なんですが…少しはした方がいいのかな?
。。。でも本当に知りたいなら、着物の歴史など今は調べる方法も簡単だと思うんですが、知る努力をしない人が多いんじゃないでしょうか。ってか、そんなに知りたい人がいるとはとても思えない。簡単で楽なことにしか目を向けたくないんだろうと思うし。
これは傲慢でしょうか。
私は…知らない顔で見て見ぬふりをしています。。。(ーー;)
とんぼ様はいつも真摯な姿勢でらっしゃるから。。。う~ん、自爆。自分のあり方を考えちゃいました。
お召しになられたか…。
きれいですねぇ。
自国の民族衣装の歴史を、たずねられて
答えられるくらいの見識はあったほうが
損はないのでは。
せめて、自身が着ている着物の模様や生地や
色の意味を知りたい好奇心はもっている方は
輝きもちがうでしょうし、女子力も↑ではないでしょうか。
うまく続かない文ばかりですが…なんとか…。
実際に着物だけの時代は、実はもっとだらしないですよね。
明治時代のおばぁちゃんなんて、みられたもんじゃありませんし。
元々そんなに複雑でもなかったものを、複雑にしてしまったのは、
まぁ美意識ってことなのかもしれません。
ただ、ハレとケの境目があいまいになったことで、
いいことばかり、きれいなことばかりが、いいとされてしまった部分はありますね。
はじめまして、コメントありがとうございます。
思いは多々あるのですが、ちと古いかなーとか、
ついいろいろ考えてしまいます。
情報の伝達が早くなり、情報量が膨大になったことで、
逆に「地域的個性」はなくなりつつあります。
画一的になってしまったのは、きられなくなったから、
なんだか「一番きれいな姿」みたいたのが、スタンダードとされてしまった気がします。
変わりつつ育っていくべきもの、と思いますが、
かえるところと残すところのポイントがなかなか…ですねぇ。