とっくに発売になっていたのですが、申し込もうと思っているうちに、
母の具合が…とヒトのせいにして…母よ許せ!
とにかく、やっとご紹介できます。お電話でご了解もいただきましたので、
内容も少しお話させていただきます。
まず、この「昭和のくらし博物館」は、東京都大田区南久が原というところにあります。
なんとオットが中学まですごした町ですがな。
ちと離れてはおりますが「あぁあのへん知ってる、友達もいたなぁ」などと
懐かしがっておりました。下町風情の残るいいところだと聞いています。
HPはこちら、 DVDの購入はこちら。
こちらでは予告編が見られます。
元々館長さんが生まれ育った実家を博物館にした…という形ですので、
家そのものが「博物館」、昭和30年代の暮らしがそのまま見られます。
必ず行くぞ、と思っているのですが、いつになることやら。
とりあえずDVDのお話です。
私も昭和30年代に、子供から大人になった年代ですから、
映し出される家の作り、部屋の様子、置かれている道具、調度、庭の様子など、
なんかもぅ懐かしいなんてのを通り越して、自宅みたいな気になってしまいました。
いえ、私の家はあんなに立派ではございませんでしたが。
私が特に懐かしかったのは「1」の洗濯とふとん(夏がけ)作り…です。
なさっておられるのは館長さんのお母様、撮影当時80歳、
かくしゃくとしておられましたが、なにしろどれをとっても今のように
スイッチポンではないわけですから、撮影後は、さぞお疲れになられたことだろうと、
87歳の母を思い出して、心配してしまいました。
うれしかったのは、伸子張りの伸子を上からなさっておられたこと。
母には「不器用、大胆…」といわれましたので、やっぱり「やりやすけりゃいいんだ」と
ほっとしました。それと、私はつい、自分の生活の中でのやり方ばかりやってましたが、
一度洗って、次に張る…という二度手間のお話を書きませんでした。手落ちですー。
つまり、悉皆やさんなどでは当たり前にやっているのですが、
まず洗う、一度乾かして、もう一度「糊をつけるために」伸子張りする…です。
我が家では、そんなにいいものはやっていませんでしたし、私自身も仕事用なので、
つい洗いも糊付けも一緒くたで…。
さて、伸子張りと張り板については、私も今まで書いてきましたので、
今日は洗濯のお話。DVDの中では、懐かしい「たらいと洗濯板と洗濯石鹸」が登場!
思わず「そうよそうよ、こうだったのよ」と、身を乗り出して見てしまいました。
いえ、私がやっていたのではなく、当然母の仕事でしたが…。
思い出はあっても、実際に映像の中のたらいを見ると、その大きさを思い出します。
我が家は子供のころに洗濯機がありましたが、先日も書いたように、
一度壊れて暫くは昔ながらの洗濯でした。二度目のたらいは木製ではなくプラでした。
洗濯用のたらいは大きいですから、中に水がいっぱい入ると簡単には動かせません。
(思い出しましたが、そのたらいで行水もよくやりました。大人でもぎりぎり座れる大きさです)
洗濯の時から節水もあって水は少なめ、それでもひっくり返すときには足を踏ん張って、
えいやっとやっていました。水の中に洗濯物を浸して広げる、石鹸を塗りつける、
洗濯板でごしごしと洗う、部分洗いをする、終わったものは手前に、
つぎのものを向こうに、板にひきあげてごしごし…。
我が家では台所の水道からホースで水を引いてましたから、
一回作業がおわるごとに、水道まで言って水を出し、水を止め…。
ご飯粒の糊のもみ出し、長いシーツの絞り方…どれをとっても母の姿と重なります。
思い出しました、以前使ったこちらの写真は、市営に引っ越す直前、
まだ共同の洗濯場の写真です。こちらはカナダらいですね。
ものほし、さんまた、今はネットで「三又」と引いてもでません。
正確には「三叉」と、点のある「又」です。
子供のころから「先が二つに分かれているのに、なんで『二又』じゃないんだろ」
なんてつまらんことを思っていました。
一本の物干し竿に、ワイシャツも袖から袖へさおを通して干す、
今のように角ハンガーだの洗濯用ハンガーなんてない時代ですからねぇ。
昔の洗濯物、時間も場所もさお竹も…たくさんかかったのです。
私と同じ年頃のかたは、親の姿と重ね合わせて、懐かしいと思います。
ただ、私は「懐かしい」だけでなく、若いヒトにも見ていただきたいと思っています。
「昔はこうだった」「あらたいへんね」ではなく、それがあって今がある…。
ヒトはその中にどっぷりつかると、そこしか見えません。
私だって、物心ついたときから電気はありました。だから電気のない暮らしを知りません。
でも母は京都の田舎で子供のころ、まだランプ生活でしたから、
「ランプのホヤ磨き」を毎日のようにさせられて…と言っていました。
ランプは現代でもインテリアなどで使われるのでご存知かと思いますが、
絵にするとこんなです。ガラスの筒部分が「ホヤ」。
ここは細いので、大人の手より子供の手のほうが中まで入ったんですね。
石油ですからすすが出る、だから毎日これを磨かされたわけです。
これ、我が家にあります。どっかに入ってる…骨董屋で買ったものではなくて、
実家から持ってきたもの…あぁ肝心のときに出てこない…。
それではないのですが、一度ランプのあかりを見たことがあります。どこだったのか…。
柔らかくて暖かい、あの白熱球みたいな感じの明かりですが、暗いのなんのって…。
こんな明かりで母は本を読み、祖母は針仕事をしていたなんて、信じられませんでした。
改めて、スイッチポンで煌々とつく明かりに感謝する気持ちになります。
今、老眼で明るくても針のメドが見えない…なんざ、祖母が聞いたら怒るでしょ。
これから先何十年かたつと「地デジじゃなかった時代」とか「3Dテレビがないころ」とか
そのうち「昔は車って自分で動かしてたんだって、こわいねぇ」…なんてことに…
なるのかもしれません。
私がランプのあかりを見たときのように「信じらんなーい」と言うのでしょう。
でも、それがあって今がある…のです。
このDVDを見ていると「この季節はこうしてこのことを…」というような
ナレーションが入ります。季節で、月々で、一日で…と考えると、
昔の女性はいつ寝ていたのだろう…とふと思います。
思えば、私は母が「おやすみ」とふとんに入る姿も、
「おはよう」と布団から起き出す姿も、子供のころには見ていませんでした。
私が十を少し越え、家事仕事をいろいろな電化製品に助けられるようになったころ、
母は「未亡人」になりました。父の残した仕事をやりながら、
それでも母は私の着物も服も縫ってくれましたし、季節のしつらいも忘れませんでした。
それを思うと、今の私はどうだろうか…。
炊飯器が壊れた日、仕方ないのでとりあえず鍋とガスコンロでご飯を炊きましたら、
オットが「器用なもんだな」と申しました。
今ならコンビニに走ってパックのごはん…でしょうね。
だからといって、今このDVDとおなじことをしなさい、というのではありません。
ヒトは「動ける」のです。「動かすことができる間は」、
もっと手もアタマも体も、使ったほうがいいんじゃないか…と思いました。
なんでもスイッチポン、お金を出せば自分で作るより安く買える…
100均で雑巾まで売っている時代ですから。
でも100均の雑巾より、自分で縫った古タオルの雑巾のほうが、
ずっと愛着もあるし使いやすい、それはやってみなけりゃわからない…。
私は自分自身が、入り口程度でも着物とかかわっている人間ですので、
今のヒトが「針仕事」から少し遠い位置にあることを、とても残念に思っています。
着物を着るといやでも半衿をつけなきゃならない、だから針仕事をするのではないか、
と思ったら、縫わなくていい半衿、なんてのが出てくる…
どこまでラクすること考えとんじゃあ!と、実は腹立たしいのです。
上から載せて縛り付けるだけの半衿は、襦袢と一緒に動かないのです。
便利かもしれませんが、襦袢にちゃんとついている半衿のよさがわからない…。
忙しいとき、時間のないときに便利グッズはいいですが、
「手間をかける」「時間をかける」「気をかける」ということは、
言葉で「ここがいい」とは言い表せないけれど、必ずメリットがあります。
「手塩にかける」という言葉があります。
元々は「清め」のために盛られた塩のことですが、やがて食膳にも添えられました。
昔は今みたいなさまざまな調味料が、便利に並ぶことはありませんでしたから、
銘々に塩を自分で加減したわけです。
つまり、自分で考えて、加減をつけて、食べ物を大切にいただく…ということから
手をかけて心を込めて物事を行い育てることをさすようになりました。
「手」をかけるということは、それだけ意識もかけることになります。
スイッチポンでは、そこに何もつながりません。
便利道具は便利道具として、その恩恵にあずかることは、
私とて毎日のことですが、なにもかも「それがいい」としないで、
時にはめんどくさいこと、をちまちまとやってみることも、
今の時代は特に大切なのではないかと思うのです。
一枚ずつ着物を解き、伸子を張り、きれいにピンとなった布をさわるたびに、
クリーニングじゃこうはいかない…と、ひそかに思っているし、
たらいや洗濯板とはご縁がなくなっても、この手で別のことができる…と
そんな風に思っています。
明日あたり、日差しに負けず「伸子張り」やりますかねぇ。
このDVDは、4枚セットとコンパクト版がありますが、
この伸子以外にも、お盆やお正月のしたくとか、お手玉や半天を作るとか…。
昔はあたりまえのようにやっていたことが入っています。
畳のない暮らしになっても、日本人として忘れたくない心が、
映像で見られることは、とてもうれしいことだと思っています。
本日のおまけ画像、今年初めての「風船かずらの種」です。
かわいいハート、さるガオといわれるゆえんです。
今年は暑さのせいか、実になってから袋が枯れるまでも早い気がします。
種を取って、来年はこれを植えましょう。
母の具合が…とヒトのせいにして…母よ許せ!
とにかく、やっとご紹介できます。お電話でご了解もいただきましたので、
内容も少しお話させていただきます。
まず、この「昭和のくらし博物館」は、東京都大田区南久が原というところにあります。
なんとオットが中学まですごした町ですがな。
ちと離れてはおりますが「あぁあのへん知ってる、友達もいたなぁ」などと
懐かしがっておりました。下町風情の残るいいところだと聞いています。
HPはこちら、 DVDの購入はこちら。
こちらでは予告編が見られます。
元々館長さんが生まれ育った実家を博物館にした…という形ですので、
家そのものが「博物館」、昭和30年代の暮らしがそのまま見られます。
必ず行くぞ、と思っているのですが、いつになることやら。
とりあえずDVDのお話です。
私も昭和30年代に、子供から大人になった年代ですから、
映し出される家の作り、部屋の様子、置かれている道具、調度、庭の様子など、
なんかもぅ懐かしいなんてのを通り越して、自宅みたいな気になってしまいました。
いえ、私の家はあんなに立派ではございませんでしたが。
私が特に懐かしかったのは「1」の洗濯とふとん(夏がけ)作り…です。
なさっておられるのは館長さんのお母様、撮影当時80歳、
かくしゃくとしておられましたが、なにしろどれをとっても今のように
スイッチポンではないわけですから、撮影後は、さぞお疲れになられたことだろうと、
87歳の母を思い出して、心配してしまいました。
うれしかったのは、伸子張りの伸子を上からなさっておられたこと。
母には「不器用、大胆…」といわれましたので、やっぱり「やりやすけりゃいいんだ」と
ほっとしました。それと、私はつい、自分の生活の中でのやり方ばかりやってましたが、
一度洗って、次に張る…という二度手間のお話を書きませんでした。手落ちですー。
つまり、悉皆やさんなどでは当たり前にやっているのですが、
まず洗う、一度乾かして、もう一度「糊をつけるために」伸子張りする…です。
我が家では、そんなにいいものはやっていませんでしたし、私自身も仕事用なので、
つい洗いも糊付けも一緒くたで…。
さて、伸子張りと張り板については、私も今まで書いてきましたので、
今日は洗濯のお話。DVDの中では、懐かしい「たらいと洗濯板と洗濯石鹸」が登場!
思わず「そうよそうよ、こうだったのよ」と、身を乗り出して見てしまいました。
いえ、私がやっていたのではなく、当然母の仕事でしたが…。
思い出はあっても、実際に映像の中のたらいを見ると、その大きさを思い出します。
我が家は子供のころに洗濯機がありましたが、先日も書いたように、
一度壊れて暫くは昔ながらの洗濯でした。二度目のたらいは木製ではなくプラでした。
洗濯用のたらいは大きいですから、中に水がいっぱい入ると簡単には動かせません。
(思い出しましたが、そのたらいで行水もよくやりました。大人でもぎりぎり座れる大きさです)
洗濯の時から節水もあって水は少なめ、それでもひっくり返すときには足を踏ん張って、
えいやっとやっていました。水の中に洗濯物を浸して広げる、石鹸を塗りつける、
洗濯板でごしごしと洗う、部分洗いをする、終わったものは手前に、
つぎのものを向こうに、板にひきあげてごしごし…。
我が家では台所の水道からホースで水を引いてましたから、
一回作業がおわるごとに、水道まで言って水を出し、水を止め…。
ご飯粒の糊のもみ出し、長いシーツの絞り方…どれをとっても母の姿と重なります。
思い出しました、以前使ったこちらの写真は、市営に引っ越す直前、
まだ共同の洗濯場の写真です。こちらはカナダらいですね。
ものほし、さんまた、今はネットで「三又」と引いてもでません。
正確には「三叉」と、点のある「又」です。
子供のころから「先が二つに分かれているのに、なんで『二又』じゃないんだろ」
なんてつまらんことを思っていました。
一本の物干し竿に、ワイシャツも袖から袖へさおを通して干す、
今のように角ハンガーだの洗濯用ハンガーなんてない時代ですからねぇ。
昔の洗濯物、時間も場所もさお竹も…たくさんかかったのです。
私と同じ年頃のかたは、親の姿と重ね合わせて、懐かしいと思います。
ただ、私は「懐かしい」だけでなく、若いヒトにも見ていただきたいと思っています。
「昔はこうだった」「あらたいへんね」ではなく、それがあって今がある…。
ヒトはその中にどっぷりつかると、そこしか見えません。
私だって、物心ついたときから電気はありました。だから電気のない暮らしを知りません。
でも母は京都の田舎で子供のころ、まだランプ生活でしたから、
「ランプのホヤ磨き」を毎日のようにさせられて…と言っていました。
ランプは現代でもインテリアなどで使われるのでご存知かと思いますが、
絵にするとこんなです。ガラスの筒部分が「ホヤ」。
ここは細いので、大人の手より子供の手のほうが中まで入ったんですね。
石油ですからすすが出る、だから毎日これを磨かされたわけです。
これ、我が家にあります。どっかに入ってる…骨董屋で買ったものではなくて、
実家から持ってきたもの…あぁ肝心のときに出てこない…。
それではないのですが、一度ランプのあかりを見たことがあります。どこだったのか…。
柔らかくて暖かい、あの白熱球みたいな感じの明かりですが、暗いのなんのって…。
こんな明かりで母は本を読み、祖母は針仕事をしていたなんて、信じられませんでした。
改めて、スイッチポンで煌々とつく明かりに感謝する気持ちになります。
今、老眼で明るくても針のメドが見えない…なんざ、祖母が聞いたら怒るでしょ。
これから先何十年かたつと「地デジじゃなかった時代」とか「3Dテレビがないころ」とか
そのうち「昔は車って自分で動かしてたんだって、こわいねぇ」…なんてことに…
なるのかもしれません。
私がランプのあかりを見たときのように「信じらんなーい」と言うのでしょう。
でも、それがあって今がある…のです。
このDVDを見ていると「この季節はこうしてこのことを…」というような
ナレーションが入ります。季節で、月々で、一日で…と考えると、
昔の女性はいつ寝ていたのだろう…とふと思います。
思えば、私は母が「おやすみ」とふとんに入る姿も、
「おはよう」と布団から起き出す姿も、子供のころには見ていませんでした。
私が十を少し越え、家事仕事をいろいろな電化製品に助けられるようになったころ、
母は「未亡人」になりました。父の残した仕事をやりながら、
それでも母は私の着物も服も縫ってくれましたし、季節のしつらいも忘れませんでした。
それを思うと、今の私はどうだろうか…。
炊飯器が壊れた日、仕方ないのでとりあえず鍋とガスコンロでご飯を炊きましたら、
オットが「器用なもんだな」と申しました。
今ならコンビニに走ってパックのごはん…でしょうね。
だからといって、今このDVDとおなじことをしなさい、というのではありません。
ヒトは「動ける」のです。「動かすことができる間は」、
もっと手もアタマも体も、使ったほうがいいんじゃないか…と思いました。
なんでもスイッチポン、お金を出せば自分で作るより安く買える…
100均で雑巾まで売っている時代ですから。
でも100均の雑巾より、自分で縫った古タオルの雑巾のほうが、
ずっと愛着もあるし使いやすい、それはやってみなけりゃわからない…。
私は自分自身が、入り口程度でも着物とかかわっている人間ですので、
今のヒトが「針仕事」から少し遠い位置にあることを、とても残念に思っています。
着物を着るといやでも半衿をつけなきゃならない、だから針仕事をするのではないか、
と思ったら、縫わなくていい半衿、なんてのが出てくる…
どこまでラクすること考えとんじゃあ!と、実は腹立たしいのです。
上から載せて縛り付けるだけの半衿は、襦袢と一緒に動かないのです。
便利かもしれませんが、襦袢にちゃんとついている半衿のよさがわからない…。
忙しいとき、時間のないときに便利グッズはいいですが、
「手間をかける」「時間をかける」「気をかける」ということは、
言葉で「ここがいい」とは言い表せないけれど、必ずメリットがあります。
「手塩にかける」という言葉があります。
元々は「清め」のために盛られた塩のことですが、やがて食膳にも添えられました。
昔は今みたいなさまざまな調味料が、便利に並ぶことはありませんでしたから、
銘々に塩を自分で加減したわけです。
つまり、自分で考えて、加減をつけて、食べ物を大切にいただく…ということから
手をかけて心を込めて物事を行い育てることをさすようになりました。
「手」をかけるということは、それだけ意識もかけることになります。
スイッチポンでは、そこに何もつながりません。
便利道具は便利道具として、その恩恵にあずかることは、
私とて毎日のことですが、なにもかも「それがいい」としないで、
時にはめんどくさいこと、をちまちまとやってみることも、
今の時代は特に大切なのではないかと思うのです。
一枚ずつ着物を解き、伸子を張り、きれいにピンとなった布をさわるたびに、
クリーニングじゃこうはいかない…と、ひそかに思っているし、
たらいや洗濯板とはご縁がなくなっても、この手で別のことができる…と
そんな風に思っています。
明日あたり、日差しに負けず「伸子張り」やりますかねぇ。
このDVDは、4枚セットとコンパクト版がありますが、
この伸子以外にも、お盆やお正月のしたくとか、お手玉や半天を作るとか…。
昔はあたりまえのようにやっていたことが入っています。
畳のない暮らしになっても、日本人として忘れたくない心が、
映像で見られることは、とてもうれしいことだと思っています。
本日のおまけ画像、今年初めての「風船かずらの種」です。
かわいいハート、さるガオといわれるゆえんです。
今年は暑さのせいか、実になってから袋が枯れるまでも早い気がします。
種を取って、来年はこれを植えましょう。
思い出ですね。
炊事、洗濯、掃除、どれひとつとっても
手間のかかる作業でしたが、夜があるならこそ
と言って、夜なべをしていた母親は本当に
いつ寝ていたんだろうと思います。
夏休みの今頃は、井戸水を汲んで日向水に
するお手伝いをしたり、たらいで行水したり
四季ごとに思い出があります。
両親はいやがるけど、そこで育った身は
なつかしいです。
おかっぱちゃん、かわいいです。
私は、田舎育ちのおかげで、都会よりも10年は暮らしの移り変わりが緩やかだったんだと思います。洗濯機はあったけど、ものによっては大きなブリキの盥で踏み洗いしてました。「二人(姉と私)とも~。足で手伝とうて~。」って、母が。
少しずつだけど、自分の手でやってみると・今までよりもずっと 着物に近づけるように感じます。着るためにすること・って大切なんですね。
この記録、ずっと大切にします。まだ全部は観てないけど
親も子も、なにやら忙しかったけれど、
今のあわただしさとは違いましたね。
なんでもチマチマと手でやりました。
夏休みの宿題には「お手伝い帳」なんてのも
あったと思います。
「今日は洗濯干しと、玄関のそうじをしました」なんて。
「日向水」、やりましたねぇ。
あのぬるさ、懐かしいです。
自分がやっていたら「苦労話」になるのでしょうね。
私の年では「懐かしい」だけで、なんか申し訳ないです。
おかっぱ、今はみませんねぇ。
1巻がながいですからねぇ。
私もまだ全部食み終わっていません。
見始めると眼が離せませんわ。
今の暮らしだって、使える技術はいろいろあるように
思えます。
まずは「手ぬぐい袋」、作ろうと思います。