本日は、私事のご報告、その前にちょっとだけ…。
昨日「本物のうちわ」…と皆様に言っていただいた帯、
もうちょっとお見せします。
上の写真がもうひとつの「うちわが2枚あるほう」、
こちらは、1枚のほう、
界切り線もこんなに粋です。
こちらは締めてみたらと仮定して…。赤いのはちょっと暑苦しいと思いまして、
半分隠し、涼しげな色をだしてみました。
というわけで、ここからはご報告です。
今日、母の介護認定審査がありました。無事終了しました。
昨年秋に書かせていただきましたとおりですが、
9月末、旅行から帰ったバサマ(私の母のことです)が、
突然の「大ボケ」…、夜中に荷物をぶちまけたり、だんだんひどくなり、
三日目には、トイレのレバー、電気のスイッチ、水道の蛇口…
なにもかもわからなくなりました。
私が行くと「お茶いれたる」と言って急須を出して茶葉を入れて、
そのあと「お茶ってどうやっていれたっけ」…。
字は書けない、トイレは間に合わない、もうボロボロ状態になりました。
結局、病院で典型的な「アルツハイマー型」の中期との診断されてしまいました。
それまでにひどい物忘れはたまにあったものの、いきなりそれですから、
ジサマと私は、覚悟を決めねばなりませんでした。
ところが、幸いにも、日がたつにつれて薄紙をはぐように、
少しずつ状態が戻り始めました。ただ、完全に元には戻りません。
それでも、スイッチやレバーなどは大丈夫になりましたし、
少々悩みながらも、数字や名前は書けるようになりました。
今日も「今は3月」とか「生年月日は」と答えられました。
去年は、まーったくダメだったのです。
今は毎日、本を読むのが楽しい、と古い推理小説をいろいろ読んでいます。
ただ、読むそばから忘れるようではありますが…。
今回「介護認定」の継続申請で、また病院へ診断書をもらいにいきました。
初めて行ったときは、全部終了して出てきたときに、
「ところで今日はここへ何しにきたんやったなぁ」と言って、
ジサマと私は、おもいっきりコケたのですが、
今回は医師に「今日は何のために来たかわかりますか」と聞かれて、
「アタマの診断ですわなぁ」と答えたそうで…、進歩です!
結局ドッと悪くなって、今は8割から9割くらい、元の状態に近くなりました。
その「元」というのも、軽い症状はあったわけですが…。
物忘れがひどいので、ジサマはでかけるとき「○時、買い物、○時ごろ戻る」と、
メモをおいていくようにしています。
台所は一切やらなくなり、毎日ジサマが「今夜は何食べたい?」とやってます。
洗濯も、任せておくといつまででも終わらないので、
わざと「終ったかな?」と声をかけるようにしたり…。
ジサマは、ほんとに介護のうまい人です。
そんなわけで、まだまだやたら「トイレ」がダメな日が続いたり、
突然、5分前のことも忘れたり、いろいろありますが、
ほとんど普通に暮らせる状況に戻りました。
もちろんこのままというわけはなく、少しずつ進行はしていくわけですが、
もう腹くくってかかるしかありませんし、元々陽気な家族ですので、
楽しくやっていこう…と思います。
おとといは、行っておしゃべりを始めたら「お茶いれたろか」というので、
「ウン」と答えると、急須をだそうとしてテレビに眼がいき、
「徹子さん」の衣装がどうのこうの…で、お茶はすっかり忘れられました。
そのまま20分くらいしゃべっていると、また「お茶いれたろか」というので、
また「ウン」と答えると、今度こそ急須を出しながら、
「飲みたかったらはよ言うたらええのに」(いや、だからね…)
着物のハナシになって「これから先は紬しか着ないかなー」といったら、
「ウチの着物は全部お前にやるし、どんどん着よし」(おっ、くれるのかなっ!)
「ただし、ウチが死んだらな」(やっぱりそーでしたか…長生きしてくらさい)
「K(うちの息子)は、元気で行っとんのか?」「行ってるえぇ」
「そーか、そりゃええ、イマドキは五体満足やのに、働きもせんと、
家で冬ごもりするのもいてるしなぁ」(ばーちゃん、そりゃひきこもり…)
どーしても「悲壮感」にかけるとんぼ家ではあります。
幸い、今年は今のところカゼもひかずに、元気ですごしています。
そんなわけで、日替わりメニューではありますが、
それなりに「読める」ようになって、なんとか無事過ごしております。
いろいろご心配いただいたまま、長くお知らせも致しませんですみませんでした。
もうひとつご報告、ブログトップ写真の「桃」の花、
今日、息子の通っていた学校の卒業式でしたので一人後輩のお祝いに行きました。
現在学校は耐震工事中で、式に一般は入れないと聞いていたので、
午後の謝恩会のほうに行きました。会はカラオケの真っ最中でした。
しばらくみなかったI君は、とっても大きくなっていて、
紺ブレがよく似合いました。ちょっと言葉が不自由なのですが、
「おめでとう、お祝いにきたよ」といったら「ありがとう!」と
満面の笑みで答えてくれました。彼もまた車椅子、4月から作業所に通います。
あまり長居をしてもと思い、退室して桃のある中庭に行きました。
ところが…暖冬とはいえ、まだほんの少し早かったのです。
考えて見ますと、去年からでしたか2学期制になったんでしたっけ、
そのせいかどうか卒業式、息子のときより一週間くらい早いんですよ。
残念ながらまだつぼみでした。窓をあけ、デジカメでせめて膨らんだつぼみでも、
と身を乗り出していたら、その窓すごく位置が高いので、
私、火事の現場で一酸化炭素中毒の人間が、窓から身を乗り出して
必死で息をしているよーな…そんなふうにみえたのかも…、
とおりがかった先生に「だっだいじょーぶですか!」と
救出されそーになりましたー。わけを話して大笑い。
その先生のお話では、毎年ちゃんと見事に咲くそうです。
折れたはずの樹も、ちゃんと伸びていました。
笑い倒しているうちに、写真撮るの忘れてしまったのですが、
とりあえず、まだ一輪も咲いていませんでした。ごめんなさいですー。
ほっ ですね。
私も 何故か ほっと一安心です。
ありがとうございます。
おかげさまで、今のところは落ち着いています。
父には本当にアタマが下がります。
いつかは…とは思っていますが、
少しでも長く「普通」もしくは「普通」に近い
穏やかな暮らしが続くといいと思います。
蜆子様
落ち込んでも浮上しても、時の流れが同じなら
楽しいほうがいいですもんね。
なんたってまだ「物欲」ありますから、
当分大丈夫でしょう。
とんぼさんのご家族上手な介護なのですね。
読んだ本、つぎつぎと忘れるのは私とて同じ。宮城谷昌光の「三国志」を今読んでいますが、読めない見たことない漢字のオンパレード、一ページ前の名前もわからなくなります。中味よりも、頭を鍛えるための読書となっています。
着物をあげるのは、まだ後、ここ全然ぼけていらっしゃいませんて。
年齢と共にだんだんひどくなるといいますが、薄紙を
はぐようによくなってきているのは、余程お父様の
介護がお上手なんですね。普通に暮らせるってほんとにありがたい事なんですね。