これは昭和29年11月の「主婦の友」の付録です。
「新時代の和服」という題がついています。
どういう年であったかといいますと「第五福竜丸」の事件のあった年、
「ゴジラ」第一作目公開、ここまでは知ってましたが、
さすがに当時は私も「幼児時代」、で、ちと調べましたら、
映画は「二十四の瞳」「ローマの休日」「帰らざる河」
歌は「お富さん」「岸壁の母」「高原列車は行く」…ヤダ、みんな知ってるわ…。
笑っちゃうのを見つけました。流行語です。
「ソーラー族」、えっ?そんなころから「ソーラー発電?」と思ったら大違い、
「ミーハーよりランクが上とうぬぼれる人達のこと」だそうで、
つまり「ソ、ラ」は「ミ、ファ」より上だから…だそうで。
今でもいそーだなぁ「ソーラー族」…。
とまぁこんな時代、どんな時代?つまり、戦後9年目です。
終戦直後は、とにかく町は焼け野原、お金がない、物がない、家がない、
働き口がない、最悪は「戦争で家族まで…」だったわけです。
それから日本人は猛然と国の建て直しを始め、がんばりにがんばったわけですね。
わずか11年後の1956年には「経済白書」で
「もはや戦後ではない」と言う言葉が使われました。
この本の発行はその2年前の年の暮れ、ということです。
洋装は、戦後一気に「生活」の中になだれ込みました。
日常を着物で過ごすのは年寄りが多くなり、私が物心ついたころには、
「日常着は洋服」の時代にはいっていました。
たまたま私の母は着物好きで、私が小学生くらいの間は、
普段でもけっこう着物を着ていましたが、周囲の母親たちはすでに冠婚葬祭程度、
着物は「特別な日に着るもの」になっていってました。
この本はその少し前、つまり着物業界としては、
それでなくとも「戦争中は着物なんぞ着ない」という時代をなんとか乗り越えた、
それなのに怒涛のような洋装の波に押され、着物離れが始まりつつある…、
そんな時期です。やっと着物を自由にきられるようになったというのに、
人々の目は洋装に向いていく…、あせりの時代でもあったかもしれませんね。
私は専門家ではありませんから、詳しいことはわかりませんが、
着物は「嫌われないないための努力」として、
少しでも洋装に近づくといいますか、洋装のミリョクを和装でも可能にする、
とでもいうんでしょうか、そういうことをしていた、というのが見えるのです。
今までにも書いてきたことですが、本来着物はゆったりしたものだというのに、
きっちり着て体のラインを出すとか、着物のイメージとしてはあまり言われない
シャープ、スマート、スポーティ、といった要素を前に出すとか…。
写真の撮り方も、戦前の着物の写真とこのころの写真とでは違います。
いわゆる「ファッション・ショー」の要素を取り入れた撮りかた。
以前「モデル立ち」と言うお話しをしましたが、まさしくそれです。
こんな感じ、
着物の下半身はどう見ても「筒状」だというのに、モデル立ちをして、
片方の足を極端に前にだすことによって、「筒」の身頃は、
「長いタイトスカート」のように見えます。
はい、こちら昨日の雪村いずみさん、全身写真。
そしてこちらが、別の本ですが、同年の当時の「NEWファッション」着物。
総体に衿をきっちり詰めて、帯はきつめに胸高に、おはしょりはちいさめ、
草履は前も厚みがあります。
ちなみに、右から二番目は「司葉子さん」、四番目は「津島恵子さん」、
一番左の振袖は「有馬稲子さん」です。
ここから約10年後の40年の本から…
どうですか?だいぶ現代に近くなって、衿元胸元がゆるめになってきました。
でもまだ立ち方は、片足を前…ですね。
こちらが現代の写真(通販カタログですので足元だけ、おかりしてます)
全く逆になり、褄がまっすぐストンと落ちたラインの美しさを強調し、
足を「後ろ」に引いて、いわば「おしとやか」になってます。
最近の着物写真はこのタイプですね。
帯の締め方も、昔はとにかくギュッとしめて腰の細さを強調していたものが
少しずつゆるくなり、最近は帯が前に出っ張っている写真も多いです。
実は本来着物は、帯が前に出て当たり前なんです。
帯はベルトであってベルトでない。
広がらないようにおさえるものではあっても、帯は帯として確立しており、
アクセサリーではないのです。腰に締めるものではなく「着物に締めるもの」。
専門家でもないのに、生意気なことを書いておりますが、
要するに、着物は着物なのだから、洋服に対抗しなくても、
着物がきれいに見えるように、着ればいい、
そしてなにより自由な今の時代、
「その人に似合うように」着ればいいと思うのです。
着物の世界も「戦争」というとんでもないことのおかげで、
なだらかな変化を飛び越えて、一気に渦に巻き込まれたようにして
ここまできました。たいへんだったわけですよね。
確かに帯締めの太さだの、素材の変化だの、それなりの時代の「流行」、
というものがあるのはとめようもありません。
それでも、洋服のように「その衿の形、去年のバージョンじゃない」
なんて細かいことを言われないのが着物のよさ。
ちょっとアンティークな着物には、太くてハデな帯締めや、
ふわふわ帯揚げをわざと見せるなどの演出も「昔風の着方」で十分魅力的です。
なにより「楽しんで」着なくちゃね。
今日はちょっと長くなりました。
明日は帯締めなんかを見てみようと思います。
実は本日クーラーのおそーじを頼んでました。
これを書いている間にずーっとやっていてくれたのですが、
なんとまぁきったなかったこと~~~。
ほんとは一年にいっぺんくらいは、やったほうがいいんですけどね、
ついつい…先送りしてきましたら、クーラー入れると真っ黒なほこりが
ふわふわと落ちてきまして、こりゃダメだと急いで頼んだわけです。
本格的な夏前にきれいになってよかったです。
「新時代の和服」という題がついています。
どういう年であったかといいますと「第五福竜丸」の事件のあった年、
「ゴジラ」第一作目公開、ここまでは知ってましたが、
さすがに当時は私も「幼児時代」、で、ちと調べましたら、
映画は「二十四の瞳」「ローマの休日」「帰らざる河」
歌は「お富さん」「岸壁の母」「高原列車は行く」…ヤダ、みんな知ってるわ…。
笑っちゃうのを見つけました。流行語です。
「ソーラー族」、えっ?そんなころから「ソーラー発電?」と思ったら大違い、
「ミーハーよりランクが上とうぬぼれる人達のこと」だそうで、
つまり「ソ、ラ」は「ミ、ファ」より上だから…だそうで。
今でもいそーだなぁ「ソーラー族」…。
とまぁこんな時代、どんな時代?つまり、戦後9年目です。
終戦直後は、とにかく町は焼け野原、お金がない、物がない、家がない、
働き口がない、最悪は「戦争で家族まで…」だったわけです。
それから日本人は猛然と国の建て直しを始め、がんばりにがんばったわけですね。
わずか11年後の1956年には「経済白書」で
「もはや戦後ではない」と言う言葉が使われました。
この本の発行はその2年前の年の暮れ、ということです。
洋装は、戦後一気に「生活」の中になだれ込みました。
日常を着物で過ごすのは年寄りが多くなり、私が物心ついたころには、
「日常着は洋服」の時代にはいっていました。
たまたま私の母は着物好きで、私が小学生くらいの間は、
普段でもけっこう着物を着ていましたが、周囲の母親たちはすでに冠婚葬祭程度、
着物は「特別な日に着るもの」になっていってました。
この本はその少し前、つまり着物業界としては、
それでなくとも「戦争中は着物なんぞ着ない」という時代をなんとか乗り越えた、
それなのに怒涛のような洋装の波に押され、着物離れが始まりつつある…、
そんな時期です。やっと着物を自由にきられるようになったというのに、
人々の目は洋装に向いていく…、あせりの時代でもあったかもしれませんね。
私は専門家ではありませんから、詳しいことはわかりませんが、
着物は「嫌われないないための努力」として、
少しでも洋装に近づくといいますか、洋装のミリョクを和装でも可能にする、
とでもいうんでしょうか、そういうことをしていた、というのが見えるのです。
今までにも書いてきたことですが、本来着物はゆったりしたものだというのに、
きっちり着て体のラインを出すとか、着物のイメージとしてはあまり言われない
シャープ、スマート、スポーティ、といった要素を前に出すとか…。
写真の撮り方も、戦前の着物の写真とこのころの写真とでは違います。
いわゆる「ファッション・ショー」の要素を取り入れた撮りかた。
以前「モデル立ち」と言うお話しをしましたが、まさしくそれです。
こんな感じ、
着物の下半身はどう見ても「筒状」だというのに、モデル立ちをして、
片方の足を極端に前にだすことによって、「筒」の身頃は、
「長いタイトスカート」のように見えます。
はい、こちら昨日の雪村いずみさん、全身写真。
そしてこちらが、別の本ですが、同年の当時の「NEWファッション」着物。
総体に衿をきっちり詰めて、帯はきつめに胸高に、おはしょりはちいさめ、
草履は前も厚みがあります。
ちなみに、右から二番目は「司葉子さん」、四番目は「津島恵子さん」、
一番左の振袖は「有馬稲子さん」です。
ここから約10年後の40年の本から…
どうですか?だいぶ現代に近くなって、衿元胸元がゆるめになってきました。
でもまだ立ち方は、片足を前…ですね。
こちらが現代の写真(通販カタログですので足元だけ、おかりしてます)
全く逆になり、褄がまっすぐストンと落ちたラインの美しさを強調し、
足を「後ろ」に引いて、いわば「おしとやか」になってます。
最近の着物写真はこのタイプですね。
帯の締め方も、昔はとにかくギュッとしめて腰の細さを強調していたものが
少しずつゆるくなり、最近は帯が前に出っ張っている写真も多いです。
実は本来着物は、帯が前に出て当たり前なんです。
帯はベルトであってベルトでない。
広がらないようにおさえるものではあっても、帯は帯として確立しており、
アクセサリーではないのです。腰に締めるものではなく「着物に締めるもの」。
専門家でもないのに、生意気なことを書いておりますが、
要するに、着物は着物なのだから、洋服に対抗しなくても、
着物がきれいに見えるように、着ればいい、
そしてなにより自由な今の時代、
「その人に似合うように」着ればいいと思うのです。
着物の世界も「戦争」というとんでもないことのおかげで、
なだらかな変化を飛び越えて、一気に渦に巻き込まれたようにして
ここまできました。たいへんだったわけですよね。
確かに帯締めの太さだの、素材の変化だの、それなりの時代の「流行」、
というものがあるのはとめようもありません。
それでも、洋服のように「その衿の形、去年のバージョンじゃない」
なんて細かいことを言われないのが着物のよさ。
ちょっとアンティークな着物には、太くてハデな帯締めや、
ふわふわ帯揚げをわざと見せるなどの演出も「昔風の着方」で十分魅力的です。
なにより「楽しんで」着なくちゃね。
今日はちょっと長くなりました。
明日は帯締めなんかを見てみようと思います。
実は本日クーラーのおそーじを頼んでました。
これを書いている間にずーっとやっていてくれたのですが、
なんとまぁきったなかったこと~~~。
ほんとは一年にいっぺんくらいは、やったほうがいいんですけどね、
ついつい…先送りしてきましたら、クーラー入れると真っ黒なほこりが
ふわふわと落ちてきまして、こりゃダメだと急いで頼んだわけです。
本格的な夏前にきれいになってよかったです。
戦後すぐは、五福業界も死に物狂いと言うか、
もう「何でもありぃ」みたいな風潮です。
結局、落ち着くところに落ち着いた…
という感じですね。よかったですー。
ringo様
モデルさんの立ち方とか歩き方とか、
昔と今では違うそうですが、
このころは「野良着」やもんぺまで、
姉さんかぶりしてクワ持って「モデル立ち」です。
涙ぐましいというかなんというか。
着物はラクに楽しく着ましょうね(涼しくなったら?)
私もなんとなく時代の流れがわかりました。というより、思い出しました。
着物を着てのポーズのとり方は、よく時代を反映してるものですね。
楽しく着物を着る、というご意見、大賛成です!
このところ、暑くて着てないのですが(笑)。
10年しか経っていないのに下の4人写真とは、随分違うんですね~
何もかもが急激に動き出し、
追いつかなければ…だったのかもしれません。
アメリカの「大きな冷蔵庫」だの「牛乳瓶」だのに
圧倒されていた時代でしたからねぇ。
落ち着いてみれば、あせらなくても…
だったのかもしれませんが、
そのときは夢中だったのでしょうね。
うまこ様
ほんとにそうでしたね、まだ子供でしたけど、
オリンピックはほんとに誇らしい気がしたものです。
テレビがやってきて、横文字の歌やファッション用語
道具や車、なにもかもカッコよく見えましたものね。
青め猫様
着物について、着方や小物、流行なんてことは、
私たちの年代は、ほんの5年10年ちがっただけで、
何もわからなくなっていることが多いんです。
「どんな風に流れて今があるか」を知ることは、
今の着物を楽しむためにも、知って楽しいことです。
私でわかることならお知らせしますから、
ご遠慮なくね。
みやざえもん様
実践が一番いいんですよね。
読んだり聞いたりの上で実践すると、
元々日本のものですから、すっとなじむんですね、
もっと着物人口増やしていきたいですー。
まさにその通り!です。
自分に似合う着物、着方を実践でつかんでいけたら、
そしてそれを「楽しめれば」いいと思うのです。
こうして考えると、遊びも趣味も仕事も勉強も、
結構共通する部分がありますね。
いきなりの達人・鉄人はいないというところで。
そんなに着物の流行について圧縮した話は初めてで、驚きとある意味の新鮮さを感じました。
・・・楽しんで着物着たいと思いますw。
また、私のなぜなぜ質問攻めに答えていただいて、ありがとうございます。
ちょっと身につまされる写真の数々。
いまだに昭和20~30年代のポーズを取ろうとする自分です。
何事にも遅れまいと必死だったあの時代。
東京オリンピックまでは
アメリカが最高にかっこよかった時代で、
着物を着てさえアメリカの真似をしていたんですよね。
やはり、オリンピックと大阪万博で
日本は自信をつけて
ファッションも落ち着きを取り戻したんでしょうね。
時代の流れとともに変化する着物の着方、見せ方
こんな風に、着物を見つめた事が無かったから、
凄く興味深かったです。
なるほど‥・。
着物をそんなに洋風に見せなくてもよかったのになぁ
と思いますね
敗戦もして、着物の文化にちょっと自信をなくしていたのかな?
なんていうのか、昔はとてもムリをして、
背伸びしている感じがしますね。
着物離れはしてしまったけれど、
今はそれなりに、落ち着くところに落ち着いた、
と言う気がします。着物は着物、ですものね。
蜆子様
私は母がよく歌を口ずさんでいたので、
私の年代では知らないはずの歌を知っていて、
おどろかれることがあります。
さらに、着物受難の歴史と、着物に携わる人の工夫、せっぱつまった考えがよくわかります。
大変だったんだね~
昔の流行というのは、歌、言葉など、ある年代の人にしか通用するというのではなく、全世代を対象にしたものだったのですね。「君の名は」のちょっとあとだったでしょうか。
あの有名なフレーズ、小学生でも知ってましたし、お富さんを歌いながら、学校から帰ってきました。
着方、立ちかたが随分変わってきたのが
一目瞭然ですね。
やはりモデル立ちより今の方が上品な
感じでいいですね。