これは、頂き物、半紙2枚分くらいの大きさしかありません。
地色と、すずめの着物の色が同化してしまっているように見えます。
最初からわざと、そういう「効果」をねらってのことかと思ったのですが、
一番右端の「縫い代」に入っていたところを見ると、ごくごくわずかですが、
着物のほうが濃いのです。よーーーく見ないとわからないくらい・・。
境目がわからなくても、それはそれで、かわいい柄に見えますね。
実際には「楽器担当雀」と「踊り担当雀」の間にも、
一番下の縞模様が入っているのですが、縦に長くなってしまうので、
ちょっと折りたたんで、雀さんだけならべました。
着物だったのか襦袢だったのか、それすらもうわかりませんが、
楽しい柄ですよね。雀の持ってる扇子はちゃんと「松竹梅」の柄になってます。
雀といえば日本人の日常ではもう当たり前に身近な存在ですね。
農業国だった日本では、雀は益鳥であり害鳥でした。
つまり、田植えから稲がどんどん伸びて実を結ぶまでは、
「虫」を食べてくれるありがたい鳥、そして稲が実ってからは、
その稲を食べる困った鳥、ということです。案山子さんの出番だったわけですね。
稲を食べられるのは困りましたが、それでも「虫」を食べてくれるという点では、
殺虫剤などない昔、ありがたいことだったわけで、「雀踊り」などと言う形で
お祭りで奉納されたりしたのも、そういう「よいところ」を認めてのこと・・
だったのではないかと思います。「雀踊り」は、日本各地に残っておりますが
いずれも開いた扇子を両手に持って、それを雀の翼に見立てて踊るものです。
着物の図柄には、奴さんのような茶色い半てんに笠をかぶり、
袖に手を入れてピンとはったものを翼に見立てて踊る・・というのがあります。
羽裏や男物の襦袢などによく使われています。
また、若い女性の帯の「変わり結び」にも「ふくら雀」というのがあり、
「福良雀」と、おめでたい字を当てて書かれたりします。
30年くらい前は「成人式」といえば「福良雀」か「文庫」でした。
ふくら雀と言うのは、冬雀とも言われますが、冬の寒さの中、
丸々と体を膨らませた雀の姿のこと。これは太ったのではなく、
羽の中に空気を溜め込んで保温しているのです。そのようすの愛らしさや、
冬でも丸々として暖かそうな姿に「福」とか「富裕」を感じ取ったのでしょうね。
さて、桃太郎もあったことですし、それなら「雀」も昔話を・・。
一番有名なのはやはり「舌切り雀」でしょうね。
この昔話、だいたいのストーリーはお分かりかと思いますが、いかが??
途中までは勢いよく続くのですが、途中で「あれ?このあとどうなるんだっけ?」
よくあるんです。アタマとオワリはわかっているのに間が出てこない・・。
ではカンタンに・・・。
おじいさんとおばあさんがいて、おばあさんの作った「のり」を
雀が食べてしまい、怒ったおばあさんは雀の舌をきってしまう。
逃げた雀を追っておじいさんが歩き回り、ついにみつけて「雀の館」へ。
宴会のあと「大きなつづらと小さなつづら」のお土産が出て、
遠慮して小さいほうをもらって帰ると、つづらの中から宝物が・・。
これを見た欲張りばーさんが、わざわざ出かけて行き、
帰りに欲張って大きなつづらをもらって帰ると、化け物が入っていた・・。
というお話ですね。
このお話の場合、いろいろなストーリーがあります。
もちろん「大筋」は違わないんですが、まず雀が「いつも庭に来る雀」だったり、
おじいさんの野良仕事のお弁当を食べちゃった雀が飼われることになったり。
そして「のり」を食べてしまうところと、舌を切られてしまうところは
変わらないんですが、そのあと雀を探しにいったおじいさんが、
見つけるまでに体験する過酷な試練の数々・・?!・・このあたりで、
いろいろ変わってきます。古い話しほど過酷?でして、
「雀の居場所を知らないか」とたずねたおじいさんに対して、
「牛を洗っているヒト」「馬を洗っているヒト」「菜っ葉を洗っているヒト」
と言うのが登場して、それぞれ「牛を洗った汁」「馬を洗った汁」
「菜っ葉を洗った汁」を飲めば教えてやる・・というもの。
この「汁」が、時代によって、或いは場所によってだと思うのですが、
「桶三杯」とか「五杯」とか・・、それが「おわん」になったり、
飲む数が変わったりしています。最近見たのでは、汁を飲むのではなく、
それぞれ「洗うシゴトを手伝う」・・となっていました。
このほうが読むほうとしても気分がいいですね。
それから先は雀との再会、雀のお宿でのご馳走、お土産のつづら「小」、
帰宅、おばあさんの出陣??お土産の大つづら、化け物・・となります。
最後が「つづらから出てきたのは妖怪オバケの類で、おばあさんが死んでしまう」
というパターンと、「妖怪・ヘビ・カエルなどキモチの悪いもの」で、
命からがら逃げ帰る、というパターンに分かれます。
貴方の知っている「舌切り雀」はどのパターンでしたか?
絵本も、ごく小さいお子さん向きは、ほとんど「骨子」だけの話しですが、
少し年齢がいったお子さん向けのものは、ちゃんと物語になっています。
たまに絵のほとんどないような本で昔話を読むと、
「ここんとこ、そうそうこんなだった・・」と、改めて思いだしたりします。
最近の子供は本を読まない・・といいますが、
一緒に読んでみるのもいいかもしれません。
私は「子供が生まれたら、毎晩ひとつお話をしてやるんだ」と、
たくさん読んだのですが・・・はて、いくつ覚えていることやら。
久しぶりに、読んでみるかなぁ・・眠くなりそ・・。
思いました。やはり幼い頃読んだ
おなじみの本ですものね。
私は大きなつづらを選んだおばあさんが
家に帰る途中に開けて妖怪とかが出てきて
命からがら逃げ帰ったと記憶しています。
この本は人や物に対して優しく、欲の深い
ことを考えてはいけないと教えてくれた本
だと思います。
じさまも大変だ
亜種なら知っています。
庭先でけがして苦しんでいる雀を手厚く看病したところ、お礼にひょうたんの種を落としていって、生ったのを割ると小判がざくざく・・・
それを聞いてうらやましくなった隣のばさまは、わざと雀を捕まえて腰をぼきっと折って一応治療。同じように落としていった種を育て、ひょうたんを割ると、蛇やムカデがぞわざわ・・・という変化譚は小さい頃読みました。
いろいろなタイプがあるんですよね。
どっちにしても「欲深おばあさん」とか
「いじわるおじいさん」とか必ず悪役が出てきて
痛い目を見る、そして「ほらね、だから
正直に生きなくちゃいけないんだよ」と教えてる。
こういう話って大事だとおもうんですが、
今は大人からしてヒネたのおおいですからねぇ。
素直な気持ちでいたいものです。
雪花様
「汁」バージョンは、ほんとジサマ受難の記、です。
すずめ一匹にそこまでやるか・・って、
今ならそういうところでしょうねぇ。
亜種の「植物の種」というのも見た記憶があります。
昔話って、ほんとにおもしろいものですね。
そんな雰囲気の柄なんですかしらね。
ところで雀って、そんなに踊りしているふうにみえてます?
なにが踊りになるのでしょう?
踊っているように見える・・というより、
ひとつは、小鳥であるが故の細かい動き、そして
いかに身近であったか・・だと思うのですが。
雀は体が小さく、当然天敵も多いわけで、
用心深く常にきょろきょろし、地面の上を進むときも
鳩のようにヨタヨタと片足ずつの歩行ではなく
両足そろえてチョンチョンと進みますね。
せわしなく飛び回り、エサをつつき
きょろきょろ見回す・・。
そういう動作は当然鶯や目白等の小鳥も同じですが、
雀は、日本人にとって朝、戸を開けたら
目の前にいる、そういう鳥です。しかも群ています。
しょっちゅう眼にする沢山の鳥で、しかも
農耕と深いかかわりがある・・、
ということで、その雀の動きを踊りにした・・
と言うことではないかと思っています。
もし、鶯が一年中群れて庭先に来る鳥だったら、
「鶯踊り」になっていたかもしれません。
昔は、人がやたら移動するということはありません。
一生村からでたことがないなんて当たり前。
情報量は圧倒的に少なく、毎日目の前に
見えていることが全てです。おまけに、今のように
土日の休み・・なんてのもありません。
そういう中でもたとえば歌を歌う、
それは町のように粋な新内だの、
小唄端歌ではなく、当然ながら「田植え歌」
「虫追い歌」「米搗き歌」「粉挽歌」・・。
必然的に踊りも、カッポレや日本舞踊ではなく、
身近なものの動きを取り入れたもの・・、
とまぁそういうことではないかと思っておりますが。
いかがでしょうか。
音楽担当のスズメさん達の目つきというか視線の位置、三味線スズメ君のかっこいいこと。
踊りスズメさん達の振り袖やお引きずり、帯(立て矢結び?)かわいいというか、粋というか。見飽きません。
自然の動植物を見ているのが好きな私なので昔の人の単調な生活の中でスズメが想像力を刺激してまだ見ぬ世界に思いを馳せた事は想像できますが、そこまで想像しなくていい私たちは多分幸せなんでしょうね。
今でも十分通用するデザインだと思います。
表情やしぐさがいきいきとしていますね。
何もないということの幸せも
あったのかもしれないと思えば、
あるというしあわせは尚のこと、
大切なものだと思わなくちゃいけませんね。
にゃんこさんも梅雨明けてスッキリでしょうか。
トウモロコシと卵を一緒の鍋に入れて茹でていました。
卵の黄身が偏らないように箸でころがしていると
あぁ、卵が踊っている、
と言う言葉が浮かんできました。
あ、でもこれは躍ってるんですよね。
スズメはぴょんぴょん躍るから、スズメが踊るってことになったのかしらね。音同じだし。
新説「雀踊り」ですね。そうかもしれません。
元々「念仏踊り」とか「えーじゃないか」とか、
これといって型が決まっていなくても、
とにかくなにやら手足を面白く動かして踊る、
と言うことは、何も娯楽のない当時の人々にとっては
楽しいことだったのだと思います。
「はじめに雀ありき」ではなく、
踊っているうち「雀のようだ」「雀に似てる」・・
「雀はこうだろ、いやこうか?」と、
そんなふうになったのかもしれませんね。