写真は…私の小学校の修学旅行のあとに出した「レポート?」です。詳細はのちほど。
今朝、新聞の投書欄を見ましたら…。
過去の投書で、ある方が「中学の修学旅行の小遣いが20000円まで。去年より5000円アップ」、
これは実行委員の生徒たちが決めた額で「去年より5000円増し」だったそうです。
理由ははっきりしない、とありました。そして、結局積立金を含めて75000円かかったそうで、
「もう少しお金をかけずに質の高い旅行を」と学校側に希望する内容でした。
これに対しての別の投書で、一人は「上限はあくまで決まりで、この学校も上限を引き上げただけ。
いくら持たせるかは家庭で決めること。それをどう使うかは本人の裁量」…。
もう一人の方は「学校から、地元の不良に眼をつけられるので、制服ではなく私服で、といわれ、
旅行費用のほかに、旅行用の衣服、靴、パジャマの新調でお金がかかった。
またお小遣いは1万円だったが、拝観料や食事代でかなり使った。
それまでの旅行積立金のほかに、はるかにかかった。経済的な理由で参加をためらう家庭もあった」と。
やはりもう少し安価に…というお話でした。
私は子供がもう27歳ですし、彼が通っていたのは養護学校ですから、
たとえ現在のこととしても、普通学校の修学旅行と照らし合わせて、違うところばかりです。
ならばと自分のことを思い出しても…いやもうあまりにも古い話で…。
それでも「なんかへんじゃない?」と思いました。
旅行そのもののやり方が変わっていますよね。私たちのころはとにかく「団体旅行」の典型ですから、
どこへ行くのもみんな一緒、バスを降りて「はい、並んでぇ」と始まって、ガイドさんの旗のもと、
ぞろぞろと見学したものです。はい、証明写真??中学の修学旅行、
京都・奈良二泊三日の強行軍、これは法隆寺にて…日ごろのオコナイのせいで雨。
さて私はどれでしょう。ガイドさんの持っている説明の紙がオデコにささってる?のがアタシです。
最近は、何でもかんでも団体行動ではなく、グループで、分かれて行動するのだとか。
学校との契約で、決まったタクシー会社などを利用するのだそうで…。
そういえば、京都嵐山で見たタクシーも、フロントガラスに「ナンタラ中学予約」みたいな札がありましたねえ。
まぁ、考えると、まず「修学旅行」って何よ…です。
修学旅行の最初は明治時代だそうですが、元々字からいっても「観光旅行」ではなく、
何かを学ぶための旅…ですよね。(TDLやお台場行って、何学習するんだ?)
最近は、たとえば戦争に関わることだとか、産業に関わることなど、学習する旅行を実施するところも多いそうです。
私たちのころもそうでしたが、昔は今のように家族旅行とか、レクリエーションとか、
そういうことはやたらできない暮らしが当たり前でした。家族揃っての外食さえも、珍しかったです。
そういう中では「遠方への旅行ができる」というだけで、貴重な体験だったし、
家族と離れて友人や教師といった団体で宿泊することでも、当時は学ぶための体験として有効であったと思います。
でも今はもう家族で旅行とか、トモダチの家に泊まるとか、子供たちだけでテーマパークとかそんなのは珍しくもありません。
そのあたりからまず「修学旅行」ってなんだ…と考えた方がいいんじゃないかと思いますねぇ。
それとなにより驚いたのは「地元の不良に目をつけられるから私服で」…これって「なるほど」っていえる理由??
これも団体ではなく、現地でグループ行動に分かれるから、教師の目が届かないってことも関係してきますよね。
私服といったって、イマドキの中学生はオシャレですから、ジミで安い服なんてわけには行かないでしょう。
逆に、投書の主は「パジャマも靴も新調した」とありましたが、親としてはそうしてやりたいかも知れませんけれど、
いつものものだって、かまわないと思うのですが…。
また「お小遣いで拝観料や食事代が」とありましたが、これも、私たちのころは団体で、それもコミでしたから、
自分たちでお金を出すのは、ちょっとお菓子を買ったり、あとはほんとにお土産代。
グループ行動になるから、べっこに自分たちで払う?これだって、先に行く先や予定が決まれば、
入館料見学料なども先払いで、当日は「パス」みたいなものを見せれば、いれてもらえるとか。
そういう工夫をするなら、お小遣いの額も減らせると思いますが、
そういうきめの細かいことは「学校は忙しいんです」で、できないのでしょうね。
上限なんだから家庭で裁量すればいい、というご意見、今の時代、まわりから「なんだそれだけ?」
なんて言われるのがいやだからとか、そういうのもあるんじゃないですかねぇ。
修学旅行は、入学したときからわかっているのですから、親が前もって準備することは可能だと思いますが、
それでも、思ったよりかかる…のが旅というものです。
今の学校はいろんな問題をかかえすぎているようですし、時間がない、やることが多い、と、
教師はとてもきめ細かくなんて、対処できないのでしょう。文句を言う親も多いらしいですし。
もっとシンプルに、一度ご破算で願いましては…で、一から考え直すことも必要かと思います。
実際「今の時代では…」と、修学旅行そのものを廃止している学校もあると聞きます。
先日も6月の運動会のお話をしていて、いろんな予定やら行事やらで、詰め込んで並べると、
この時期しかない…と、梅雨のさなかにやる…雨にたたられるわ、熱中症で倒れるわ…本末転倒です。
「昔からそうだから」ではなく、時代にあった「学習の方法」を、根底から考え直した方がいいような気がします。
さて、それではトップ写真のご説明。
私は小学校だけは私学でした。横浜ですから、近所の小学校の修学旅行は、必ず「一泊二日の日光」。
そのときに私たちは「京都・奈良二泊三日」…えぇ私はこれを中学でもやったわけです。
つまりこれは「小学6年生のときのリポート」、花丸のはんこはありませんが、みんなちゃんと出しましたわ。
中はこんなです。子供のシゴトですねぇ。これを作る予定でしたから、見学場所では片っ端からパンフを集めました。
最後に行ったのが、奈良のドリームランド、当時としては「すごい遊園地」だったんですよ…なーんて言っても、
実は記憶に全くナイ…ナゼだ…後年、両親と関西旅行のおりに、せがんでここへ行きましたが、
そのときの方がよく覚えています。
ジャングル巡航船、リモートコントロール式の動物…TDLに先立つこと20数年です。
そりゃまぁアメリカのDLをモデルにしたんでしょうけれど、当時としては画期的でした。
もちろん、精巧さでは…ですけれど。
はい、また言われそうですね「とんぼって物持ちいいよねぇ」…親のおかげです。
さて、遠い遠い記憶のかなたの修学旅行、小学校も中学校も、高校さえも、「何を学んだか」…うっ…ナンニモ。
ただもうみんなとわいわい楽しかった、あそこで食べた何々がおいしかった、お風呂が大きくて泳いだ…。
結局修学旅行って、あとで思えば観光旅行?
明日もまた、ちょっとこの話題で引っ張ってみたいと思います。
中学生に出会いました。
ちょうど時季なんですね。
規則は決まっていても、余分にお小遣いを
持ってきたり、ほとんどが親戚近所のお土産を買いに行くような旅行だったようでした。
今とは随分違いましたね。
懐かしいです。
中学校の修学旅行先は 奈良・京都でした。
東京から 修学旅行専用電車「ひので号」に乗り・・・
ふるっ
以前も会いましたが、先生が声をからして
並べとかこっちへつめろとか言っても
ダラダラということを聞かないのを見て、
サマがわりを思いましたわ。
私もお土産ばっかり選んでましたね。
結局、ありきたりの物を買ってましたけど。
修学旅行生のお土産買い物通りだった新京極も
あんなに変わるとは思いませんでしたわ。
やはり日光でしたか。
やはり同じようなルート同じようなたびですねぇ。
ほんとに「ふるっ!」