私の好きな「浅田次郎さん」の本です。
「五郎治殿御始末」昨日はボーッとしていましたので、
ゴロゴロしながらところどころ読み返していました。
お読みになられた方もおいでかと思いますが、
「五郎治殿…」は短編集で、維新後、年号が明治にかわって何年か…
というあたりの時期のさまざまな人のエピソードが綴られています。
中でなるほど、と思ったのは「西を向く侍」という話し。
ストーリーは「維新によって武士として仕える道をなくしたものの、
習得している知識によって、再び職を得られるかと思ったのに
西洋文明によってその道も絶たれる武士」のお話しです。
彼は「暦と和算」の達人でした。維新で武士の身分がなくなってから、
彼に限らず「武士」だったものは突然リストラされたわけで、
たいへんだったんですね。その中で彼は「暦」の深い知識があるから、
いずれ世が落ち着いたら、またその知識技術を生かして仕事ができるもの
と思っていたわけですが、明治政府は「太陽暦」を使うということを、
しかも唐突に決めてしまうわけです。
ちょっと「暦」のお話しを致しますと、
日本はずっと「太陰暦」、つまり月の動きがメインの「カレンダー」でした。
細かい説明をするのは私には不可能ですので例によって大雑把に言いますと、
太陰暦ですと一年は365日になりません。約11日くらいずれます。
これを補うために「閏月」を挿入するわけで、補って太陽の動きとあわせるため、
実際には「太陽太陰暦」となります。
この「閏月」をいれるのと易学・陰陽道からくる二十四節季をあてはめるなど、
細かい計算をして暦を作り出すわけで、特に農業にとっては重要でした。
江戸時代の暦は毎年前年のうちに計算されたものが発表されました。
そのため去年と同じでもなければ、今のように、
そのままずーっとずらしていけばいいというわけでもありません。
そのため「暦」を作って売る、という商売が成り立ち、
庶民は毎年その暦を買ってそれにあわせて生活しておりました。
さて、それまで太陰暦できたものが、明治5年のしかも太陰暦で
立冬直後に「今年の12月2日を大晦日にせよ」とお達しが来たわけです。
つまり12月の3日が明治6年の元旦ということ。
一説に「太陽暦に変えたのは、陰暦だと閏月の入る年に役人への月給を
一ヶ月分余分に払わなければならないため」といわれています。
物語では、主人公がそのことに気づき、上司にそのことをぶつけて講義する、
という場面があります。それはただ自分が職を失うことへの怒りだけではなく、
急にそれを言われた庶民たちにとっての迷惑や問題も含んでいました。
つまり、12月の2日が大晦日になってしまいましたから、
月がかわったとたんに、大晦日の掛取りも急遽やる羽目になったわけです。
当時「大晦日」というのは毎月の掛取りで取りあぐねているものも、
すべて集金しなければならない月でした。
落語には、この大晦日の掛取りをかわすのに死んだことにして…
なんて話しもあるくらい、厳しいものでした。
前月の分をやっと「大晦日にゃ払うから」と追い返した人も、
たった2日で「大晦日になったちゃった」わけですね。
主人公は「民のことを考えて変えてこその政」というようなことをいうのですが、
当時の政府は、いや今もアンマリ変わらぬようですが、シモジモのことは
考えてくれないんですねぇ。
このお話しのオチ?は、新しい暦は確かに一年が12に分かれ、
単純にそれが繰り返される、毎月は30日か31日で、
四年に一度だけ一日増える、わかりやすいといえばわかりやすい…
しかし31日の月が1、3、5、7ときて、なぜ9にはならず
しかも次は10になるのか…と、そのアタリがどうもすっきりしない、
覚えられない…と、出入りの商人が言うことに対して、主人公が
それなら30日に満たない月を2,4,6,9、十一は「士」で侍のことだから
「にしむくさむらい」と覚えればよかろう…とまぁ、そんなお話しなんです。
あっこれはあくまでも話しの筋の一部であって、
この物語は、当時の「元・武士」の悲哀があふれている名文です。
維新という事象、明治という時代は、本当に何もかもが
ひっくり返ったような騒ぎであったと思います。
この本は、その中でのほんの数人の運命や覚悟をえがいています。
その時代を子供だったり壮年だったり老年だったりで迎えた人々が、
その怒涛のような波をどのように受け止め、どのように乗り越えたか、
あるいは飲み込まれたか…。そんなお話しです。
ある日「消費税」が導入されて「えーっ3パーセント?余分に払うの?」
「100円でお菓子が買えない」「お財布の中が一円玉ばっかりになる」、
そんな文句をぶーぶー言ってましたね、かつて…。
それがいつのまにか5パーセントになり、またあがろうとしています。
こうやって「ええっ?!」「なんで?!」
「じょーだんじゃないわよ!」と言いながら、いつか慣れてしまうのでしょうね。
必要とあらばお支払いもいたしますが、使い道があれだけ「ほにゃらら」だと、
本気でおこりまっせ、庶民がモノをいえない明治じゃないんですから。
「五郎治殿御始末」昨日はボーッとしていましたので、
ゴロゴロしながらところどころ読み返していました。
お読みになられた方もおいでかと思いますが、
「五郎治殿…」は短編集で、維新後、年号が明治にかわって何年か…
というあたりの時期のさまざまな人のエピソードが綴られています。
中でなるほど、と思ったのは「西を向く侍」という話し。
ストーリーは「維新によって武士として仕える道をなくしたものの、
習得している知識によって、再び職を得られるかと思ったのに
西洋文明によってその道も絶たれる武士」のお話しです。
彼は「暦と和算」の達人でした。維新で武士の身分がなくなってから、
彼に限らず「武士」だったものは突然リストラされたわけで、
たいへんだったんですね。その中で彼は「暦」の深い知識があるから、
いずれ世が落ち着いたら、またその知識技術を生かして仕事ができるもの
と思っていたわけですが、明治政府は「太陽暦」を使うということを、
しかも唐突に決めてしまうわけです。
ちょっと「暦」のお話しを致しますと、
日本はずっと「太陰暦」、つまり月の動きがメインの「カレンダー」でした。
細かい説明をするのは私には不可能ですので例によって大雑把に言いますと、
太陰暦ですと一年は365日になりません。約11日くらいずれます。
これを補うために「閏月」を挿入するわけで、補って太陽の動きとあわせるため、
実際には「太陽太陰暦」となります。
この「閏月」をいれるのと易学・陰陽道からくる二十四節季をあてはめるなど、
細かい計算をして暦を作り出すわけで、特に農業にとっては重要でした。
江戸時代の暦は毎年前年のうちに計算されたものが発表されました。
そのため去年と同じでもなければ、今のように、
そのままずーっとずらしていけばいいというわけでもありません。
そのため「暦」を作って売る、という商売が成り立ち、
庶民は毎年その暦を買ってそれにあわせて生活しておりました。
さて、それまで太陰暦できたものが、明治5年のしかも太陰暦で
立冬直後に「今年の12月2日を大晦日にせよ」とお達しが来たわけです。
つまり12月の3日が明治6年の元旦ということ。
一説に「太陽暦に変えたのは、陰暦だと閏月の入る年に役人への月給を
一ヶ月分余分に払わなければならないため」といわれています。
物語では、主人公がそのことに気づき、上司にそのことをぶつけて講義する、
という場面があります。それはただ自分が職を失うことへの怒りだけではなく、
急にそれを言われた庶民たちにとっての迷惑や問題も含んでいました。
つまり、12月の2日が大晦日になってしまいましたから、
月がかわったとたんに、大晦日の掛取りも急遽やる羽目になったわけです。
当時「大晦日」というのは毎月の掛取りで取りあぐねているものも、
すべて集金しなければならない月でした。
落語には、この大晦日の掛取りをかわすのに死んだことにして…
なんて話しもあるくらい、厳しいものでした。
前月の分をやっと「大晦日にゃ払うから」と追い返した人も、
たった2日で「大晦日になったちゃった」わけですね。
主人公は「民のことを考えて変えてこその政」というようなことをいうのですが、
当時の政府は、いや今もアンマリ変わらぬようですが、シモジモのことは
考えてくれないんですねぇ。
このお話しのオチ?は、新しい暦は確かに一年が12に分かれ、
単純にそれが繰り返される、毎月は30日か31日で、
四年に一度だけ一日増える、わかりやすいといえばわかりやすい…
しかし31日の月が1、3、5、7ときて、なぜ9にはならず
しかも次は10になるのか…と、そのアタリがどうもすっきりしない、
覚えられない…と、出入りの商人が言うことに対して、主人公が
それなら30日に満たない月を2,4,6,9、十一は「士」で侍のことだから
「にしむくさむらい」と覚えればよかろう…とまぁ、そんなお話しなんです。
あっこれはあくまでも話しの筋の一部であって、
この物語は、当時の「元・武士」の悲哀があふれている名文です。
維新という事象、明治という時代は、本当に何もかもが
ひっくり返ったような騒ぎであったと思います。
この本は、その中でのほんの数人の運命や覚悟をえがいています。
その時代を子供だったり壮年だったり老年だったりで迎えた人々が、
その怒涛のような波をどのように受け止め、どのように乗り越えたか、
あるいは飲み込まれたか…。そんなお話しです。
ある日「消費税」が導入されて「えーっ3パーセント?余分に払うの?」
「100円でお菓子が買えない」「お財布の中が一円玉ばっかりになる」、
そんな文句をぶーぶー言ってましたね、かつて…。
それがいつのまにか5パーセントになり、またあがろうとしています。
こうやって「ええっ?!」「なんで?!」
「じょーだんじゃないわよ!」と言いながら、いつか慣れてしまうのでしょうね。
必要とあらばお支払いもいたしますが、使い道があれだけ「ほにゃらら」だと、
本気でおこりまっせ、庶民がモノをいえない明治じゃないんですから。
よく評論家などは「外国の消費税はもっと高い」と
おっしゃいますが、それにみあった別の保障なり、
システムがあるはずです。
とるのはとります、なにもしません、では
「やらずぶったくり」ですよね。
ちょっと長いので・・・眠くなってしまったのです(ごめんなさい)
暦の話に興味があったのですよ。
消費税の増税は少しくらいならゆとりがある方なら「まぁまぁ~」しょうがないかと諦めて、慣れてきてぼやく程度ですが・・・貧しい人にとっては。医療費、後期高齢者保険、住民税と消費税でっしゃろ
食事をひかえる状態に追いやられます。
税制度が大企業大金持ちに有利にしか働いていません。
人間性が無視されたものです。
昔、そうやって覚えましたね。
なんで「士」が侍なの?「武士」じゃん、
なんてへりくつこねましたよ。
けっこう役に立つ知識ですね。
ミッチ様
はい、いまはグレゴリー暦、ですね。
なんか原子時計でしたっけ?
「うるう秒」なんてのまでやってますね。
それで差が生じることなんて、
何百年に一分くらいじゃないかと思いますけどねぇ。
天文学ってのは奥が深すぎますわ。
蜆子様
なにごとも「先人」と言われる人は、
努力プラス「運」ももっているのでしょうか。
でも、いっしょうけんめいやったことは、
すべて「無駄」にはなりません。
きっとそうだと思っています。
悲哀を感じますが、息子一応先端の再生医療の現場にいます。長いことかかって、積み上げてきたもの、もう一歩のところにきていても、先に到達したかたがいると、それはあっというまに標準になるとのことです。仕方のないことなのでしょうが、大変です。それが人類の進歩ということであるならば。悲哀ですね。
当たり前のように使っている語呂合わせも
明治からだったんですね~。
消費税や年金もコロコロ変わりますが、
その当時の大晦日が変わったのは大騒動
だったんでしょうね。