最近入手のものです。
母のこともあって、しばらくヤフオク画面も見ていなかったのですが、
落ち着いてきたので久しぶりに覗いて「出会い頭」ってやつです。
以前からお取引させていただいているところで、作業もいつも早い早い!
あっという間に届きました。
母が帰ってきたら、古いもの好きですし、持って行って見せてあげたいと思っています。
これはざらりとシボのあるちりめんです。新しい時はもっとデコデコしていたと思います。
鬼ちり…くらいだったかもですね。襦袢ですが、男物でしょうね。
最初は単純に「花魁」の絵が珍しかったのでそれにばかり気をとられ、
商品写真を見ても「花魁と書の組み合わせ」で、謡とか何かそんなものが書いてあると、
勝手に思い込んでおりました。
届いて見たら最初の文字が「佛」…えっと思ってよくよく見たら、
最後のところに「沢庵和尚の語」…あぁそれで花魁かと、納得しました。
えーとまず「沢庵さん」は「沢庵宗彭」ですが、このあたりの歴史、不得意です。
とりあえず…江戸幕府始まって間もない時期、寺院法度なんてものもできて、
大きなお寺の力を殺ぐように締め付けが厳しくなりました。
朝廷と寺院が仲良くして力をもつことを恐れた幕府が、
特に力のあった『大徳寺』の、住職決定権を朝廷から取り上げ、さらに、
徳の高い僧侶に「紫衣(しい)」を与える権限も、朝廷から剥奪しようとしました。
これに反発して、元々大徳寺の僧侶で住職をつとめたこともあった沢庵さんが、
「そりゃないよー」と寺院の僧侶と一緒にデモった…いえいえ、反発したんですね。
それで今の秋田のほうですね「出羽」に流罪となりました。
その後赦されて江戸にお寺を開いた…というヒトです。
「書画」や「茶の湯」の道にも深く、書をたくさん残しています。
で、この「花魁」の文なんですが、ひとつのエピソードとして伝わっているお話で、
あるヒトが、一服の掛け軸を見せて「賛」をお願いした…。
「賛」というのは、「画賛」とも言いますが、鑑賞してもらったヒトに、
その「画」についての感想や賛辞をそこに直接書き入れてもらい、
その「書き入れたもの」ごと作品にしてしまう、ということです。
自分で描いて自分でほめるのが「自画自賛」ですね。
この花魁の賛は、つまり「色欲」とは無縁のはずの僧侶に「花魁」という絵の賛を頼んだ、
というそこからひねってあるわけですが、沢庵さんはさらさらと書き入れた…。
えーと、これは探しました、なんたって全文覚えておりませんで…。
仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売る。
汝は五尺の身を売って、一切衆生の煩悩を安んず。
色即是空、空即是色 柳は緑、花は紅。
水の面に 夜な夜な月は通えども 心もとどめず影も残さず。
です。読めばなんとなく意味はお分かりかと思います。
卓越したかたというのは、心が広いということですね。
この花魁さんは、帯の結びから行くと「江戸・吉原」の花魁さんかと思います。
全体に色目が地味ですが、そのため目の周りのほんのりとした朱がきれいです。
これは袖1枚分しかありません、柄は真ん中で対照。
さて、どうやって使いますかねぇ。
そのまま額に入れて、元々の「掛け軸」とやらをしのぶのもいいかもしれません。
ところで朝顔「団十郎」さんですが、急にたくさん咲くようにはなってくれたのですが…
大輪系のお約束?じゃありませんが、丸くきれいに咲くのがなかなか…。
昨日と今日は、風が強くて表に出せません。
そうなるとやはり日差しとかなんとかあるのでしょうか、
最初から元気不足で、張りがないんです。
おとといは、花びらが何箇所か切れたりして…難しいですね。
ついでに我が家の「今年のグリーンカーテン」…。
まずはっぱの形が「おいも系」なのはまずかったですねぇ。
やっぱり朝顔の葉は、上の団十郎さん系のほうがらしいですね。
お花はおかげさまで毎日10個以上も咲いてくれて楽しんでいるのですが、
この種類、お花も葉も両方とも小さいんです。
葉がうまく重ならなくてスカスカ…一番はっぱのありそうなところでこんな感じです。
これからまだ伸びる様子はあるのですが、なんかヒョロヒョロ~です。
今年もまた「夢に描いたようには」なれませんでした。
母のこともあって、しばらくヤフオク画面も見ていなかったのですが、
落ち着いてきたので久しぶりに覗いて「出会い頭」ってやつです。
以前からお取引させていただいているところで、作業もいつも早い早い!
あっという間に届きました。
母が帰ってきたら、古いもの好きですし、持って行って見せてあげたいと思っています。
これはざらりとシボのあるちりめんです。新しい時はもっとデコデコしていたと思います。
鬼ちり…くらいだったかもですね。襦袢ですが、男物でしょうね。
最初は単純に「花魁」の絵が珍しかったのでそれにばかり気をとられ、
商品写真を見ても「花魁と書の組み合わせ」で、謡とか何かそんなものが書いてあると、
勝手に思い込んでおりました。
届いて見たら最初の文字が「佛」…えっと思ってよくよく見たら、
最後のところに「沢庵和尚の語」…あぁそれで花魁かと、納得しました。
えーとまず「沢庵さん」は「沢庵宗彭」ですが、このあたりの歴史、不得意です。
とりあえず…江戸幕府始まって間もない時期、寺院法度なんてものもできて、
大きなお寺の力を殺ぐように締め付けが厳しくなりました。
朝廷と寺院が仲良くして力をもつことを恐れた幕府が、
特に力のあった『大徳寺』の、住職決定権を朝廷から取り上げ、さらに、
徳の高い僧侶に「紫衣(しい)」を与える権限も、朝廷から剥奪しようとしました。
これに反発して、元々大徳寺の僧侶で住職をつとめたこともあった沢庵さんが、
「そりゃないよー」と寺院の僧侶と一緒にデモった…いえいえ、反発したんですね。
それで今の秋田のほうですね「出羽」に流罪となりました。
その後赦されて江戸にお寺を開いた…というヒトです。
「書画」や「茶の湯」の道にも深く、書をたくさん残しています。
で、この「花魁」の文なんですが、ひとつのエピソードとして伝わっているお話で、
あるヒトが、一服の掛け軸を見せて「賛」をお願いした…。
「賛」というのは、「画賛」とも言いますが、鑑賞してもらったヒトに、
その「画」についての感想や賛辞をそこに直接書き入れてもらい、
その「書き入れたもの」ごと作品にしてしまう、ということです。
自分で描いて自分でほめるのが「自画自賛」ですね。
この花魁の賛は、つまり「色欲」とは無縁のはずの僧侶に「花魁」という絵の賛を頼んだ、
というそこからひねってあるわけですが、沢庵さんはさらさらと書き入れた…。
えーと、これは探しました、なんたって全文覚えておりませんで…。
仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売る。
汝は五尺の身を売って、一切衆生の煩悩を安んず。
色即是空、空即是色 柳は緑、花は紅。
水の面に 夜な夜な月は通えども 心もとどめず影も残さず。
です。読めばなんとなく意味はお分かりかと思います。
卓越したかたというのは、心が広いということですね。
この花魁さんは、帯の結びから行くと「江戸・吉原」の花魁さんかと思います。
全体に色目が地味ですが、そのため目の周りのほんのりとした朱がきれいです。
これは袖1枚分しかありません、柄は真ん中で対照。
さて、どうやって使いますかねぇ。
そのまま額に入れて、元々の「掛け軸」とやらをしのぶのもいいかもしれません。
ところで朝顔「団十郎」さんですが、急にたくさん咲くようにはなってくれたのですが…
大輪系のお約束?じゃありませんが、丸くきれいに咲くのがなかなか…。
昨日と今日は、風が強くて表に出せません。
そうなるとやはり日差しとかなんとかあるのでしょうか、
最初から元気不足で、張りがないんです。
おとといは、花びらが何箇所か切れたりして…難しいですね。
ついでに我が家の「今年のグリーンカーテン」…。
まずはっぱの形が「おいも系」なのはまずかったですねぇ。
やっぱり朝顔の葉は、上の団十郎さん系のほうがらしいですね。
お花はおかげさまで毎日10個以上も咲いてくれて楽しんでいるのですが、
この種類、お花も葉も両方とも小さいんです。
葉がうまく重ならなくてスカスカ…一番はっぱのありそうなところでこんな感じです。
これからまだ伸びる様子はあるのですが、なんかヒョロヒョロ~です。
今年もまた「夢に描いたようには」なれませんでした。
はじめまして。
トラックバック…されていないのですが…。
私も「汝は五尺の身を売って」くらいまでは
なんとなく覚えていたのですが、
全文みて、あっこれか…だったです。
これも型染めらしくて、向こうも側まったく同じ「手」です。
いい感じですよね。
団十郎さんは、つぼみのときはとても濃い色なんです。
ふしぎですね。
私父に「ほら、つぼみはこんなに濃いんだよ、
長十郎」といって「おまえ、そりゃ梨」。
とんでもないオチがつきました。
名を残すヒトというのは、いろんなところのデキが
違うのでしょうねぇ。
ハート型の葉っぱ、とてもかわいいのですが、
もう少し大きくなるかと思ったのに、
全体に小さいです。日よけにならなーい…。
この部分を何かで読んだ記憶があったのですが、出展が判らぬままだったのでした。
これ、縮緬なんですか!
書かれている文字、気取らずちょっと無骨っぽく鄙びていて良いですねぇ・・・・
団十郎朝顔の色、不思議な艶があって綺麗ですね~♪
あとはさっぱりです。
花魁の絵を見てさらさらと、こんな風に
書ける教養、やっぱり歴史に残る人は違い
ますねぇ。
グリーンカーテンにされたこの朝顔の葉、
ハートみたいでとっても可愛いです。