マント記事(一体何回書いたやら、この言葉)のために、古い本など並べています。
そのおかげで、ついつい脱線して、他のものばかり見てしまって・・・すみません。
今も続いている「美しいキモノ」の、昭和31年のもの。草笛光子さんですね。
実はこの本を見ていて、すごく気になった記事がありまして…。
昔の写真なので、粗くて見づらいため、できるだけ大きくしました。
わかりますか、同じ着物で染め分けて、右前でも左前でも着られるようになっている…です。
うっそぉぉぉと思いました。
説明の文も添付します。
この本は、昭和31年の本。つまり、戦後まだ11年目ですね。
戦争終わってほっとして、急激に暮らしが変わっていく…その中で着物は、
どんどん忘れられるのではないかと、そんな危惧が高まっている時代です。
なんとか洋服との距離を縮め、日常生活の中にもっと着物を取り戻したい…。
着物を作る側、売る側、またそれに関わる人たちには、そんな思いがあったのだと思います。
古い着物本の写真を見ると、なんとか洋風に…とモデル立ちをしたり、
草履の先をチョンとたてて、靴の写真と同じようにさせたり、
羽織りをショートにして「スポーティ」「軽快」など、いかにも「着物だって活動的なのよ」と、
そんなアピールをしたり…。
当時の人たちの「なんとかしよう」というキモチ、わからないでもありません。
でも…さすがに「どちらを前にしても…」というのは、ちょっとねぇぇぇと思いました。
最後の一行「なお左前は、洋服になれた私たちにとって、最早奇異でも何でもないはずでしょう」
これには正直ヒキました。いや、奇異ですよ、平成の時代に聞いても…。
この提案?が、結局広がることも定着することもなかったというのは、
やはり、変えてはいけないことはある…ということが、ちゃんと守られていたということでしょう。
洋装と張り合うことは、洋装の真似をすることでも迎合することでもありません。
和装にしかないもので勝負して残っていこうとすることです。
だからといって、この記事はおかしいとか、ダメだとか言うことではなく、
先人も迷い、考え、試行錯誤して、なんとか伝えよう、続けようとしてきたのだと、
そんなことを思いました。
古い本を見ると、繰り回しのわざや工夫、長持ちさせるための手入れの方法など、
それまでの知恵や情報を、積み重ねてきたことのアピールと、
「もっと新しく、こんなのはどうですか」というアピールと…その両方です。
迷うことも、試すことも、よいものを残し、育てていくためには、大切なことだと思います。
思いますが…残るはそれをキャッチする側のキモチ。
何にも伝えてもらわないまま、昔とはくらべものにならないほどの怒涛のようにおしよせる情報を、
どうさばいていくか…結局いつも言うのは「賢くならないとね」、です。
こちらの本、表紙は山本陽子さん。これは上よりは新しい昭和54年のもの。
それでも35年前のものですが、表紙に「内容」が書いてあります。
ズームしてみました。
正装編から始まって、着付け、小物、マナー、おばあちゃんの知恵、そして和裁まで。
つまり、このころすでに、こういう知識などが伝わらなくなっていく傾向だったため、
こんな本が盛んに作られたんですね。しかもこれは「付録」です。
今、こんなカンジの内容のものが「ノウハウ本」として売られています。
当時は主婦の友とか、婦人生活などの雑誌の付録として、
こんな内容の濃いものが、つけられていたんですね。
こういうものは、再版されることもありませんから、今は古本で探さないとありません。
でも、探すとけっこうあるのです。付録なら元はタダのはずですが、
そりゃしかたありませんねぇ。
これには、今書いている(あいかわらずですが)マントも、一枚写真がありました。
ほんとに書き上げなきゃ…と、一応思っています。
とりあえず今日は、こんなお話で…。
コメントいただいていましたのに、
見落としておりました。すみません。
昭和30年代は、すべてが混とんとしています。
作るほうも買うほうも、試行錯誤の様子です。
大正ロマンのころは、私は結婚したばかりで、
ウールの着物に割烹着、でしたから、
あまり外に目が向きませんでしたね。
華やかな対象ロマン着物を見ると、
なんか舞台衣装に見えたりしてました。
戦争直前の本は、時期的にもなかなかなくて、
見つからないのですが、
できればまんべんなく、時代の本を
集めたいと思っています。
着物はそれまでなら前の代のストックもあって、染め替えたりとかで小紋などは作って、礼装だけは新しく誂え、とかできていたのが、全部なくなって一から揃えないといけないけど、そこまで豊かではないし、前合わせを変えて訪問着と留袖兼用、というのはそういう状況での提案ではないかなと。
まだ礼装だけ作ればいいという時代にはなっていない中で、どうやって少ない枚数でやりくりするか、という極端な案のように思います。
多分、まだ日常に着物があった分、今よりは着物の変化に対しても融通が利いたんでしょうね。
今はかなりがちがちですから。
昭和54年くらいになると、私も何となく分かる時代です。
このあとしばらくして「大正ロマン風」とか出てきたなあ…とか。
「大正ロマン風」は好きではなかったけど、それまでは着物は衰える一方だけど結婚式とかには着るもの、というだけだったのが、何か新しいものが出てきた、という感じでした。
昭和54年頃だと、母も若い頃は適当に毎日のように着ていたのが、何か楽な着方があるらしいと近所で教えてくれる人にちょっと習いに行ったりし始めた頃のように思います。
戦後、着物の位置づけって少しづつ変わってきたんだろうと思うのですが、こういう雑誌を紹介して頂くと垣間見するようでおもしろいです。
今の時代では、雨竜様のようなお考えも、
不思議ではないと思います。
日本は残念ながら「宗教観」というものが、
よく言えばおおらか、悪く言えば希薄です。
神社ではお賽銭あげてお願いし、
葬儀では神妙にお題目を唱えても、
心底それが暮らしの中に「信心」という形で
根付いていることは少ないでしょう。
私などは、古い親に育てらていますから、
反対向きに着せるのは、亡くなった人に
「あなたはもう仏さまになったんだよ」と、
こちら側とあちら側、という区切りを、
自分自身もきっちりつけるためのもの、と、
そういう教わり方をしています。
洋装のウェディングドレスは白、
家族がなくなったら喪に服す、というのと、
同じレベルでインプットされてしまっていますから。
ファッションとして面白いと思えても、
そこから先には進む気にはなれない年代ですねぇ。
どうする?いっぺん出してみようよ。
やってみるか…みたいな?なんて想像しました。
張り混ぜ、継ぎ合わせ、端縫い…日本には、
なんでも美しく作り替えるマジックが
あるのですよぉぉぉ、です。
傷んだ何枚かの着物から、1枚を作り出す。
言わなきゃわからないくらいに、出来上がる…
これを今、やってみたいと思っています。
みんな自分が生きてきたそれぞれの時代に、
右往左往することは、いっぱいあるんですよね。
30年代40年代、私は子供から大人へのころ、
母や近所のおばさんたちの着物姿で、
いろんなことを、しらないうちに学んでいたんだなと、
そんなことを思います。
着物が着られなくなってきた頃の、頑張る方向が、
どこかでずれちゃったのかな、なんて考えたり。
着物についての今の一番のネックは、
「洗うこと」「維持すること」なんです。
着物は基本的に「手縫い」ですから、
母の時代のひとのように、解いて洗って自分で縫って、
ということがなかなか難しい今、
それをもっと手軽にできないと、結局は、
安い服のように着倒されたら捨てられる…みたいな?
元々が何度でも繰り回したり、はぎれになっても
最後まで使えるエコなものなのですが、
それが生かされないと、着物を着続けていくことが、
難しいのではと思っています。
帯だって巻き方で前帯を変えるんだから、きものだって^^
染め分けだけでなく、屏風みたいに四季の風景を順に並べたのもいいかも・・・春と秋で正面を変えるの。あ、紅梅白梅図みたいにして、気分で紅を出したり白を出したりは?後ろは光琳水。うーん、われながらいいアイデア^^
私はちょっと試してみたいです~。
「何で左前に着ないか」をこの記事の関係者全部が知らなかったということは考えられませんし。
編集長、英断だったのではないでしょうか?
ふふふふ、この記事に対する反響が知りた~い!っと思ってしまいました。
表紙の光っちゃんの貼り交ぜのようなお着物も十分面白いですのにねぇ。
二枚の良いとこ取りして一枚にする、こういうセンスのある悉皆屋があれば良いのに~。そんなことも思いました。
かなり斬新な事されていたんですね。
私の買った昭和30年代の本も
フリルが付いたり
花嫁衣装がかなり斬新な洋装寄りの物が
載っていました。
なんとか洋装との共存を考えていたんでしょうか。
古本ってその時代背景まで感じられるので
本当に面白いです。
どうすればもっと多くの人に
着物を着てもらえるでしょうね。
地域限定ですがレンタル着物が当たってくれた事は
すごく大きかったと思うのですが
その後自分で着られるまでは
またハードルが高いですしね。
数年前まで着物なんて着ない!って言ってた私が
何も語る資格はないですが…
どこでどうスイッチ入ったのか?!
マントは楽しみにしていますが
全く急いでいませんので
気をもまないで下さいね。
私もコートは次の冬に向けて縫える様に
時間のある時にゆっくり
自己満足な事を追求します!
縫うのか?!私(笑)