ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

グッときて…。

2009-12-16 14:24:09 | 着物・古布
昔から「アンタは身の程知らずの『面食い』だ」といわれて参りましたが…。
ほんとに「きれいな男性」が好きです。あっお付き合いは別でして、
あくまで「鑑賞用」…(鑑賞ってアンタ…)。

小学生の時のアコガレは「大川橋蔵」さんでしたっけ。
「新吾十番勝負」かっこよかったなぁ…。
あっそれはともかく、これは男物襦袢です。ネット買いです。
全体柄はこちら…そう…雪の吹き降る闇の中、オンナ子供を振り切って…。


  


最初にモニターでこの柄を見たとき「ん~~~」と考えました。
こういう図柄というのは、たいがい「何か物語の場面」であることが多いのです。
有名なエピソードとか名場面とか…。で、これなんだ?
こちら「イケメン全身像」


    


なぜか「パッと見」で「渡世人」と思い込み…だって縞の合羽にみえたし、
尻っぱしょりだし、窓から手を振る女性は「黒繻子の衿」かけてるし…。
「渡世人」の出てくる話なんて…あたしゃ国定忠治くらいしか思いつきません。
見立てか?と思い、またまたグルグルとご飯も食べずに…いえタベマシタ、
考えました。その結果、勝手に「こうだ」と決め付けて、購入!
さて、私の推理はあたっているのでしょーか。

ショップの画像は部分拡大が何枚かあって、ずーっと見ていったら、
窓の下で追いかけるように手を伸ばす少年がいました。
「刀持ってて袴」、おっと思いまして、ケンメイに部分拡大ものを
なめるように見てみつけましたよぉ~女性のいる場所のうしろの鴨居らしき場所。
昔「先祖の写真」なんかがこんな風に飾ってありましたよね。
それになぞらえたのかどうかはわかりませんが、
斜めになってる四角いモノに描かれているのは(かなりいい加減な描き方ですが)
「九曜紋」、「レンコンの穴」柄です。これってなーんだ…。


    



はい「細川家」の紋所ですね。ここまでであっとお思いの方、ツウです。
そうです、かの大石内蔵助が、討ち入り後にお預けとなったのが「細川家」、
最後はそのお屋敷で切腹したんですね。
そしてもうひとつの紋が、左上の雪の中に広げられたような「冊子」のなかに…
描き損じたかのようないいかげんな絵ですが、こりゃ葵のご紋です。


    

    
そして「橋」といえば、討ち入りには橋はつきもの、
両国橋を渡ったむこうに「吉良の屋敷」があり、
帰りは「永代橋」を渡って泉岳寺までいきました。
橋の上の棒に紙が挟まっているようなものは、おそらく討ち入ったときの口上。
吉良家の門の前に、「こういう趣旨で討ち入る」という書を、
竹の先に挟んで立てました。

ってなことで、これはひょっとして「忠臣蔵」の「山科の別れ」の判じ物かと…。
実際には、大石は二度江戸へ行っており、一度目はあちらの急進派を抑え、
浅野家再興の望みがなくなってから、二度目の江戸行きを決めました。
このとき、長男主税の元服をすませ、討ち入り参加を許可して連れて行きます。
したがって…なんて別にこんなに分析なんぞしなくたっていいんですけどね、
これは正確には一回目の江戸行き、かと。

下の少年の髪型が、前髪ありかなしか、ちょうど背景と溶け込んじゃってて
よくわかりません。


    


元服というのは前髪を落とすことで、
おでこの上の髪を丸くそって月代(さかやき)を作ること。
これは、戦場において兜をかぶるのに「蒸れ」防止と、
兜の収まりがいいようにするためのもので、
今日からは、戦場にいける、ということから「大人」とみなすわけです。
主税が元服したのは、二度目の江戸行きの前ですから。
いずれにしても、当時は連座して家族も処分、というのもないわけではなく、
大石には主税のほかに男の子が二人いたそうですから、
家族や子孫を守るために、大石は最後に主税だけを引き取って、
妻とはわざと離縁して実家に帰したわけです。

さて、これがほんとに「忠臣蔵」の判じ物であるかどうかは別として、
(ぜんっぜん違う物語だったら、こりゃ大笑い!です。
何か思い当たる方、ご存知の方、いらしたら教えてください)

(おかげさまで、お知らせいただきました。
これは「佐倉義民伝」というお芝居の一場面、というほうが正解でした。
訂正のお話しは21日に書かせていただきました。
ありがとうございました!訂正記事の方もご覧ください)

見立てや判じ物は、「答えを探す」楽しみというのがあります。
違うかもしれませんが、私はそう判じて、楽しみながら買いました。
ありがたいことに、私のような判じをする人がいなかったのか、
ものすんごく安かったんです。これがまんまの赤穂浪士の柄だったら、
きっと何万とかしたでしょうね。

この襦袢の下のほうには「鱗柄」があります。


    


鱗は魚の鱗を表したものですが、そのほかにも「蛇・竜」なども表します。
蛇は普通の蛇ではなく「蛟(みずち)」水蛇ともいわれますが、
これは龍の一種とか、竜の成長する姿とも言われています。
元々農業国の日本においては「水」はたいへん大切なもので、
水のあるところには「竜」がいる、わけで、そうそう「千と千尋」の
「ハク」も、埋め立てられてしまった川の龍神様でしたねぇ。かわいかったー…。
えと、軌道修正…鱗柄の着物や帯は、慶弔両方に使われます。
どちらかというと、お芝居などでは「鬼神・鬼女」の衣装などに使われ、
よくないもののように思われますが、鬼は神でもあり、
人にない力を持つもの、という意味で「強い力で望みをかなえる」とか
「龍神様のお力を賜る」というような意味合いで使われました。

最近の赤穂浪士の映画などを見ると、上着は黒の羽織で袖口のところに
白い幅広の布がついています。最近はそれが多いのですが、
ちょっと古い映画だと、この衣装は浮世絵などからとったのでしょう、
袖と裾に三角の山型に白が入っています。こんな絵です。
色が違えば「新撰組」ですね。
ともあれ、こんなふうに鱗柄をつけて「神のご加護」を祈ったのかもしれません。
ただし、これはあくまで「お芝居の話し」、でありまして、
実際の討ち入りは「黒っぽい着物に動きやすいたっつけ」下に鎖帷子を着込んだり
アタマには「火よけの頭巾」など、いわゆる「火事場装束」です。
これは、当時は町火消しがなく、火が出れば大名の家来たちが
消火に当たりましたから、夜の夜中に誰かに見咎められても
火事の多い江戸の街中では、このかっこうでいれば疑われることが少なかったため。
実際はそんなもんですって。


さて、判じ物はひとつには「文字を読めない人のため」というのもあって、
昔の看板などは、判じ物や見てすぐわかる絵看板のオンパレードでした。
「江戸時代館」という本には、当時の看板の写真が載っていますが、
キセルの大きいのできせるやとか、鬼が金棒持ってて「薬や」とか。
中で面白いのは「質屋」の看板、わっぱ細工のような木を輪にしたものが
大中小と三段重なり、その下に細いひものようなものが縄のれんのように
ぐるりとつけてあります。風が吹けばゆらゆらとゆれたでしょうね。
これは、上の丸いものが「月」をあらわし、下の縄のれんは水の流れをあらわす、
つまり「月が三つで三月(みつき)、水の流れで流れる、三月で流れる」
という判じだそうで、こうなると今の人間には「クイズ」ですね。

質屋さんといっても、今はブランドものの売り買い場所くらいにしか、
知られていないようですが、昔の人はなべ釜から入れたといいます。
要するに「我が家にとってダイジなもの、なくちゃ困るもの」をもっていって、
お金を借りました。三ヶ月で返せないと、その品物は取り上げられますから、
必死で働いてかえしますもんねぇ。
母の時代は「一六銀行」と言いました、足して「七(しち)」屋です。

よく知られる江戸時代の「湯屋の看板」、これは弓に矢をつがえたもの。
「弓射る…ゆいる…湯、入る」ですね。
また、湯屋の表には「板きれにひらがなの『わ』を書いた札」があり、
これがさがっていると「わ・板」で「(湯が)わいた」、つまり営業中のこと。
また、今でも縁起物で売っていますが、五合ますの三方の面のそれぞれに
「春・夏・冬」の文字、残りの一面に「繁盛」の文字、
これは「秋」が書いていない「ます」で大きさが五合というところから
「商い(秋ない)益々(ますのこと)繁盛(五合ですから一升の半分で半升)」の判じ。
これを見ても今の若い人は「一升」だの「あきない」だのに慣れていませんからねぇ。

こういうシャレは今はないですね。
かわりに「つめて言う」のがはやっています。
昨日開店したという、なんでしたっけ「アバクロ」?
「アバタづらの苦労人」…あたしか?






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8 コメント

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Unknown (とんぼ)
2009-12-19 22:08:35
haco様
おぉぉ~~そうでしたか。急いで検索しました。
なるほどねぇ…こっちだわ、と、
そう思っています。
下の子供が武士の風体なのとか九曜紋とか、いろいろ考えると、更に「なぞかけ」かなと。
つまり、義士もこの直訴も「男の意地」とか
「新年」とか…そういう意味で、共通項が
ありますよね。それをテーマのしているのかなと。
そういう見立て柄ももありますし。
どちらにしても、この姿はやっぱり「武士」では
ありませんから。
まったく知らないお芝居でしたから、
目から鱗がぼろんぼろんです。
ありがとうございました。
これについて加工と思っていたのですが、
本日時間切れで、別記事になりまして…。
なんたって日頃の不精がたたって、
はじめた掃除が終わらない…のです。
あ~疲れましたぁ。
返信する
Unknown (haco)
2009-12-19 03:32:48
パソコンが不調で、携帯からやっと見られました…。

これを見た時「佐倉義民伝」かな?と思いました。
またまた歌舞伎ですみませんが、直訴の場面はこういう橋(というか、渡り廊下)に、将軍と大名達が居並んでいました。
佐倉惣五郎には乳飲み子を入れて4人の子供がいたとのことです。
でも、それだと九曜紋が謎ですが…。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-12-17 21:26:09
きもの大好き様
今は本当にこういう絵のものがなくて、
さびしい限りです。

赤穂浪士も、今年はなんの放送もありませんでした。
これも時代なんですかねぇ。
一度泉岳寺に行ってみたいと思っています。
以前行ったのはなんと50年も前ですから。
いまだにお線香の煙が絶えないこの事件、
残った話は脚色されていても、
おこったことは語り継がれる…。
かれらにとって本望だったかもしれませんね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-12-17 21:22:10
りのりの様
昔の東映の俳優さんは、このテのお顔が
けっこういましたね。
名句の征ももちろんで、素顔の写真見て
がっかりしたこと数知れずーです。
ヒガシクンは、やっとゴールですね。
最近のイケメンといわれる人は、
どうもなぁ~が多くて…草食系とか
言うそうですが、お花たべてそーで…。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-12-17 21:18:43
陽花様
逆に、何か物語のあるものはないかと、
そんな探し方になってしまいました。
そうなると、なかなかないものです。
これは久しぶりのヒット、でしたが、
実はほかがシミだらけでして~。
羽裏分くらいは使えそうなんですが、
袖は両方とも「雪の柄」かと思うほど、
シミが降ってました?!
返信する
いい絵ですねえ (きもの大好き)
2009-12-17 10:00:45
男着物の裏には、色々なことを連想させてくれる絵が描かれてますね。私も裏を開いてみるのが好きです
鯉だの龍だの、やっぱり出世モノが多いですね
なかなかの達筆で、宮崎駿監督みたいな人がいらっしゃったんでしょうか(笑)
先日14日に松山藩おあずけとなり切腹した、10名の赤穂義士の法要が松山の寺でありました。歴史が今も息づいているのですね
返信する
Unknown (りのりの)
2009-12-17 08:53:18
小顔で八頭身、今風なイケメンですね。
東山君に似てるかも・・・
返信する
Unknown (陽花)
2009-12-16 18:47:33
絵を見て推理するってやっぱり忠臣蔵に
お詳しいから出来るんですね。
私がこういう柄を持っていても何かの
時代劇の一場面かも・・・の説明ぐらい
しか出来ませんわ。
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