京都のいとこの一人が引っ越しをしまして、家の中を整理して…(たいへんだったろなぁ)、
戸建てからマンションですので、どうしても収納が減るしと、今回母がいとこにわたしてあったものを、
送ってきてくれました。鏡掛けです。なぜか前日に「鏡掛け」のことを思いだしていました。
母の一番古い鏡台は、昔よくあった座布団敷いてお座りして…のあの形。
それには、母が自分でクロスステッチをした鏡掛けがかかっていたと記憶しています。
柄は薬玉で、流れるような紐の具合が、とても好きでした。
その鏡台はさすがに奥にしまわれて、後年使っていたのは、鏡だけのだったかと。
もしかしたらその鏡台ごと行ったのかもしれません。
それも古いものでしたから、そちらは処分されたのかも。(惜しいっ…とケチなことを考える…)
匂いや香りは、人の記憶に一番直結するものだそうです。
私も、あの母の一番古い鏡台の「引き出しをあけたときの匂い」…今でも鏡台のことを
思い出すと、必ずあの匂いを思い出します。昔のおしろいとか、母が使っていた髪油とか、
資生堂の化粧水とか、あれ確か当時400円くらいでした。それが入り混じったもの。
決して「かぐわしく」はなかったけれど、鏡台のことを思いだすと一緒にあの匂いも思い出します。
ゆっくりと鏡を見る余裕もなく動いていた母でしたが、ちゃんと口紅おしろいも入っていて、
「女」であったのだと思います。
これは「花嫁さんの打掛」の袖で作ったものです。この打掛は、これまた母の古い友人からのもの。
これをくださった方は、もうずいぶん前になくなっています。
優しいおばさんで、たまに私も母と一緒にお茶をごちそうになりました。たぶん中学生くらいの時…。
ご自宅は本屋さんで、そのおばさんはいつも着物に割烹着かひっぱりでお店に出ていました。
病気をして店はご主人や息子さんにまかせ、自分は店に出るのをやめて、
好きな針仕事などやっておられました。手仕事好きの母とは気が合い、
こんなの作ったとか、これはいい材料になるとか、いつもそんな話をしていたように思います。
その方が亡くなった後、何年か経って「あのひとからもらったもの、形見になってしもた。
形にせな、申し訳ないしなぁ」と、これを作りました。
どういう経緯で入手したものかわかりませんが、貸衣装の花嫁衣装。
これをいただいたとき、確かもう一枚あって、そちらの方が柄がハデだったように思います。
母はこちらをいただき、もったいなくてずっとそのまましまっていたのですね。
とりあえず袖だけ外して、鏡掛けを作り、私にもと言ったのですが、
残念ながらサイズの合う鏡台を持っていませんでした。
あれっ…胴体の方はどしたっけ…あるはず…どっかに…またこれです。
たぶんどこかにしまってあるはずです。
刺繍はミシンですが、正絹の花嫁振袖、古典柄。
おめでたく鶴の柄ですね。
袖の丸みの部分は、どうしても汚れが落ちなかったらしく、だからと言って切りたくはない…で、
そのまま使ってあります。
私の小さな鏡台用に作り直そうとしたのか、サイズの合うところまで、裏に紅絹がついています。
京都からは以前も、母が送ったものものを返してもらいましたが、
ずいぶん時が経っているので、再会がうれしいものばかり。
これは私の紬、実を言うと「渋ごのみ」でしたので、母が着せたがる、こういう可愛らしい色柄は、
あまり好きではありませんでした。それを知っていたのか、いとこの娘にと送ったらしいですが、
仕立てもされないまま戻ってきました。
今になって「こういう色柄が着られるうちに、着ておけばよかった」です。
一応着てます。かなーり以前出した写真。まだ加工もヘタでお見苦しい写真です。
まだ結婚して間もないころですから30才くらい?やせっぴでしたから、どうにも貧弱ですね。
この時は常滑から名古屋へ出て京都に行ったのでした。母が着ている紬も、今は私のところにあります。
着物にして着るには…ですねぇ。さて、どうしましょ。
欲張らず、着物好きな友人の娘さんに、きていただこうかな…。
あすは天気が下り坂、というので、今日もちとペンキ塗り、狭いところでしたので、すく終わりました。
真っ白になった壁の前で、しばし母の思い出に浸りました。
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