これはデパートで仮絵羽仕立てとして展示されていたもの。
ですから、すでに端縫い(一度裁ったものを並べて縫い合わせ、一反に戻す)が
してあります。展示をしていたためのわずかなヤケなどが原因で販売されず、
私のところにやってきました。
色無地はローズピンクともう少し赤味のあるピンク、右側は訪問着。
留袖もありました。もう一枚は、まだ全部広げていないのですが、
訪問着のようです。いい青です。
展示当時は色無地が5万前後で販売されていたものです。
いずれ、超破格値で販売予定です。
さて、先日の「喪」のお話に出てきた「色無地」。
あると重宝な着物です。読んで字のごとく「色があって柄がない」もの。
但し「地模様」はあるものもあります。
とても応用範囲の広い着物なのですが、「紋」をつけることで、格がかわります。
まずは「紋」をつけなければ、言ってみれば、単なる無地の着物、
街着感覚で着られる着物です。無地ですから「帯」で遊べるわけですね。
小物やちらりと覗くじゅばんなどで粋に装ったり、華やかにしたり…。
次にひとつ紋をつければ「略礼装」になります。
これが昨日お話しした「喪」などにも使えるわけですが、
たとえば黒い帯なら「お通夜・告別式」、グレーや蓮の花柄などは「法事」など。
また正式なお茶会やパーティーなどにも略礼装として着られます。
これが三つ紋をになると付け下げや紋のない訪問着よりも格は高くなります。
訪問着にも紋が入ると「逆転」します。ややこしいですね。
つまり「紋」というものの作用で、特に格の変動が大きいのが色無地です。
厄介なもので、じゃあ最初から一杯くっつけとけばいいかというと、
今度はついてるばっかりに「気楽には着られない」ことになります。
三つ紋をつけた色無地は、正式なお茶会などでも着られますが、
紋なしの訪問着や付けさげ程度でいいような会場に着ていったら、
主催者にたいしても失礼になってしまうわけですね。
また以前にも書きましたが、紋の入れ方でも格があります。
染め抜き紋や描き紋が上、縫い取り紋はワンランク下です。
けっこうめんどくさいですね。だから色無地には縫い取り紋をひとつ、
というのが、あいまいなランクで応用が利くのです。
告別式なら、この上に紋付の羽織をきればよろしいわけで。
羽織と言うのは、これがまたややこしいのですが、
原則として、「羽織が礼装」なのは男性です。
羽織については何度か書いておりますので、女羽織についてカンタンに…。
元々羽織は江戸時代「男のもの」と定められて、
女は着ることを許されませんでしたから、表立っての女羽織の歴史は、
それほど古いものではないということになります。
諸説ありますが「お定め」に逆らって、羽織を最初におおっぴらに着たのは、
「辰巳芸者」といわれています。
「辰巳」と言うのは江戸城から見ての方角で、場所でいうなら「深川芸者」です。
きっぷがよくて男勝り、名前も男の名前、例えば「○吉」などとつけていたとか。
さて、当時も今も「歌舞音曲」にかかわる人たちはファッションリーダーです。
「男物の羽織を引っ掛ける」というかっこよさは、一般女性にもウケました。
当然お上も「だからぁ着ちゃイケないってゆってんじゃん」と、
またまた締め付けたのですが、時はすでに幕末に向かって驀進中…。
結局うやむやのまま、また着始めてやがて明治維新、
そんなお達しは意味がなくなり、晴れて女性も着られるようになったわけです。
そんなわけで、女羽織の歴史はたかだか150年くらいなもの。
「出自」がそうであるために、元々「正式なもの」とされた
男の紋付と並ぶことはなく、紋をつけても第一正装にはならない、です。
留袖振袖には紋付の羽織を着ない、というのがそれですね。
喪のときも、参列者としては色無地に黒紋付の羽織でも、
遺族は「喪服」というのもそれですね。
そんなことからややこしいことになってしまったわけで、結局
羽織に紋をつけることで着物の格をあげる、但しあげても「略」まで、です。
羽織というのは歴史が短い上に、出現してから先がまたいろいろ…。
そんなわけで羽織は短期間にけっこういろいろ変化しました。
一時期、入学式にお母さんたちが黒絵羽織で勢ぞろいしたため。、
「カラスの軍団」なんて陰口をたたかれたりしましたね。
あれは、そこそこの着物でも「黒い紋付」を着れば格があがるから、
それが主流になったわけです。
え~またまたややこしいのですが、通常羽織は「羽尺」と呼ばれる反物が、
羽織専用の反物とされ、それで作ります。
しかしこれは正確に言いますと「中羽織」と呼ばれる、いわば普段羽織のこと。
黒紋付や黒絵羽は、本来一反を使って作られ「長羽織」と呼ばれました。
ところが、羽織の丈そのものが、昭和30年代からやたら短くなりましてねぇ。
結局「つごうのいいように」いろいろ変わったわけです。
つまり、こうです。
本羽織(長羽織)…紋付、色紋付、絵羽など、礼装として着られる。
中羽織…今、羽織と呼ばれているもの、小紋や紬など。
茶羽織…中羽織から更に「マチ」を取り、袖も元禄や筒袖などにして、
動きやすく仕立てたもの、もっぱら普段着です。
いっとき、お尻が隠れる程度の羽織が主流になったため、
最近ではアンティークの復活で、長い丈のものを
長羽織というようになっています。これまたややこしい。
結局、紋がついている場合は、その下に着る着物にあわせることで、
格をあげることができ、その紋の数によって更に「格」が変わる、ということ。
まぁ結局は、そういうかえってややこしいことが、
敬遠されることになったのでしょうし、
また着物文化も変わってきまして、例えば、昔は縞のお召しに黒紋付、で
十分礼装になったものなのですが、今はそんなものがなくなりました。
粋や地味を好んだ江戸文化の名残が薄まり、礼装は華やかに…と、
訪問着や付け下げが考え出されて、それが主流になっていきましたから。
というわけで、色無地から羽織にお話しが移りましたが、
「色無地」と「黒羽織」の組み合わせはちゃんと生きております。
先日の「喪服・色無地」の生地に頂きましたmaymayman様のコメントに
服装は相手に対しての礼儀でもあります、
生前のお付き合いから判断して、きちんと着物を着る事も喪主側の人達に、
あ~大変な思いをして駆けつけてくれたんだな~~と、
感じてもらえるのです・・・俗に着物の多いお席は格が高いとも言われます。
皆が着ないからという判断ではなく(自分が楽をしたいとかでなく)
相手に対する関係性で着物が必要なら着て行って上げて下さい!!!
とありました。これはまさしく私の言いたいことです。
以前から「着物は自由に着るもの」「好きに着ればいい」と、
言い続けておりますが、もうひとつ「礼装は別よ」と言っております。
それがまさしくこれでして、礼装と言うのは相手がいることです。
お祝いなら祝われる相手、葬儀なら亡くなられたかたとご遺族、
その相手に対して「祝う心」「悼む心」をあらわすために着る、
だからこそ流行に左右されずに、また自分の好みを優先させずに、
衣装を決めていただきたいのです。
いや、実際には「みなが着ないから」などの「郷のやりかた」は、
その地域に住まうものとして、避けられない場合もあります。
着物着ていって近所の人に「おおげさな」といわれ、
お姑さんに怒られた…なんて類の話もありますからねぇ。
着物がだんだん廃れていくから、着物というものの持つすばらしい知恵や、
暮らしに密着した工夫、想いを伝える工夫までもが、
いらないものとして消えようとしています。
着物好きの人、逆風もありますが、がんばりましょうねぇ。
私も微力どころか「微々々々力」くらいですが、
こうして着物のことについてかいていきますから!
ですから、すでに端縫い(一度裁ったものを並べて縫い合わせ、一反に戻す)が
してあります。展示をしていたためのわずかなヤケなどが原因で販売されず、
私のところにやってきました。
色無地はローズピンクともう少し赤味のあるピンク、右側は訪問着。
留袖もありました。もう一枚は、まだ全部広げていないのですが、
訪問着のようです。いい青です。
展示当時は色無地が5万前後で販売されていたものです。
いずれ、超破格値で販売予定です。
さて、先日の「喪」のお話に出てきた「色無地」。
あると重宝な着物です。読んで字のごとく「色があって柄がない」もの。
但し「地模様」はあるものもあります。
とても応用範囲の広い着物なのですが、「紋」をつけることで、格がかわります。
まずは「紋」をつけなければ、言ってみれば、単なる無地の着物、
街着感覚で着られる着物です。無地ですから「帯」で遊べるわけですね。
小物やちらりと覗くじゅばんなどで粋に装ったり、華やかにしたり…。
次にひとつ紋をつければ「略礼装」になります。
これが昨日お話しした「喪」などにも使えるわけですが、
たとえば黒い帯なら「お通夜・告別式」、グレーや蓮の花柄などは「法事」など。
また正式なお茶会やパーティーなどにも略礼装として着られます。
これが三つ紋をになると付け下げや紋のない訪問着よりも格は高くなります。
訪問着にも紋が入ると「逆転」します。ややこしいですね。
つまり「紋」というものの作用で、特に格の変動が大きいのが色無地です。
厄介なもので、じゃあ最初から一杯くっつけとけばいいかというと、
今度はついてるばっかりに「気楽には着られない」ことになります。
三つ紋をつけた色無地は、正式なお茶会などでも着られますが、
紋なしの訪問着や付けさげ程度でいいような会場に着ていったら、
主催者にたいしても失礼になってしまうわけですね。
また以前にも書きましたが、紋の入れ方でも格があります。
染め抜き紋や描き紋が上、縫い取り紋はワンランク下です。
けっこうめんどくさいですね。だから色無地には縫い取り紋をひとつ、
というのが、あいまいなランクで応用が利くのです。
告別式なら、この上に紋付の羽織をきればよろしいわけで。
羽織と言うのは、これがまたややこしいのですが、
原則として、「羽織が礼装」なのは男性です。
羽織については何度か書いておりますので、女羽織についてカンタンに…。
元々羽織は江戸時代「男のもの」と定められて、
女は着ることを許されませんでしたから、表立っての女羽織の歴史は、
それほど古いものではないということになります。
諸説ありますが「お定め」に逆らって、羽織を最初におおっぴらに着たのは、
「辰巳芸者」といわれています。
「辰巳」と言うのは江戸城から見ての方角で、場所でいうなら「深川芸者」です。
きっぷがよくて男勝り、名前も男の名前、例えば「○吉」などとつけていたとか。
さて、当時も今も「歌舞音曲」にかかわる人たちはファッションリーダーです。
「男物の羽織を引っ掛ける」というかっこよさは、一般女性にもウケました。
当然お上も「だからぁ着ちゃイケないってゆってんじゃん」と、
またまた締め付けたのですが、時はすでに幕末に向かって驀進中…。
結局うやむやのまま、また着始めてやがて明治維新、
そんなお達しは意味がなくなり、晴れて女性も着られるようになったわけです。
そんなわけで、女羽織の歴史はたかだか150年くらいなもの。
「出自」がそうであるために、元々「正式なもの」とされた
男の紋付と並ぶことはなく、紋をつけても第一正装にはならない、です。
留袖振袖には紋付の羽織を着ない、というのがそれですね。
喪のときも、参列者としては色無地に黒紋付の羽織でも、
遺族は「喪服」というのもそれですね。
そんなことからややこしいことになってしまったわけで、結局
羽織に紋をつけることで着物の格をあげる、但しあげても「略」まで、です。
羽織というのは歴史が短い上に、出現してから先がまたいろいろ…。
そんなわけで羽織は短期間にけっこういろいろ変化しました。
一時期、入学式にお母さんたちが黒絵羽織で勢ぞろいしたため。、
「カラスの軍団」なんて陰口をたたかれたりしましたね。
あれは、そこそこの着物でも「黒い紋付」を着れば格があがるから、
それが主流になったわけです。
え~またまたややこしいのですが、通常羽織は「羽尺」と呼ばれる反物が、
羽織専用の反物とされ、それで作ります。
しかしこれは正確に言いますと「中羽織」と呼ばれる、いわば普段羽織のこと。
黒紋付や黒絵羽は、本来一反を使って作られ「長羽織」と呼ばれました。
ところが、羽織の丈そのものが、昭和30年代からやたら短くなりましてねぇ。
結局「つごうのいいように」いろいろ変わったわけです。
つまり、こうです。
本羽織(長羽織)…紋付、色紋付、絵羽など、礼装として着られる。
中羽織…今、羽織と呼ばれているもの、小紋や紬など。
茶羽織…中羽織から更に「マチ」を取り、袖も元禄や筒袖などにして、
動きやすく仕立てたもの、もっぱら普段着です。
いっとき、お尻が隠れる程度の羽織が主流になったため、
最近ではアンティークの復活で、長い丈のものを
長羽織というようになっています。これまたややこしい。
結局、紋がついている場合は、その下に着る着物にあわせることで、
格をあげることができ、その紋の数によって更に「格」が変わる、ということ。
まぁ結局は、そういうかえってややこしいことが、
敬遠されることになったのでしょうし、
また着物文化も変わってきまして、例えば、昔は縞のお召しに黒紋付、で
十分礼装になったものなのですが、今はそんなものがなくなりました。
粋や地味を好んだ江戸文化の名残が薄まり、礼装は華やかに…と、
訪問着や付け下げが考え出されて、それが主流になっていきましたから。
というわけで、色無地から羽織にお話しが移りましたが、
「色無地」と「黒羽織」の組み合わせはちゃんと生きております。
先日の「喪服・色無地」の生地に頂きましたmaymayman様のコメントに
服装は相手に対しての礼儀でもあります、
生前のお付き合いから判断して、きちんと着物を着る事も喪主側の人達に、
あ~大変な思いをして駆けつけてくれたんだな~~と、
感じてもらえるのです・・・俗に着物の多いお席は格が高いとも言われます。
皆が着ないからという判断ではなく(自分が楽をしたいとかでなく)
相手に対する関係性で着物が必要なら着て行って上げて下さい!!!
とありました。これはまさしく私の言いたいことです。
以前から「着物は自由に着るもの」「好きに着ればいい」と、
言い続けておりますが、もうひとつ「礼装は別よ」と言っております。
それがまさしくこれでして、礼装と言うのは相手がいることです。
お祝いなら祝われる相手、葬儀なら亡くなられたかたとご遺族、
その相手に対して「祝う心」「悼む心」をあらわすために着る、
だからこそ流行に左右されずに、また自分の好みを優先させずに、
衣装を決めていただきたいのです。
いや、実際には「みなが着ないから」などの「郷のやりかた」は、
その地域に住まうものとして、避けられない場合もあります。
着物着ていって近所の人に「おおげさな」といわれ、
お姑さんに怒られた…なんて類の話もありますからねぇ。
着物がだんだん廃れていくから、着物というものの持つすばらしい知恵や、
暮らしに密着した工夫、想いを伝える工夫までもが、
いらないものとして消えようとしています。
着物好きの人、逆風もありますが、がんばりましょうねぇ。
私も微力どころか「微々々々力」くらいですが、
こうして着物のことについてかいていきますから!
きものは残念な事に、一物多価です(二割ぐらいの誤差なら赦せるのですが)・・・整合性の有る値段?が売り手のご都合主義です・・・経費が掛かるからそれなりに高くなるのはしょうがないと言う理屈は、私も商売人だから理解できます。
豪華なホテルで多額の会場費を払って大量のマネキン(販売の女性アルバイト)を用意して、食事までつけて(買わない人の食事代も買った人に付けて)ついでにお土産までついているなら(これだって買わないから渡さないと言う訳には行かない場合も有ります)・・・普通に売る店?の二倍や三倍に成ってもしょうがない???
また、紹介してくれた先生や・人に、多額のバックマージンを払うなら・・・これまたしょうがない???一呉服屋として止められない悲しい現実です。
この色無地そういう素性のお店のものですか???
結城の無地でも40前後、牛首の無地でも30前後、極細の御召糸を使った無地でも20前後、小石丸・世紀21などの極細糸使用の白生地でも10前後、14中双糸使いの上に一方付けの紋織りした生地でも10前後だと思えるのですが・・・写真では解りづらいのですが、一越か三越の普通の色無地に見えるのですが・・・違ってたらゴメンなさい、それとも無地ではなくて留袖の誤植に対してコメントしてしまったのなら重ねてゴメンなさい。
はっはっは、やっちまいましたー。
お知らせいただいてよかったです。
「0」を余分につけておりました。
えっ私50なんて書いたか?とビックリ!
(ゼロは消しましたので…)
50は留袖ではなく「訪問着」の価格です。
留袖はもう少し下です。色無地は4丈モノなので、
それで5万は元々けっこうお買い得?
このときの高いもので7万だったそうです。
まんなかへんをいただいたということかと…。
それと、展示会の方の問屋さんではありませんので。
それだけは確かです。
たぶん名前を言えばメイ様もご存知と思う
有名問屋さんです。
よくぞここまで詳しく・・・と感心しています。
本を見ていてもあやふやでどちらとも取れる
書き方をしたものが多いですもの。
でも、今日のブログを拝見して自分の思っているのと同じだったりするとホッとします。
「規則」というわけではないから、
よけいにややこしくなりますね。
それがまたちゃんと親から子へと伝わっていないので
壊れたり消えたりしてしまう…。
最低限のことだけでも伝わるといいんですけどねぇ。
黒の三つ紋の羽織は、仏事に
一つ紋は、漆や縫い取りは慶事に
一つ紋でも一越、紋綸子などのものは軽い仏事に
柄の羽織も色々でした。
今や、古着の長羽織などは趣味的なものとしても、普通に羽織などはあまり着なくなってしまい、かえって着ると違和感があったりします。
すると、これでいいのかなという思いがわいてきてお聞きしたのでした。知識としては知ってはいるつもりですが、実際とはなかなかマッチしません。
羽織着ようとすると頑張るということになりがち。でも頑張ってみようと思います。
ありがとうございました。
書いていらっしゃるとおり、臨機応変に使いまわしができる着物ですよね。
色も豊富で最近ちょっと私も注目してます。
一見、小紋や紬に比べると面白くない代物ですが、帯や小物でコーディネイトするとなかなかお洒落。
ブルーの反物、色が良いですね
地域地方のちがいかもしれませんが、
こちらでは若い人が菜が羽織をこのんで、
アンティークなど上手にきています。
あまり気負わず、例さえかかなければ、
自由きままにきていいのではないかと思います。
楽しんできてください!
青め猫様
今の時代は「色無地」というと紋がついてなくても
「礼装」という意識で見られますから、
八掛に柄物をつけるとか「遊び」をもたせて、
たのしんで着てほしいですね。