まだ北の方は雨の心配もありそうですが、ここはとりあえず通り過ぎたようです。
今は名残の雨とわずかばかり風が吹いているだけ。
おかげさまで、何事もありませんでした。
今日はまず、もう一枚「羽裏」のご紹介です。
手描きの風景画ですね。月夜にわずかにかかる雲、
帆掛け舟が遠近に二艘、手前には水辺に生い茂る葦でしょうか。
ありがちな題材ですが、手前の波の描きかた、これがこの絵のポイントかと…。
なかなかいいと思うのですが、残念ながら羽裏としてはもう使えません。
下の方がこんなです。
ちょっと引っ張ると、紙が破れるようにピリピリとさけてしまいます。
表は地厚の塩瀬羽二重の紋付なんですが、そちらも部分傷みがあり、
いいとこ取りで使うしかないようです。
この羽裏、真ん中の葦の部分にも小穴があり、ほんとにもったいなぁい~~!
真ん中の穴をちょっと補修して、柄の破れた下部分は切り取って、
あとは裏から接着芯で補強すれば、額にはめ込むとかインテリア関係には
なんとか使えそうです。せっかくここまで生き残ってきたのですから、
終の棲家を探してやらねばなりません。さて、何にしましょうかねぇ。
もうひとつ、先日バサマが私にと、ジサマが届けてくれたものの中に、
「木綿」がありました。おっこれはいい!と思ったのですが…。
いわゆる「昔の布団などに使われた木綿」ではありませんでした。
どこが違うかと言いますとですねぇ「染め方」なんですね。
たとえばこちら、今や布団一枚分なら「○万円」という、
とんでもないお宝になってしまった「藍染め」のはぎれ。
これだけ色が褪せていても「たっかい」んです、ホント。
で、前出の木綿とこちらの木綿の裏側を並べてみると…
一目瞭然ですね。ホンモノの藍染は「裏まで染料が通る」、です。
色が珍しいので期待したんですが、ありゃりゃ…。
ところがですね、最初はじっこを裏ッ返しただけでそう思ったので、
そのまま置いといて、次の日整理するのに広げたら、およよ!
違う意味で、これ「貴重品」でした。これがちゃんと広げて裏返して
気がついたところ…「日清製粉」…えっ!
あわててバサマに電話して確かめたところ、
なにしろバサマも子供還りが始まってますので正確ではないのですが、
かな~り前に「こうぼさん(京都の骨董市)」で買ったものらしいと。
とりあえず「日清製粉」でググってみましたところ、
元々「館林製粉」というのが、あの「正田氏」の作った会社、
それが「日清製粉」と合併して今の「日清製粉」になったそうな…。
で、上の字を見ると「館林工場製造」となっています。
日清製粉は、戦争で打撃を受けましたが数年で全工場を立て直しています。
この布は、たぶん「Flour」つまり小麦粉を入れるための袋で、
戦後モノのない時期に、復興までの期間使えない状態であったものに、
模様を印刷して「木綿生地」としたものではないかと思います。
生地屋さんの横流し?だったかも…。
最初はこの文字も復刻版のようなものかとカンぐったのですが、
どうもそうではないようです。それに袋として縫われていた形跡がありますし。
とまぁそんなわけで、こりゃもしかしたら珍しいものかも、と、
とたんに「我が家のお宝ランク上位」ということになりました。
以前、モスリンで「新聞社の名前のはいったはんてん」というのをみつけ、
これは新聞社に問い合わせたところ
「新聞が号外合戦を華々しくやっていたころの販売をしていた人の
いわばユニフォーム」というお答えをいただいたことがありました。
古着・古布を扱っていると、そんなフシギな出会いもあります。
楽しいですねぇ、この布は誰の手に渡ってどんな暮らしをしてきたのでしょう。
使われていたとしたら、かつては「小麦粉」を一杯入れて、
日本中を飛び回っていたのかなぁ、まさか「鶴亀」のもようを染められて、
この世に出回るとは思っていなかったろうなぁ…。
さて、日進製粉さんに問い合わせるには…と、またもくろんでいるとんぼです。
追記 と、上のように考えたのですが、ふと「逆」もありかな…と。
つまり、「製粉工場側」が、戦後、布がなくてありあわせに
木綿なら何でも、と利用したのかも知れないと・・・。
それも含めて質問してみようかな…。
今は名残の雨とわずかばかり風が吹いているだけ。
おかげさまで、何事もありませんでした。
今日はまず、もう一枚「羽裏」のご紹介です。
手描きの風景画ですね。月夜にわずかにかかる雲、
帆掛け舟が遠近に二艘、手前には水辺に生い茂る葦でしょうか。
ありがちな題材ですが、手前の波の描きかた、これがこの絵のポイントかと…。
なかなかいいと思うのですが、残念ながら羽裏としてはもう使えません。
下の方がこんなです。
ちょっと引っ張ると、紙が破れるようにピリピリとさけてしまいます。
表は地厚の塩瀬羽二重の紋付なんですが、そちらも部分傷みがあり、
いいとこ取りで使うしかないようです。
この羽裏、真ん中の葦の部分にも小穴があり、ほんとにもったいなぁい~~!
真ん中の穴をちょっと補修して、柄の破れた下部分は切り取って、
あとは裏から接着芯で補強すれば、額にはめ込むとかインテリア関係には
なんとか使えそうです。せっかくここまで生き残ってきたのですから、
終の棲家を探してやらねばなりません。さて、何にしましょうかねぇ。
もうひとつ、先日バサマが私にと、ジサマが届けてくれたものの中に、
「木綿」がありました。おっこれはいい!と思ったのですが…。
いわゆる「昔の布団などに使われた木綿」ではありませんでした。
どこが違うかと言いますとですねぇ「染め方」なんですね。
たとえばこちら、今や布団一枚分なら「○万円」という、
とんでもないお宝になってしまった「藍染め」のはぎれ。
これだけ色が褪せていても「たっかい」んです、ホント。
で、前出の木綿とこちらの木綿の裏側を並べてみると…
一目瞭然ですね。ホンモノの藍染は「裏まで染料が通る」、です。
色が珍しいので期待したんですが、ありゃりゃ…。
ところがですね、最初はじっこを裏ッ返しただけでそう思ったので、
そのまま置いといて、次の日整理するのに広げたら、およよ!
違う意味で、これ「貴重品」でした。これがちゃんと広げて裏返して
気がついたところ…「日清製粉」…えっ!
あわててバサマに電話して確かめたところ、
なにしろバサマも子供還りが始まってますので正確ではないのですが、
かな~り前に「こうぼさん(京都の骨董市)」で買ったものらしいと。
とりあえず「日清製粉」でググってみましたところ、
元々「館林製粉」というのが、あの「正田氏」の作った会社、
それが「日清製粉」と合併して今の「日清製粉」になったそうな…。
で、上の字を見ると「館林工場製造」となっています。
日清製粉は、戦争で打撃を受けましたが数年で全工場を立て直しています。
この布は、たぶん「Flour」つまり小麦粉を入れるための袋で、
戦後モノのない時期に、復興までの期間使えない状態であったものに、
模様を印刷して「木綿生地」としたものではないかと思います。
生地屋さんの横流し?だったかも…。
最初はこの文字も復刻版のようなものかとカンぐったのですが、
どうもそうではないようです。それに袋として縫われていた形跡がありますし。
とまぁそんなわけで、こりゃもしかしたら珍しいものかも、と、
とたんに「我が家のお宝ランク上位」ということになりました。
以前、モスリンで「新聞社の名前のはいったはんてん」というのをみつけ、
これは新聞社に問い合わせたところ
「新聞が号外合戦を華々しくやっていたころの販売をしていた人の
いわばユニフォーム」というお答えをいただいたことがありました。
古着・古布を扱っていると、そんなフシギな出会いもあります。
楽しいですねぇ、この布は誰の手に渡ってどんな暮らしをしてきたのでしょう。
使われていたとしたら、かつては「小麦粉」を一杯入れて、
日本中を飛び回っていたのかなぁ、まさか「鶴亀」のもようを染められて、
この世に出回るとは思っていなかったろうなぁ…。
さて、日進製粉さんに問い合わせるには…と、またもくろんでいるとんぼです。
追記 と、上のように考えたのですが、ふと「逆」もありかな…と。
つまり、「製粉工場側」が、戦後、布がなくてありあわせに
木綿なら何でも、と利用したのかも知れないと・・・。
それも含めて質問してみようかな…。
とんぼ様の手元に届くなんて夢がありますね。
こういう物って、欲しいからと言ってすぐに
手に入るものじゃないですからほんと!お宝ですね。
ほんとに、見たときはビックリしました。
一応「日清製粉」様にメールで
問い合わせさせていただきました。
いつのころのものなのか、
そのへんが知りたいところです。
家族の家系図ではありませんが、このような珍しい物の家系図のようなものを知りたくなりますね。
たまーにこういうなにやらいわくありげなものに
でくわします。なんか楽しいですよね。
このことについては、ご報告を忘れていたので、
今日のブログに書かせていただきました。
思い出させていただいてありがとうございました、