写真は昨日の本の外側を開いた中部分。
大切にしていたのでしょう、破れたところを裏から和紙で補修してあります。
和紙というのはとても丈夫、補修には最適です。
よくセロテープで補修してあるものがありますが、
セロテープはほんの数年で乾燥し、ただのセロファンとシミなってしまいます
さて本の方ですが、ここでもまた「あぁそうだったのねぇ」ということが…。
まずは掲載の帯が「腹合わせ帯」主体です。こちらがその写真です。
大正時代から大きな柄がはやり、色柄ともに今より大胆ステキ!
腹合わせと言うのは、裏と表で色柄が違うもの、ですが、
元々は裏は黒繻子が主でた。江戸時代はほとんどがこの「腹合わせ」です。
濃い色目と薄い色目があわさったものを「昼夜帯」とも言います。
ちょっと帯の江戸以降の変遷をざっとお話ししますと、
江戸から明治初期にかけては、まだ「おはしょり」を
あとから作る着かたでしたから、柔らかい幅広の帯を
まるで腹巻のように巻いて、あれこれ結んでいたわけです。
その後、ひとつのきっかけだけでなく、いろいろなことが絡みあって
少しずつかわったわけですが、明治維新で大きかったのは「機械織」の導入。
これでジャガード織の帯がひろまったわけですが、
その後、それまではわりと細かい柄が主流だったものが、
今の時代に「大正ロマン」と呼ばれるような、華やかな大柄がはやり、
女性の服装改革、というようなことが進み始めました。
着易いとか、締めやすいとか、動きやすいとか、さまざまに考案され、
袋帯、名古屋帯もそのとき出てきたわけです。
こちらが名古屋帯も入っている写真、
またおもしろい記述をみつけました。
こちらの「名古屋帯」の写真の裏側の説明です。
現代仮名遣いに直しての原文です。
「経済で(経済的での意味ですね)恰好よくしめられる
流行名古屋帯の上手な仕立て方」
表面写真でご覧のような、経済で恰好よくしめられる流行の名古屋帯…中略…
もとは夏になるとよくしめたものですが、このごろではいつとはなし、
季節きらわずにむかえられております。ですから、よほど上等の織物でさえ、
この仕立てにしめております。
名古屋帯は、名古屋女学校の創設者越原春子女史考案と言われています。
同時期、重くて厚手でしめにくい丸帯にかわって袋帯が出てきました。
この本の出たころは、その結果がいろいろ出てきて絞られてきた時代なんですね。
また続きの記述です。
「ご承知のように、同じ名古屋帯でも、お太鼓を一重に結ぶものと
二重に結ぶものとありますから、それによって用尺を揃えますが…」
えっ名古屋帯で二重太鼓?ですねぇ。
まず、今の時代二重太鼓というのは、ほとんど礼装にしか締めません。
また名古屋帯は普段、オシャレ帯、街着帯です。
名古屋帯で二重太鼓、今の時代なら長さ的にムリです。
ところが、本には一重も二重もアリ、と書いてある…。
そう、つまり名古屋帯という新しいものが出てきて、
それが人口に膾炙し、広まっていき、この頃には新しい名古屋帯は、
単純に「着物の上に締める帯で、カンタンで便利なもの」という括りだった…、
ということですね。実際に、昭和初期くらいかと思う帯には、
名古屋にしてはお太鼓部分が長いなぁとか、これはいったいどうやって締めたか、
と思うような、変則的な帯に出会うことがあります。
つまり、いろいろなものが出てきて、年齢や好みによって新しいものを
受け入れるとか受け入れないとか、或いは便利なところだけは使うとか、
そうやって淘汰されていったものが残っていったわけですね。
上の写真でいうと、右側の黒っぽい帯が長いものだと思います。
今の帯は、先人たちがいろいろおためししてそれで暮らして、
いいとこ取りのものが残ってるってことなんですね。
だからと言って今すでにないものが、
使いづらいものダメなものだというわけではありません。
昼夜帯などは、裏に黒地を使って、表を絞りとか友禅などにすると、
普段帯にとてもインパクトのあるものになります。
帯は長いので、着物でリフォームするときは、どこかで継ぐことになります。
自分の体に巻いたとき、表になる部分に継ぎ目が出ないようにつなげればいいし、
生地が足りないときは六通にすればいいし、それでも足りないときは、
作り帯にすると、表地が少なくてすみます。
ちなみに黒地は本来「繻子」がいいのですが、
最近は繻子がありません。たまに古い帯が出ても、繻子は摩擦に弱いので、
たいがいは擦り切れているか、非常に弱っています。
黒地は留袖か喪服の黒を利用するといいと思います。ツヤはありませんけど。
今日は時間がありませんので、じゅばんについて、また明日書きたいと思います。
大切にしていたのでしょう、破れたところを裏から和紙で補修してあります。
和紙というのはとても丈夫、補修には最適です。
よくセロテープで補修してあるものがありますが、
セロテープはほんの数年で乾燥し、ただのセロファンとシミなってしまいます
さて本の方ですが、ここでもまた「あぁそうだったのねぇ」ということが…。
まずは掲載の帯が「腹合わせ帯」主体です。こちらがその写真です。
大正時代から大きな柄がはやり、色柄ともに今より大胆ステキ!
腹合わせと言うのは、裏と表で色柄が違うもの、ですが、
元々は裏は黒繻子が主でた。江戸時代はほとんどがこの「腹合わせ」です。
濃い色目と薄い色目があわさったものを「昼夜帯」とも言います。
ちょっと帯の江戸以降の変遷をざっとお話ししますと、
江戸から明治初期にかけては、まだ「おはしょり」を
あとから作る着かたでしたから、柔らかい幅広の帯を
まるで腹巻のように巻いて、あれこれ結んでいたわけです。
その後、ひとつのきっかけだけでなく、いろいろなことが絡みあって
少しずつかわったわけですが、明治維新で大きかったのは「機械織」の導入。
これでジャガード織の帯がひろまったわけですが、
その後、それまではわりと細かい柄が主流だったものが、
今の時代に「大正ロマン」と呼ばれるような、華やかな大柄がはやり、
女性の服装改革、というようなことが進み始めました。
着易いとか、締めやすいとか、動きやすいとか、さまざまに考案され、
袋帯、名古屋帯もそのとき出てきたわけです。
こちらが名古屋帯も入っている写真、
またおもしろい記述をみつけました。
こちらの「名古屋帯」の写真の裏側の説明です。
現代仮名遣いに直しての原文です。
「経済で(経済的での意味ですね)恰好よくしめられる
流行名古屋帯の上手な仕立て方」
表面写真でご覧のような、経済で恰好よくしめられる流行の名古屋帯…中略…
もとは夏になるとよくしめたものですが、このごろではいつとはなし、
季節きらわずにむかえられております。ですから、よほど上等の織物でさえ、
この仕立てにしめております。
名古屋帯は、名古屋女学校の創設者越原春子女史考案と言われています。
同時期、重くて厚手でしめにくい丸帯にかわって袋帯が出てきました。
この本の出たころは、その結果がいろいろ出てきて絞られてきた時代なんですね。
また続きの記述です。
「ご承知のように、同じ名古屋帯でも、お太鼓を一重に結ぶものと
二重に結ぶものとありますから、それによって用尺を揃えますが…」
えっ名古屋帯で二重太鼓?ですねぇ。
まず、今の時代二重太鼓というのは、ほとんど礼装にしか締めません。
また名古屋帯は普段、オシャレ帯、街着帯です。
名古屋帯で二重太鼓、今の時代なら長さ的にムリです。
ところが、本には一重も二重もアリ、と書いてある…。
そう、つまり名古屋帯という新しいものが出てきて、
それが人口に膾炙し、広まっていき、この頃には新しい名古屋帯は、
単純に「着物の上に締める帯で、カンタンで便利なもの」という括りだった…、
ということですね。実際に、昭和初期くらいかと思う帯には、
名古屋にしてはお太鼓部分が長いなぁとか、これはいったいどうやって締めたか、
と思うような、変則的な帯に出会うことがあります。
つまり、いろいろなものが出てきて、年齢や好みによって新しいものを
受け入れるとか受け入れないとか、或いは便利なところだけは使うとか、
そうやって淘汰されていったものが残っていったわけですね。
上の写真でいうと、右側の黒っぽい帯が長いものだと思います。
今の帯は、先人たちがいろいろおためししてそれで暮らして、
いいとこ取りのものが残ってるってことなんですね。
だからと言って今すでにないものが、
使いづらいものダメなものだというわけではありません。
昼夜帯などは、裏に黒地を使って、表を絞りとか友禅などにすると、
普段帯にとてもインパクトのあるものになります。
帯は長いので、着物でリフォームするときは、どこかで継ぐことになります。
自分の体に巻いたとき、表になる部分に継ぎ目が出ないようにつなげればいいし、
生地が足りないときは六通にすればいいし、それでも足りないときは、
作り帯にすると、表地が少なくてすみます。
ちなみに黒地は本来「繻子」がいいのですが、
最近は繻子がありません。たまに古い帯が出ても、繻子は摩擦に弱いので、
たいがいは擦り切れているか、非常に弱っています。
黒地は留袖か喪服の黒を利用するといいと思います。ツヤはありませんけど。
今日は時間がありませんので、じゅばんについて、また明日書きたいと思います。
ほんと、いろいろよくご存知で
期待してま~す。
襦袢のお話も楽しみにしております。
結んでいた時期があったのですね。
昔の丸帯でも短いのがあったり、寸法は
まちまちだったのですね。
いえいえ、おぼろこんぶのよーな脳みそを
フルにしぼってダシとります。
お楽しみいただければ幸いです!
えみこ様
昔の帯は魅力的ですー。
長いとデブでもだいじょうぶだしー?!
陽花様
ほんとにおもしろいものですね。
たまにどうやって締めたのかと思うような、
摩訶不思議帯にも出会います。
すきながらだから、かもしれませんし、
それしかなかったのかもしれないけれど、
いとおしく使っていたんでしょうねぇ。