ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

和裁本、今日はじゅばんのお話し

2008-03-28 19:44:50 | 着物・古布
トップ写真は私物です。右は40代で作ったもの、茶系などの紬用。
真ん中と左はバサマからのもらいもの、真ん中は染め替え、
左は…かのゆーめーな「四十○手柄」、バサマが60のとき
私のも一緒に作ってくれました。バサマは白地に赤です。
この柄は、いわゆる縁起柄、還暦に作って着ると
「中風(いわゆる脳血管障害の半身マヒ)に、ならない、
要は60越えても「現役」で元気でいられる、という意味ですね。
18歳未満の方、あまりじっくりみないよーに。
萬屋千兵衛様、画像保存して拡大しないよーに。


さて、本の中にはこんな襦袢がありました。
はでですなぁ…


   


右側の青いのが「壷垂」、真ん中は「ヱ霞」左は霞の応用ですかね。
ここに書いてある説明、仮名遣いに直しての原文抜粋です。

「流行の女物あわせ長襦袢」

「長襦袢- いくらよい生地を使ったところで、柄がよくなかったら、
 長襦袢としての価値はありません。
 せっかくの着物が、もし柄のよくない襦袢を着ますとだいなしです。
 柄は長襦袢にかぎったわけではありませんが、
 特に柄を選びたいのは長襦袢です。」

言い切ってますねぇ。でも、分かるっ、と思わずうなずいてしまいました。

(すみません、私の文中ではひらがなで「じゅばん」にさせてください。)
最近の長じゅばんは、淡い色目、大人しくて地模様のものがほとんどです。
むしろそういう方がいいと思われる「振袖」に、表地とあわせたような、
派手な襦袢があります。振袖はそれだけできれいなのですから、
一色、白かピンクか赤、といったほうがいいんですけどね。
ともかく、昔のじゅばんは着物の影に隠れるのではなく、
袖や袂など、本当に僅かに見える部分に勝負をかけるような、
鮮やかなものが多いです。だから、着物としてさんざん着たような、
華やかなちりめんなどを、繰り回してじゅばんにしても、
何の違和感もなかったんですね。
こちらにもう一枚、別写真です。


    


色使いは、上よりはおとなしいですけれど、やはり柄ははでめ、
真ん中は染疋田ですが、この疋田の粒の大きさでさまざまな年代で…。
左は無双袖の胴抜き、説明に
「裾回しが引き返しなので、引き返しを多くするために、胴抜きにした」
とあります。裾まわしとは八掛ですが、この場合は要するに「裏の折り返し」。
続きに「引き返しを十分にしたから、擦り切れても大丈夫だ」とあります。
あとあとの更生のことも考えているわけですね。
ところで、お気づきかと思いますが、上記6枚のじゅばん、
衿の形が、疋田のもの以外は全部「関東仕立て」です。
私は両方持っていますが、関東…は前がはだけやすい気がします。
母は京都人ですから、ゼッタイ着づらいと一枚も作りませんでした。
ちなみに「関西仕立て」、別名「別衿仕立て」ともいうのですが、
この本では「田之助衿」と書いてあります。久しぶりに聞きました。
今でも通用するみたいですね。
最近はこちらで作っても関西仕立てがほとんどです。着易いからでしょうね。

さて、じゅばんを華やかに、というお話しにもどりますが、
今、着物を着るというとどうしても「礼装」が多いですから、
どうしても地紋のある綸子、が多くなります。
それはそれでいいのですが、今は「礼装用」というこだわりではなくて、
総体にそういうものが主流です。
もちろん、みんなが着なくなった、という着る側だけの責任ではなく、
とにかく、いつも言うように「戦争」と言うものがさまざまな影を落とし、
染めたくても染料がないとか、いい絹がないとか、職人が揃わないとか、
そんな時代もあったわけです。それをナントカ凌いでいるうちに
着物が廃れ始めて、着る人がいなくなり、着物といえば礼装、
となったときに、一番無難で品のいいぼかしの綸子が
一番着られるようになってしまい、普段着物の場合のノウハウが、
ここでも立ち消えてしまいそうになっているということも理由の一つなわけです。

以前にも書きましたが、じゅばんは単純な「下着・肌着」ではありません。
洋装の場合、服の下に着るものはほとんどが「ファンデーション」、
つまり「下地・下着」です。
もっとも最近は下着まがいのファッションもありますが…。
着物の下に着るものは、襲がない今、長じゅばんが二番目です。
下着と言うのは本来外にはみせないものですが、
じゅばんは、女性の場合まず必ず袂の「振り」からのぞきます。
また、地は隠れますが、半衿のついている部分も長じゅばんです。
雨が降ったりして、ちょっとすそをからげたりすれば、
じゅばんの裾部分は丸見えです。でも、ロングスカートをはいていて、
雨だからと、スカートからげてスリップをモロに出しては歩きませんね。
それがたとえシルクの花柄スリップであったとしても、です。
つまりじゅばんと言うのは、下着ではない、かといってじゅばんだけで
外を歩くことはありませんから「上着」でもない…。
たいへんあいまいなものですね。

着物の歴史を見ますと、袖に振りが出来たのは帯が太くなり始めてから。
小袖と呼ばれた当時は、着物そのものが身幅がたいへん広く、袖幅が狭く、
裄も短いもので、身八つ口はなく、袖つけイコール袖丈であったのが、
これもまたいろいろな変化の総合で、帯が太くなり、その帯を締めるには、
「身八つ口」が必要になったわけです。
今で言うなら男物の着物が、昔の小袖に似たような感じ、男物は袖つけが長くて、
人形と呼ばれるほんとにちょっとだけの、しかも「縫い綴じた」振りだけです。
あれで太い帯を締めようとしたら、と考えれば
「袖つけ」が短くなければならないのはわかりますね。
そして、その袖つけだけの袖では、筒袖のようになってしまいます。
そこで身八つ口というものを考え、そうすれば「袂」として、
いくらでも下に長くできるときがついたわけです。
ちなみに小袖とは小さい袖、ではなく「袖口がつまったもの」です。
十二単のように、フルオープンの袖を「大袖」または「広袖」といいます。

さて、着物の形があらかた定まって、今に近い形で袖丈は自由、
となったときに、袖のふりから見える長じゅばんの袖、は、
重要なチャームポイントになったわけです。
元々が日本は「重ねること」に、慶・礼・美、というものを
見出してきた民族ですから、重なるところでみえるところは
「美しくなければ着物じゃない」んですねぇ。
最近は、じゅばんはどちらかというと「めだたない」ものとして
なんかぼんやりした印象なのですが、
本来は着物姿の一部に組み入れるべきもの、と私は考えています。

二部式などには、かなりはでめなものがたくさん出ています。
ところが今度は二部式と言うのは「普段用だから」と、
いい着物には着られない、なんて思ってしまう。
そんなことはありません。いや本来の組み合わせは「絹には絹の長じゅばん」
と言うキマリにはなっています。が、実は着物の暮らしの中では、
それが出来ないときやはどうするかという知恵もたくさん残されているわけです。
つまり、ダレもがみんないいものを着られる状態ではなかったり、
まして着物は「更生」が重要なメリットである特異な服飾です。
部分的にいたんだらもう着られない、で処分はしないのです。
なればこそ、中着などというものが考え出されたり、
着物のいいとこ取りでじゅばんにしたり、昔は当然だった、
上下に分かれたじゅばんを作ったり、更にはうそつきとか、胴抜きとか、
そういうものが考案されて「衣生活」の知恵として伝わったてきたわけです。
洋服だって、暑いときは下着を着なかったりして手抜きしたり、
体の線をきれいに出すのに、全部くっついたボディスーツができたり、
パンストが暑いからと、ひざ下ストッキングができたりしてますね。
その工夫と同じです。
礼装は「ハレ」です。そうではない「ケ」のときの着物用として、
絹の下に胴体はさらしのうそつきを着たって、なんらモンダイはありません。
木綿やウールにしか着られないものではなく、作りようによっては、
紬や小紋の下がうそつきでもいいわけです。
そういう意味で、私はじゅばんは着物のかずだけあったっていい
それくらいに思っています。ちとオーバーですが、
着物と同じくらい色目や柄を楽しむものであってほしいという意味です。
絹の長じゅばんは洗濯がたいへんですが、うそつきなら絹でも
家出洗うこともできますし、心配ならとりはずし自由に仕立てておいて、
別々に洗うこともできます。手洗いをいとわなければできることです。
着物がなかなか着られないのは、メンテとクリーニングにお金がかかること、
それもひとつの理由だと思います。着物はムリでも、
じゅばんだけでもくふうすれば、それは抑えることができます。
そのためにも、心配なくじゅばんを数多く持って楽しみたいと思うのです。

今出ている「七緒」、メニュー左の「とんぼのおすすめ」からどうぞ。
特集が「長じゅばんの理想と現実」、なかなかいいです。
今、ネットでもうそつき、おおうそつきなど、
いろいろなものがでていますが、用は「基本」に縛られすぎず、
かといって礼を失くさず…というラインをどうすればいいのか、
それがわかれば、優しいぼかしの淡いじゅばんがつまらないものに見えてくる、
と、私はそう思っています。あっ決して綸子のぼかしがよくないと、
そんなことをいっているのではありませんよ。
あれも「長じゅばんの一部だ」ということです。

今、恒例の京都旅行にいかれるかどうか、状況は難しいのですが、
行かれたらゼヒいってみたいところがあります。
長じゅばん博物館と言われている「紫織庵」です。
以前から気になっていたのですが、HPを見てやっぱりいきたいなぁと。

私は、旅はうそつき、かるさんだともっとすごい、
上だけきている風の、こりゃ「ほらふき?」
着物は楽しく着る、じゅばん色柄はその大事なポイントです。









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10 コメント

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紋様の意味 (maymayman)
2008-03-28 21:22:46
きものが日常だった時代。
四十八手は全部は知らない?
(あ~とんぼの罠に嵌った)
決して言わないつもりだったのに~~!
枕絵の額裏有ります←嘘です(手が後ろに回りますから)
こんなこと言いたくて来たんじゃないが・・・

『力』を貰うアイテムが『紋様』
じゅばんは見せないが見せるアイテム、見せて威力を発揮する。
ちょっと乱暴ですが、存在の原点だと考えて居ます。
返信する
Unknown (陽花)
2008-03-28 23:08:23
とんぼ様のあねさま人形と矢絣柄の
長襦袢いいですね~。
長襦袢は私も何枚もほしいと思います。
でも、時々着物は作っても長襦袢は
2~3枚あれば・・と言われる方もいます。
見えないようで見えるんですよね。
時々、着物に合わせてステキな長襦袢が
チラッと見えたりするとおしゃれだなぁと
思います。
返信する
おはようございます (えみこ)
2008-03-29 08:30:24
先だってオークションで染疋田の襦袢を手に入れました。
それまではあわい綸子のを着ていたのですが
なんだかぴりっとこなくて、それが襦袢のせいだったのかと
あわせてみて初めて分かりました。
鈴木道子さんの御本で究極うそつき襦袢を見て
目から鱗がバラバラと…着物はだいたいそろったので
これからは襦袢でたのしみたいと思います^^
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-03-29 14:35:16
maymayman様
ふっふっふ、嵌まったなぁ!

じゅばんは、アクセント、なんていう域ではない
アイテムだとおもいます。
うまく使える着物人になりたいですねぇ。


陽花様
着ると姉様人形は袖のふりからは出ないんです。
そろそろ年からいっても、作り直して
お人形がでるようにしようかなぁと思っています。

じゅばんは、着替え洗い替えがあればいい、
っていう感覚は、ちとさびしいですよね。
やっぱり着物に合わせたいです。


えみこ様
着物一枚に一枚とは申しませんが、
濃い色、薄い色、とか細かい柄大きい柄、とか
特徴的に違うものがあるといいですね。
返信する
襦袢のいみ (じじ)
2008-03-29 20:07:27
とても解りやすいお話 有り難うございました。

でも、こういう話って どの程度巷のヒトに知れ渡っているのでしょうか。というのも 正月に自作ウール着物(黒白染め疋田市松)の下に 可愛い赤い総(巻き上げ?)絞り(アンティーク)の襦袢を着ましたところ、70過ぎの父に「アカセンみたいだ」といわれまして非常に凹みましたですTT(祖母は老人ホームに入る直前まで夏以外は着物でしたが) 

やっぱりおかしかったのでしょうか???お教え下さいませ。m(。_。)m
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-03-29 20:58:41
じじ様
たいへん難しいモンダイなのですよね。
70過ぎとおっしゃると、ちょうど物心ついて、
大人になっていくころが戦前・戦中・戦後なんです。
つまり、その前の着物を楽しんで着た時代が
ないのですよ、戦後になってハデな着物や
じゅばんを着るのは水商売とか、いわゆるアカセン、
そういったひとたちが多かったわけです。
一般の人は着たくてもモノがなかった…。
おまけに洋装になってしまった…。
つまりおばあさまも、もののないジミな時代に、
大人になられたわけですから、同じです。
今でも、ダイタンな柄とか、派手なじゅばんというと
どうしても「そっち系おミズ系」という眼でみる人も
けっこういます。(やはり70前後に多い)
もう少し年いってると(バサマみたいに)、
逆に「年とったら赤いもの」って言いますけどね。
また地域にもよるとおもいます。
どっちにしても、おかしくはないのです。
逆に今の時代、ファッョンとして新しい感覚で、
「いい」と思われる場合のほうが多いと思います。
それともうひとつ、それは「男の感覚」なんですよ。

確かに、着物の歴史を知る人は少ない上に、
今の40から上の人は、自分も着られないでしょう。
そういう人たちは、教室や本に書かれた、
ごく基本しか知りません。
それを卒業したものの楽しみ方として、
色使いがある、分かる人にはわかります。
ご紹介した七緒の本にも、着物のお仕事など
なさっているかたや呉服屋さんが、
派手なもの赤いものを着たり勧めたりしてますよ。
私、洋服と同じで「自信持って着ればいい」と
おもうんです。何をきても、ある程度の年になれば
内からにじみでるもの、がわかるように
なりますから。
おじいさまのところにいくときは、ちとおとなしめ。
あとは自由に、楽しんで着てください。
自信もって!
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おひさしブリです♪ (ぶり)
2008-03-31 23:05:58
珍しい柄の襦袢が載っていたので、コメントです。
襦袢柄が地味めになった背景には、記事とすぐ上のコメントの他にも、茶道を学ぶ女性が大幅に増えたのもあったのでないかと思われます。
というのも、お茶では、色無地や鮫などの江戸小紋が主流ですので、いきおい、襦袢は白か薄い色のもの。室内では白足袋ですので、白襟にならざるを得ない。そんなこんなで、日常着としての着物は廃れる一方で、お茶の着物はこんなものと普及した。
ところが、昭和の終りから平成はじめにかけて、普段着の着物が見直されてきて、それじゃ、昭和のはじめやその昔はどうだったと顧みられているのが今日ではないでしょうか。
大正生まれのお年寄りだと、戦前の着物の時代を覚えているので、華やいだ時期もご存知。 そういう老婦人とご一緒して、アンティーク着物の良し悪しも一発でわかるのをつぶさに見たことがあります。
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-04-01 21:07:52
ぶり様
おひさぶりです。
何かが変わっていくには、たくさんの理由が
からみあうわけですから、お説も確かに、
理由のひとつなのだと思います。
というより、あまりにもみんなが着なくなって、
仕事や、必要上着ておられた方は別として、
「お茶でも習ってないと着物着ない」時代、に
なっていったのでしょうね。
高校時代の友人が、ちょっと格式のある御宅に
嫁ぎまして、久しぶりに会ったら着物の話し。
「お茶習わなきゃならなくて…おかけで
着物が自分で着られるようになった」と。
古い友人の中で、着物の話しがスイスイ通じる、
数少ない友達です。
今の時代は今の時代のものが、また作られたり
生まれたりしていくのでしょうね。
返信する
はじめまして! (ミセスハナコ)
2008-04-01 22:25:40
始めまして。
とても、私には難しいお話が多いのですが、勉強させてもらっております。
私も、格式のあるお宅にでも嫁がない限りは、着物を着る機会なんてないだろうと、お茶やお花、着付けなど何も知らないまま普通の家に嫁入りいたしました。ですが、着る機会もないのには変わりないのですが、子育ての合間に、着付け教室へ通い、着物の道に目覚め始めたばかりです。まだまだ若葉マークで何もわかりませんが、日本の良き伝統を子孫に継承していけたらなあなんて思っております。
ちょくちょく覗かせて頂きます
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-04-01 23:18:04
ミセスハナコ様
はじめまて、ようこそおいでくださいました。
子育てしながらの着物は、たいへんでょうけれど
がんばって着てくださいね。お子様にもぜひ!
少しはお役に立つようなことも書いておりますので
またお越しくださいね。
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