このところ、ゆっくりネットショップやオークションを覗く余裕もなく過ごしてきました。
ちょっと心にもゆとりができて、おひさしぶりー…と、ショップを覗いたら、
いきなり出会ってしまいましたぁ。一目出会ったその日から・・・なんてフレーズがありましたね。
「恋の花咲くこともある」でしたっけ。ならば私は「何度恋に落ちたことか…」でへへ。
今回、クラッときたのは「昔話柄」。
柄としては珍しくないのですが、昔話の柄は、どうしても「子供向き」ということで、
木綿やモスリンが多いのですが、これは正絹、しかもざらざらのある「ちりめん」です。
元々男の人のじゅばん地として作られたものかどうかはわかりませんが、
昔の男物じゅばんは、結構こういう柄があります。
今の時代、じゅばんは着物地より薄くて軽い綸子や羽二重がほとんどですが、
明治大正あたりだと、まだまだ「ちりめんじゅばん」は多くありました。
なので「着物からじゅばん」への繰り回しも、普通に行われていたわけです。
一つには、今ほど暖房器具がなかった時代ですから、
ちりめんのじゅばんは、空気をふくんで暖かかったと思います。
着てみると、ちょっとモコッとします。
今のように、着物をきっちり着つける時代には、モコ・タイプのじゅばんは向いてないでしょうね。
さて、では柄のご紹介、「カチカチ山」と「舌切り雀」です。
こちらが「カチカチ山」
お話は、誰もが知っていると思います。逆に今の子供たちは知ってるのかなぁ。
「マンガ日本むかし話」を、ちゃんとみてくれていますように!?
悪役タヌキさんのアップ…そーんなに悪いお顔ではない感じですが…。
なんと「悪役さん」の衣装が「とんぼ柄」ですよー。あららー。
こちらが「おじいさんの味方、ウサギさん」です。こっちの方がちょっとイジワル顔だと思いません?
まぁ「賢い」という顔といえばそうなのでしょうけれど…。
こちらが「舌切り雀」。雀さんは男の子と女の子ですね。
たずねてきたおじいさんと「感動の再会」している場面。
おじいさんの顔の横が「地」を見やすいのでアップ。ざらざらでしょ。
顔の描き方もクラシックですが、ちゃんと色も使っていてなかなかの柄だと思います。
キレイにクリーニングされていて、状態も悪くありませんが、じゅばんとして着るのはねぇ…なので、
いずれこれもなにかにバケさせたい…と思っています。
昔話は、洋の東西を問わず「ほんとはこうだった」…という話があり、
けっこうグロテスクだったり、残酷だったりします。
「カチカチ山」も、あの「サルカニ合戦」もそうですが、カチカチ山のおばあさんは、
タヌキに殺されて「婆(ばば)汁」にされ、おじいさんはそれを知らずに食べてしまいますし、
サルカニ合戦のカニは、父親がサルに硬い青柿をぶつけられて殺され、
息子がウスや蜂、栗の力を借りて親の仇を討ちます。
「舌きり雀」の雀は、ハサミで舌を切り取られますし、その雀を探して歩くおじいさんは、
途中、雀の居所を訪ねるたびに「あれをせい、これをせい」と、試練を受けます。
なんでこういう話がだんだん変わっていってしまうのか…。
それにはさまざまな理由があると思いますが、まず…昔話というのは「口伝」です。
口伝ということは「しゃべって伝える」ですね。
「伝言ゲーム」というもの、いかに最初の人の言った言葉を正しく伝えるか…。
言ったことと全く違う結果が出るのを楽しむものですから、たいがいあまりの違いように大笑い…ですね。
あれは人の記憶のあいまいさと、実は「想像するチカラ」を試されているようなものです。
おまけに早く早くと焦ったり、一度しか聞けない、一度しか話せない…などとくくりを付けられるから
よけいに間違いが多くなるわけです。
つまり、「口伝」で正しく伝えるには、その逆で何度も同じ話をゆっくり聴かせる…です。
また「記憶」にとどめ、もう一度聞きたい、また話したい…そういう思いをおこさせるには、
印象に残る言い方が必要です。残酷だったり、おもしろかったり、しつこかったり、ひどく悲しかったり…。
そのなかに「教訓」とか「世間」とか…そういうおしえみたいなものを含ませる…
それで、長く語り伝えられたわけですね。
また「民話」なとには「実際に起きたこと」というものが伝承されます。
例えば「ある島の丘の上に石塔があり、その石塔が血で染まると津波が来る、という
言い伝えがある。それを調べる役目の家があり、毎朝その家の婆がそれを確かめに行く。
それを知った旅人が、いたずらに石塔に動物の血を塗りつけたところ、
婆がふもとの人々にそれを知らせ大騒ぎとなる。旅人だけが『イタズラだ、すまなかった』と
奔走するが誰も聞き入れず、皆は船で本土に避難した。そのあと本当に津波がきた」…という話。
これは、津波への畏れと「いつも大丈夫だと思っていると、つい異変を見逃す」という教訓、
油断してはいけない、気配が見えたらすぐに逃げよ…ですね。
戦、天変地異、騒動…そういったことが起きたという記録として、話を遺すわけです。
日本には「文字」は古くからありましたが、それを書く技能や、道具を常に揃えることなどは
一部の限られた人しかできませんでしたから、言葉で伝えるほかなかったわけです。
文字を持つか持たないか、またそれを遺す手段を持つか持たないかで、
のちの世に遺すことも大きく違ってきます。
世界ではたくさんの文明の痕跡が発見され、研究されていますが、
例えばエジプト文明は、文字があったことと、それを石に彫って残すという手段があったから、
ロゼッタ・ストーンの発見により、様々解明されていったわけです。
一方で文字を持たない、あるいはあってもそれを記述して残せなかった文明は、
歌として残したり、インディアンはあの「綾とり」で、種族の談笑を伝えたと言われています。
やがて世の中がかわり、誰もが文字として読めるようになっていき、
そして「これちょっと残酷じゃないかしら」…なんてところが、割愛されるようになる…。
元々、昔の物語は必ずしも子供のためだけのものではありませんでした。
大人も楽しんだ物語には「宇治拾遺集」や「雨月物語」があります。
そういうものを子供向けに書いた時、やはりあまりにも残酷なところはぼかしたり…。
そんなことが行われるわけですね。もちろん社会情勢の変化もあります。
身分制度が激しく、刀振り回す武士が当たり前に人を殺す戦があったりした時代と、
平和でものに満たされた今の時代とでは、怖いものも、あきらめることも、みんな変わってきています。
「運動会で差をつけるのはいけないから、みんなで手をつないでゴールしましょう」なんて世の中では、
ウサギにやられて、泥船とともに沈むタヌキを、水の中でおぼれ死なせるわけにいかないので、
やっと助けられたたぬきは、おじいさんに心からあやまって…になるし、
そうなると「その前におばあさん殺してて許されるの?」…なので、最初から殺されたのではなく
「殴られてケガした」程度になっていくわけです。
最後は、じじばばとウサギとタヌキが仲良く野良仕事したりして…。
それがいいかどうかは別として、伝承というものは、大切な幹になる部分は変えてはいけない…
ということなのだと思っています。
なんだか理屈っぽい話になってしまいましたが、この昔話柄、
昔のままで、今まさに仇を討とうとしているウサギさんのきりっとした冷たい眼も、
魅力の一つとして眺めたいと思います。
ご無沙汰ご容赦くださいませ。
いやぁ!良いです!!
それぞれのお顔も、縮緬のしぼの大きさも、安っぽく無い色使いも・・・
書かれてらっしゃるモスの昔話柄を帯にしているのを見たことがありますが、絵柄も色も安っぽかったです。
やはり帯などにするには布や柄の力(格とか品)が無いとダメなんだなぁと思いました。
勿論、お遊び着として着物柄には絶対に無いUSAコットンなどを使うというのも、着物のお楽しみの一つではあると思っていますが。
昔話モチーフはどうしても可愛いというか甘い感じの絵が多くてナカナカ良いなあと思えるものがありませんが、これは素敵!
ホント、お話の中身がしっかりと伝わってくるような絵ですね。
最近こうした良いものをナカナカ見つけることができなくなりました。。。
トンボさんがおっしゃるようにお話の中身をしっかりと伝えていくことって大事だと思うのですが何だかいつも「めでたし、めでたし」で終わってしまうような感じがしますねえ~
これってどうなんだろうと思いますが。。。
先日、姪の持っている海外作家の絵本を読んだら「子ザルが遊びに夢中になって、母ザルの言いつけを守らず迷子になる」というお話でした。
迷子になったと気付いても、ページをめくるごとに森の動物たちとただ遊んでいるだけ……。
最後は再開して「めでたし」なんですが、言いつけを守らなかったことに対するペナルティがないんですよね。言及すらされていない。いったい何を学ぶ絵本なのかと考えさせられてしまいました。
突然のコメント、失礼しました。
おそくなってすみません。
いいでしょー…。
おっしゃるところの「柄の格、質」、これが
感覚的なことで、説明も難しいのですが、
確かにあるのですよね。
子供着物の柄は面白いものもありますが、
なんでもいいわけではありませんよね。
私は、よくあるタイプの柄だったら、
半幅にして木綿の着物くらい…と思っています。
素材を合わせることも一つのポイントではありますが、
本来和服は「柄」で勝負するものだと思っています。
ほんとに「いい柄」がなくなりました。
ピンキリ揃っていれば、今の人が
柄を見る目も養えると思うのですが…。
「めでたしめでたし」の意味も変わりましたよね。
いわゆるハッピーエンド、は、本来外国の童話でも、
同じような感じだったものが、少しずつかわりました。
ある程度は…と思いますけれど、
大事なことまでかえてはねぇ…ですね。
コメントありがとうございます。
なんだか今の世の中、人に嫌われたくないとか、
みんな仲良くとか…それはそれで意味はあることですが、
だからこそ物語の中で、何が大事か、を
教えてほしいものだと思います。
子供に与える本の選び方も、学ばなきゃなりませんね。