ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

たまには「洋装」のお話しを…

2007-06-29 23:25:01 | 着物・古布
いつも本と言うと「着物・和裁」ばかりなので、今日は洋装の本を…。
この本は昭和28年ですから、先日の「苦しいよぉ着物」の本の一年前発行で、
この本の最初の特集は「1953年度ミス・スタイル」というミスコンもの。
出版社の主宰ですが、ミスと準ミスあわせて6名の写真が載っています。
最初の方は一人1ページという大きな「洋髪・洋装」の顔写真、
そのあとがこちら、やっぱり日本のミスコンは「着物」アリです。
一番右が「ミス」あとは「準ミス」、ミスが22歳、左へ19,20,18歳。
身長は、右から二番目が一番高くて164センチです。
残り3人は160ギリギリ…。

   


今とはもちろん違うところだらけですが、ほらね、衿つめて着てて帯胸高。

次は洋服です。こちらはテーマも笑える「夏の普段着(アッパッパー)集」


         


アッパッパーといいながら、出ているのはこんな服、


    


いまどきの「ブカブカユルユル・アッパッパー」に比べたら、
こりゃりっぱな「外出着」ですがな・・・。
そして、記事の中の「遊び着紹介」のイラストは…


   


いかがですか?このころは戦後8年目、この前も書きましたが、
焼け野原から必死で這い上がり、少し余裕も出てきて洋風文化の風が心地よく、
人みな「洋装」に向かいだしたころ…。
こんなウエストキュッとした、かっこいいスタイル画や、
上のような当時としては大胆なドレス、いや「あっぱっぱ」を見れば、
着物だって締め上げ締め付け、ウエストキュッってのもわかるような気がします。

灰色だった「戦争」の日々を押しやり、アメリカに追いつけ追い越せ、
で、この号のもうひとつの記事は夏のリクリエーション、
「潮風も爽やかな熱海・曽我浦バンガローへ行く」、
確かに、バンガローだ…。


       


夜は狭いながらも楽しい食事…って「七輪」…ですか。


       


そしておお、こんなところに「萬屋千兵衛様」が???


       


実は若き日の「根上淳」氏、女性は「木村三津子さん」女優さんらしいです。
夜の海岸で、星明りの中やさしく流れるズンドコ節、じゃなかった「セレナーデ」
この当時の料金がいろいろ書いてあるのですが、
「往復の汽車賃420円」ですと。宿泊はバンガロー一泊100円
その他バス代だの布団代だのいろいろあわせて二泊三日で1800円…、
今じゃ鈍行で行っても熱海までたどりつかないよぉ…。

いやいや笑っちゃいけませんね、やっと暮らしが落ち着いて、
それまでなかった「家族旅行」だの「若い人たちの集まり」だの、
そういうものが普通に行われるようになった、その魁でしょう。

それではもう少し先へ…この本には「原節子」さんの特集もありました。
知ってる人は知ってる…やっぱりきれいですね。
そのままひっそりとお出ましがなくなって、今やナゾのまま。
年をとられたお顔もきっときれいだったと思うのですが…。


         


ではこちらの着物美人はどちら様?


        


私もびっくりしたのですが「宇野千代」サマですー。
この本には、ちょっとだけですが「着物」の話題もあるのですが、
こんなのも…ゆかたです。


   


これ以上アップにするとボケるのですみません、確かに「ジルバ」踊ってる…。
今あったら、けっこうイケるかも、ですね。


       


こうして一冊の本を眺めるだけでも、当時の着物「分の悪さ」と言うものが、
なんとなくわかるような気がします。
この本は単なる「スタイルブック」ではなく、記事も盛りだくさん、
市川房江さんを迎えての座談会、その名も「女性解放に休戦なし!」。
宇野千代さんの記事は、「第一回宇野千代・夏の着物展」、
確かに「ヨーロッパ調のモダンな色柄」…などの言葉は並んでいるのですが
形を大きくかえることのできない着物は、
やっぱり洋装のデザインの豊富さに圧倒されている感じです。
「対抗するべきポイント」を見出せないまま、ちょっと方向性が
ズレてしまったのでしょうねぇ。


というようなわけで、本日は「洋服」の昔本でした。

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15 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (陽花)
2007-06-29 23:46:24
娘達が小さい頃よくアッパッパー着ました。
この本よりもっと後でしたか、スカートの
下に硬い網のようなペチコートをはいて
スカートにボリュウムをもたせたのは・・・
なんか急にそんな事を思い出しました。
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もしかしたら ()
2007-06-30 01:00:48
外出着のアッパッパーの写真の真ん中は 淡島千景
右端は香川京子 ではありませんか?
左端は???
年代的に合うかどうか判りませんが、何となく面影が・・・
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なつかしい (蜆子)
2007-06-30 09:13:48
この本はわかりませんが、大抵の本の後ろに型紙のとり方を書いた部分がありました。
洋裁の心得のあった母は、その型紙に従って、服を縫ってくれました。流行の先端をずっと着ていたかもしれない。いつもワンピースやふんわりスカートなど、今思えばお嬢様スタイル、当時はあっぱっぱを着ていたと思います。
妹になると、もう母のものはダサいと感じていたようです。
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「スタイル」といえば、宇野千代。 (ぶり)
2007-06-30 11:22:39
(おひさしぶりでーす♪)
50代の宇野千代が、キモノの新しい方向を模索し、欧米でキモノ・ショーなどを行っていた時期ですよ。ウェスト・キュッの影響を受けた婦人雑誌、少なからずありました。(母の知人が関係者でしたので。)
↓の記事に「スタイル社の盛衰」がコンパクトに掲載されています。
http://www.unochiyoseika.com/unochiyo-sakka.html
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おもしろいですね (のんこ)
2007-06-30 14:07:45
着物の着付け方にも影響を及ぼす西欧カラの洋装尾文化の風 恐るべし。^^; ウエストキュっのワンピースとか、うちの母の昔の写真にも頻繁に登場していましたねぇ。しかし なんで アッパッパー というのかしら。^^; こういうネタ 興味深いですね。ぜひまた 取り上げてください。
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Unknown (とんぼ)
2007-06-30 15:35:15
陽花様
子供のころは、近所のおばーちゃんが、
「あっぱっぱ」をきてましたね。
私も若いころペチコートってのをはいて、
ふんわり広がったスカートをはいてました。
また「サーキュラー」をはくのも夢だったんですが、
自分で作るにも、用尺がいりましてねぇ
360度まで行かず250度くらいので
ガマンしてました。


惠様
私も最初淡島さん…と思ったのですが、
「久慈あさみ」さんでした。
香川京子さんは正解、左は「伊東絹子」さん、
残念ながら知りませんでした…。


蜆子様
この本にも、全部ではありませんが、
型紙の作り方が載っています。
これを作るのがめんどくさいんですよ。
私たちの親の年代はこまめでしたよね。
私も小6までは、母がいろいろ作ってくれました。
そのあとは「自分でやれば」になっちゃいましたわ。


ぶり様
ご紹介URL、ありがとうございます。
宇野女史は、このころは洋装の方も
デザインなどやっておられますし、
八面六臂のご活躍ですね。驚いたのは、
50代にしてこの「若さ」、と思ったのですが、
よくよく考えれば、当時の写真技術の低さ…
による「いい効果??」だったんですね。
女史の才能や技術をうまく使いこなせていたら、
呉服業界も、もう少し別の方向へ動いたかもですね。
いや、専門的なことは何にもわからないんですが。
今に残る「宇野千代さくら」の柄は、
私も好きです。ハンカチしか持ってませんけど!


のんこ様
アッパッパーの語源は
関西のおばちゃんたちにあります。
なにより「裾が広がる」というのが涼しい!
それまで下半身に、タイトスカートのごとく
巻きついていた着物や浴衣と違って、
裾がパッパーとラクに広がる…というところから
生まれた言葉のようですよ。
最初は「清涼服」とか、呼ばれていたようですね。
服飾の歴史は女性にとってほんとに楽しいものです。まぁ楽しいことばかりじゃないですけれど、
それがあって今がある…なんでもそうですけどね。


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すばらしい (さくら)
2007-06-30 15:43:06
要所要所をかいつまんで紹介して下さって大変楽しいです。
あっぱっぱー特集のワンピース、どれも素敵、一番左の白いワンピースなんか好みです。
今、こんなワンピースをきゅっと着て、白いパラソルさして銀座なんか歩いたら注目の的だと思うなぁ。

みんな安キャバレーのお姉ちゃん(差別用語かも)みたいな今の服はなんだか・・・。

28年は小学校4年生ですが、そのころから木綿の生地でギャザースカート必死で作っていました。
だって作らない事には着るものなかったんですもの。
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Unknown (とんぼ)
2007-06-30 15:52:50
さくら様
もっとご紹介したい記事が一杯だったんですが、
抜粋にしました。お楽しみいただけて幸いです。
今でもカッコいいですよね。
母は「サックドレス」とか「ペチコートつきの
スカート」にあこがれていましたが、
暮らしが先、で私のものばかり作ってました。
「買いたくても売ってへんかった」と言ってました。
私は28年で3才ですから、10年遅れくらいで、
必死に縫ってたわけですね。
一度として「希望通り」には
出来上がりませんでしたけど…。
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まあ  ()
2007-07-01 03:00:50
真ん中の方は久慈あさみさんでしたか。
宝塚の方で そういえば この様なお顔でした。
淡島千景さんより幾分顔立ちがシャープだったかも知れません。
そして 殆んどお顔が見えない左の方は伊東絹子さん?
ミスユニバースに入賞した方ですよね。

懐かしいな~ 
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おお! (萬屋千兵衛)
2007-07-01 05:14:46
画像から私を想起してくださりまして、ありがとうございます!(笑)
しかし、この画像は下心見え見えでして、恥ずかしい過ぎます。
だいたい、星空の下で彼女の背中越しにギターを弾くなんて、
そんな、わざとらしい事、武士にあるまじき行為!(爆)
ギターにとっても潮風の吹く海岸は最悪の条件です。
だいたい、クラシックギターなのに、構え方はフォークだし~、
え?ギターのコメントはもういいですって?
しっつれい、いたし~、ました!(笑)

そうそう、私の母も独身の頃に、画像の女性のような服装で、
海岸の石の上で撮影したものが残っておりますが、
さすがに父は、母の背中越しに写ってはおりません。
このような「立ち位置」の写真って一般では無いですよね?
え?わかったから、もう下がっていいって?了解で~す!(笑)
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