ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

みどりなす黒髪・・・

2005-12-28 23:24:15 | 着物・古布

華やかな色遣い、にぎやかな構図、これは羽裏です。
雲間から見えるのは、平安貴族の皆々様、歌会でしょうか、
それとも花見の宴?楽しそうです。
ちょっと数えてみましたら、ひとつの続き模様に「23人」女性は3人、
あと2人くらい、女性がいてもいいと思うんですが・・。
まぁ多色なので、それだけでも華やかですから、良しとしましょうか。

写真の女性二人、顔はともかく(ははは)みごとな黒髪です。
今日は髪型のお話しです。主に女性の髪型・・。
女性の髪型は、おおまかに言うと「最初結われて、そのあと結われなくなって
また結われた」です。2000年分、これでかたづけちゃったら怒られますね。
では、もうちょっとだけ細かく行って見ましょう。

大陸文化に色濃くそまっていたころは、髪型も大陸風、つまり中国風と
いいましょうか、化粧も額に赤いしるしを入れるなどしていましたし、
衣装も中国風です。この頃は、一髻(いっけい)二髻(にけい)と呼ばれる形
「けい」と言うのは「マゲ」といいますか、輪っかにすることで、
この輪を高い位置に作るとか、二個に分けるとか、今風にいうなら
「お団子にしていた」訳です。このあと平安に下るにしたがって、
この「けい」はなくなり「垂髪(すいはつ)」と呼ばれる髪型になっていきます。
上の写真の髪ですね。この垂髪もには「大垂髪(おすべらかし)」と
「元結掛け(もっといがけ)垂髪」があり、おすべらかしは、上の写真の女性、
元結掛けと言うのは、今でもよく見かけます「首のうしろでひとつに縛る」です。
これに以前書きました「鬢そぎ」(後年は切り下げ)がつき、このままずっと
鎌倉・室町・桃山時代まで、女性は髪を高く結うことをせずにすごします。
変わったのは「長さ」だけで、やはり実用性から「源氏物語」のようなわけには
いきませんでだんだん短くなってきました。特に働く女性は、巻髪といって、
仕事をするときは髪をグルグルとアタマの周りに巻きつけてとめるとか、
さらしに巻き込んでまとめる(かづら巻き)など、ジャマにならない工夫を
していました。このかづら巻は「桂巻」「桂包」と呼ばれ、流行しました。

こうして長く「結わず」にきた女性たちが、また髪を結うようになったのは
「桃山後期」と言われています。その頃はまた交易が盛んになり、
中国の影響を再び受けて、それまで下げっぱなしだった髪を上げました。
これって画期的なことです!「唐輪まげ」と呼ばれる結い方で、
まず前髪を少しだけ、センターわけしてカオの両側に垂らす、
そのあと残りの髪をまず高い位置でのポニーテールにし、
その髪を折りたたんで輪を作り、その根本を残りの髪でぐるぐると巻く、です。
輪が一個だったり二個だったり、その辺はお好みのようです。
結局、やってることは「奈良時代」の「いっけい」とあまり変わらないのですが
その頃には服装も、今の着物に近い形になっていましたし、
「流行は繰り返す」と言っても、その時代にあった変わり方をしたわけですね。
この「前髪」を取り分けて、残りの髪をどうにかする・・と言うのが
基本その1、次にこのあと「鬢」や「つと」を膨らませたり広げたり、
そして、ポニーテールのその先をどうにかする、と言うのが基本その2、
このあと数え切れない髪型が作り出されますが、この「前髪」「鬢」「つと」
に分け、「元結でしばった先をどうにかする」という点は、
ほとんど変わりませんでした。例えば単純に「唐輪」の変形で、
鬢やつとを少しだけふくらまし、前髪をセンター分けしないでひとつにまとめる、
という髪型、これは「兵庫髷」と言われますが、江戸前期に大流行し、
その後「島田兵庫」とか「乱兵庫」など、さまざまな兵庫髷が作り出され
江戸時代後期になっても、花魁の髪型などに残りました。
更に最初は元結から先を丸めたり膨らましたりしていたものに、
「笄」というものが使われるようになると、この笄を横に渡して、
それに髪を巻きつける、という「笄髷(こうがいまげ)」という形が現れます。

とここまで書いてきましたが、ここから先がまたいろいろなのです。
今日一回では書ききれませんので、とりあえず本日は日本女性は
「結った」→「やめた」→「また結うようになった」・・という流れの説明、
としておきます。このあとの大きな変化はやはり「明治維新」で、
西洋文化の流入によって「洋装」にあう髪型が考えだされていきます。

今日書いた事だけでも「変わったのは髪形だけではない」とお気づきと思いますが
髪型、着物の形、着方、帯の幅、結び方・・など、お互いに影響を
与え合いながら、変遷を重ねていったわけです。
今現在、その歴史の変遷の最先端にいるのが「あなた」であり「私」だと思うと、
不思議な気持ちになりませんか?

もし、異文化を受け止める柔軟性が、当時の女性になかったら、
私たちは未だに「垂髪」だったかも??まさか・・。
でももしそうだったら、白髪染め、一度に三箱は使うわ・・。








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素朴な疑問。 (武者子)
2005-12-29 01:18:50
時々思うのですが、昔の時代にも天然パーマの女性はいたはず・・・、なのに、こういう絵巻物系の黒髪はみんな、某シャンプーCMのようなさらさらストレートへアですよね。

ってコトは、やっぱり『美しくないもの』扱いだったのでしょうか?

実は私、結構な天パで、パーマいらずでパーマウェーブなのですが、今の時代、ワリと便利な髪質でも(雨の日は爆発するケド)、もし昔の時代だったら泣けちゃってたかも・・・。



ところでとんぼさん、

来年はぜひ『ほばーりんぐ・とと』を書籍にっ!!

今年は本当に勉強させていただきました、ありがとうございました。

どうぞよいお年をお迎え下さい。

ほんのちょっと早いですが、ご挨拶まで・・・。
返信する
さらさら・・ではなかったと・・ (とんぼ)
2005-12-29 02:08:48
武者子さま



かの時代は、髪は長くて黒いが「美人」の条件。

一説には「清少納言」は、縮れ毛だったとか・・。



まずは普通の髪質のヒト、とにかく長いと

当然傷みます。今でもそうですよね「枝毛」とか。

で、地肌の皮脂ができるだけ髪にいくように、毎日

ひたすら「ブラッシング」をかかさなかった、

という記述があります。正確には「ブラシ」ではなく

「櫛」ですが・・。それでも先までは行かないから

髪はぱさつく・・それで「髪油」を使って黒く

艶やかな髪を保ちました。「紅花油」「丁子油」など

当時としては高価なものを使っていました。

で、天パの女性はというと更に「泔(ゆする)」

つまり「米のとぎ汁」を使って「整髪」しました。

油じゃ足りないから、汁気の多いものでぬらして

伸ばせ!・・というところでしょうか。

それでも、一度で直るわけじゃなし、

やはり「美人ではない」・・というような

評価をもらってしまったようですよ。

「ヨメの貰い手がない」ということを、

子供の頃から言われちゃうんですから、

ひどい話ですが、そういう娘にはまず「楽器」

それから「歌」をみっちり学ばせて、

そっちでアピールさせたんです。

それを武器にして宮仕えができれば、もしかしたら

という期待もあった・・ってとこでしょうか。



「書籍」・・になりますかねぇ。

がんばってずーっと書いていくつもりではあります。

コメントいただけるのは、ほんとに励みです。

こちらこそ、ありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。







返信する
なんで、 (ぶりねぇ)
2005-12-31 00:42:36
(質問の前に、お手数おかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。← my粗忽を改めるのが、来年の目標。)



「みどりの黒髪」と表現するのか、ご存じでしょうか。

これまで、調べ方が足りなくて、よくわかっていません。

ついでの折りにでも、教えて下さいませ。

返信する
お気遣いなく! (とんぼ)
2005-12-31 03:13:35
みどり・・は、この場合、色の「緑」ではなく

その語源ともいうべき「草や木の新芽」の方の意味。



新芽のつややかで柔らかい美しさ・・の意味。

もう少しピンとくる言葉だと、生まれたばかりの

あかちゃんを「みどり児」といいますね。

あれは「草や木の新芽のようにつややかで

みずみずしく美しい」という意味です。

そんな風にツヤがあって若々しく美しい・・

という意味で「みどりなす黒髪」と言ったわけです。
返信する
早速、有難うございます♪ (ぶりねぇ)
2005-12-31 10:10:08
確かに、そうですね。

古代の色に関する言葉が、アカ、アヲ、シロ、クロで、その語源は、わかったのですが、「みどり」の語源が、芽吹くとかが、今ひとつ、よくわからないのです。

これが、インド・ヨーロッパ語だと、数千年の積み重ねがあって、文献も豊富なのですけどね。

韓国語、モンゴル語でも、調べましょうかしら。
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