ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

留袖ぱーと・つー

2005-12-06 00:10:23 | 着物・古布

昨日説明できなかった「留袖」のお話しを致します。
まずは写真の留袖、とても大きな牡丹の柄。華やかに刺繍もはいっていますし、
色目からいっても若い奥様の留袖ですね。
前回の写真のものと同じように、前は右も左も同じ柄、ちょっとめくって
うつしてありますが「共八掛だよ」というところを見せています。
前の留袖もそうですが、このころの留袖はシボの大きいちりめんが多く
ずしりと重いです。最近のものはほとんどが一越か梨地が多いので、
それなりに格調高くは見えますが、このころのものと比べると軽くて
ペラッとした感じになっています。

ではまず、なぜ柄が右左おなじなのか・・。
留袖の歴史というと、だいたい江戸末期ごろには、女性の礼装として
定着していたようです。もちろん、時代背景的にいって「お金持ち」ですが。
このころの着物は「おはしょり」のところで書きましたが、
ゾロッと長くて「引き」だったんですね。特に礼装をするのは華やかな時ですから
着物の丈も当然長いです。いわゆる「お引きずり」ですね。
そういう着物を着て立っていたり、歩いたり、座ったり・・と考えて見ますと
当然右前も左前も裏表が見えます。だから左右対称、しかも共八掛、
というわけです。これが後々おはしょりを先にして帯を締めるという
今と同じ着方になっても、柄の付け方は名残をとどめたということです。

そもそも最初の留袖というのは、それほど派手ではなかったようで、
時代とともに華やかに、柄の付け方なども変化していったわけです。
留袖のことを「江戸褄」と言うことがありますが、あれは昔の名前の名残です。
「褄」とは衿の下のところを褄下といいその先の角、つまり着物の一番下の端を
褄先といいますが、この両方をあわせて「褄」といいます。
江戸褄というのは、この褄の部分だけに柄があるから、
そう呼ばれたのですね。正式には「江戸褄もよう五つ紋」です。

ちょっと脱線・・・お引きずりの褄もようの着物を着て外へ出るときは、
この褄を左右合わせて片手で持ちます。和装で結婚式を挙げたかたなら
お分かりかと思います。結婚式のときは掛下も打掛もですから
すごい厚みですよね。それを片手でえっこらしょと持って、
片手は仲人夫人に引かれたでしょう、思い出しましたか?
そのときの褄を持った手はどちらでしたか?右ですね。
同じお引きずりの着物を着る芸者さんは、左です。俗に「左褄をとっていた」
といえば「芸者さんをしていた」という意味です。
これは俗説かもしれませんが、着物の打ち合わせが左を上にしていますから、
左で褄を取ると、着物の前の合わさり目は調度よじれる感じになります。
つまり前をはだけられないための「防御体制」ということで、
「私は芸は売っても、身は売りませんよ」という心意気のあらわれだとか。

本題に戻りましょう。
留袖はだんだん派手になていき、やがて褄だけでなくおくみから前身頃全体に
模様付けがひろがって行きます。ついには後ろ身頃まで柄がつくようになり、
写真のような華やかなもの、大柄なものが着られるようになりました。
やがて明治も時が進むと、最初からおはしょりをして着るようになりますから、
花嫁振袖以外は、右前には柄があってもあまり意味がなくなってきます。
昭和に入ってそれが顕著になり、結局今のように「前身ごろから後ろ→右前」と
だんだん柄がちいさくなってゆく」というタイプになったわけです。

「留袖」の名前は、昔はあるていどの年齢になるか既婚者になると、
振袖を切って短くしたことに由来します。振袖は「子供」のものだったのですね。
普通に着ている着物も「もう子供じゃないんだから」と、袖を切られたわけです。
これがだんだん「既婚」の印、ということになり、花嫁振袖の袖の柄部分を
式が終わると切って今の留袖としてきたわけです。
留め、という言葉は「袖を切る」とか「なくす」という言葉を
忌み言葉としたためです。

さて私の「留袖」、母のお下がりをもらって嫁に来たのですが、
柄が大きくてハデになり、10年ほど前にちょっと年配向きのものを
作りました。ところがまだ一度も着てません。
親戚一同見回すと、適齢期の身内はけっこういるのに・・誰も結婚せん!!
ムダにならないうちに、S子、N夫、はよ結婚せんかいっ!
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6 コメント

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留め袖と色留め袖 (なぎさ)
2005-12-06 21:20:07
自前の留め袖をお持ちとは良いですね。

それの画像も見たいです。



留め袖というものは、昔はあまり好きではありませんでした。母が結婚式に出かける時にはいつも助手になって着物を着せるのが役目でした。

母の留め袖は裾に金と茶でツタのような模様があって、地味です。それを35ぐらいから二十年ぐらい着ていました。

黒くて地味でおもしろくないなあと思っていました。



後年父が勲章をもらった時に、がんばって色留め袖をあつらえました。それはとても格調高くてステキです。



留め袖は着付け教室で練習に一度着てみました。昔と違ってうれしかったです。

色留め袖も練習しか着た事がありません。



五箇谷さんで、留め袖大会をやってくれないかしら。



そうしたらトンボさんも留め袖が着れるのにね。



この文章二回書きました。一度目のは投稿を押したら

消えました。((;。;)泣きです。今度は大丈夫かな。
返信する
だよね~ ()
2005-12-06 21:51:24
母が私と妹に二人兼用という事で留袖を作ってくれたのですが、最初に着たのは義妹でした。(実姉の結婚式に)

娘達が早く嫁に行ってくれれば良いものを、もうすでに派手になってきています。

今の私の年には母は孫が二人いたのですもの。

早くしないと折角の留袖が着られない。



はよせんか!!



という事で 

とんぼさんと同じと言う意味合いのタイトルが付きました。
返信する
留袖大会いいですねっ (とんぼ)
2005-12-06 22:06:13
2回も書いていただいて、ありがとうございます。

私、母の色留袖を狙ってまして・・。

母の年には少しハデだと思うのですが、

気に入ってるらしく、紬などは「やろか・・」と

言ってくれるのに、色留袖の話しは出ません。



色留袖って、すごく好きです。

留袖は見慣れているせいか、模様に目が行きますが

色留袖はいろいろな色があるから、

ひとつひとつ違う着物、っていう感じがして・・。



私の留袖、実は面倒で母に頼んでしまったので

なんか中年向きにしては赤かったよーな・・

という記憶しかないという・・むっせきにんな・・。

でも着なかったらほんとにもったいないですね。

私は「そのときは貸衣装でいい」って言ったんですが

母が作りなさいって言いまして・・・。

一人っ子なので気になるんですよね、きっと。

親の思いはありがたいものです。

だったら「柄」くらい覚えとけってば・・ですね。

今度だしてみよっと。

返信する
だよね~の2 (とんぼ)
2005-12-06 22:13:04
書いているうちにコメントいただきました。

ありがとうごさいまーす。



以前なかなか嫁がない姪っ子に

「早くお嫁にいってよ、留袖着させて」って言ったら

「あたし挙式はハワイのつもり~、

おばちゃんハワイ暑いよー」って言われました。

場所より先に相手決めんかいっ!です。
返信する
留袖いいよね (てっちゃん)
2005-12-06 23:30:54
私のところは三人、男ばかり、もうすでに、長男、次男は結婚(祝)、留袖は、五回ばかり、きましたえ、喪服姿の女性は色気があり、すごく綺麗に・・・と言いますが、やはり留袖も、よろしおすわなぁ。

でも、近頃は、結婚式もしはらへんカップルも増えて・・困ったもんどす、やはり人生、最大のハレの日、そんな日に備えて、常、頑張ってんのに・・・。

無だやなんやと、へちゃくれ言うて、いかに無駄を楽しむか?が文化どすのにー。

合理的、合理的・・と言うんやったら、どっかの○○族みたいに、裸でくらせ!と言いたいわ。

ほんま、一度(留袖会)でも、開きたおすな。

それに、留袖云々、いい勉強になりました、おおきに、

それから、宝尽しの帯も沢山おすし、又アップします。

 



返信する
だよね~の3です (とんぼ)
2005-12-07 00:29:19
ほんとに留袖って、いまや結婚式しか

着られませんからねぇ。

私には年下の仲のいいイトコがいるので、

私の留袖は彼女のところに行きます。

その予定で「あと○子と○夫と○江と・・」と

勘定して、そのあとね、と・・・。



帯のアップ、また拝見させていただきます。

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