男物の襦袢だったと思いますが、色目が渋くてステキです。
破れ色紙に「家の中の様子」が描かれています。
こちらは…桶があったので台所かと思ったら、よくよく見れば刀、砥石…あら武具のお手入れ場所でした。
奥の部屋に立てかけてあるのは槍のようです。でも普通反対に立てかけますけどねぇ。
ちなみに、江戸時代の長屋の台所は、座って仕事をしました。
大きなおくどさん(かまど)がなく、水は汲み置き、火は七輪のように移動できるものを使ったからです。
もう一枚の絵は…なんでしょうねぇこれは…ナゾがいっぱい。
つるされているのはどうやら毛皮?上の絵が「武具」ならこりゃ「馬具」かと、
単純に考えたのですが、どうもイマイチ違うようです
毛皮を使うといえば、たとえば猟師だとよくお尻に毛皮をぶら下げていますね。
鷹狩などだと、毛皮の「ローハイド」をつけます。日本では「行縢(むかばき)」といいます。
また履物などにも、使われました。どうもそんな感じのものの気がします。
毛皮を使うのは実用と飾りと両方です。置いてあるもの、なんか見たことあるなぁと思うのですが
さてどこで見たか…という程度です。「これって○○よ」とわかったかた、教えてください。
いずれにしても「毛皮」というものが絵になっているものは、珍しいと思います。
暖簾などかかってちゃんとしたお店ですから、専門店、なのでしょう。
袖二枚分なので、作り帯ならいけますねぇ。といいつつ、また保存するんですよ、あたしは…。
縫い跡の穴やちょっとした汚れはありますが、まだ布力もなんとか…です。
縮緬の証の「しぼ」、コレが今はないんですよね。
では「猟師」のお話…。
日本に限らず、太古の昔は、人は狩猟と採集と両方で食を支えていたわけですが、
日本では「稲作」がはいってきたことで農耕民族となっていったわけです。
それでも、日本は山も森林もありますから、狩猟を仕事とする人たちもちゃんとおりました。
ただ、狩猟目的で獣を取ってそれを売る…ということよりも、どちらかというとだんだん「害獣駆逐」的なことになり、
江戸時代は鉄砲の使用は当然禁止でしたが、狩猟者と、農民の害獣駆逐には許可をしていました。
たとえば東北のマタギのように、それを生業としている人たちの数はそう多くなかったと思われます。
江戸時代は元々、狩猟者は、どちらかというと「差別」されていた立場のものが多くいたようです。
仏教の国として、四ッ足は食べない…といわれておりますが、全くないわけではなく、
猪やウサギ、鹿などは食べられていましたし、鳥も軍鶏なべなんてのが、鬼平さんの話に出てきますね。
「少なかった」「一般人はあまり食べなかった」というだけで、その味の恩恵にあずかれる場所の人たちは
当然食べていたわけですね。
今、人里にさまざまな動物がおりてきて、いろいろ問題もおきていますが、
あちらばかりが悪いわけじゃない…生きるために、向こうもヒッシなんですよね。
でも、こちらばかりが悪いのでもない。こっちも生活かかってたりするわけです。
ニンゲンの浅慮から、猿が「人寄せの道具」から「害獣」になったり、
森林破壊から、熊がおりてきたり、道路を通したがために交通事故がおきたり…。
それでも、今現在、人の暮らしが脅かされるなら、これもタタカイだと思います。
狭い国ですから、共存共栄は大変なことだと思いますし、解決策なんてあるのだろうかと思いますが、
だからこそ、少なくとも、飼っていた動物を身勝手な理由から放逐したり、
北海道の熊牧場のように、閉園したら放置したり、アレはやっぱり人の罪。
かかわったなら最後まで…くらいは守らにゃいけないと思います。
そういえば「宮古島の孔雀」、そのまんまなんですかねぇ。
むかーし千葉の「行川アイランド」では「孔雀の飛行」が有名で、私も見たことがあります。
あのキレイな羽は当然後ろにたたまれたままですが、かなりの距離を飛ぶのに驚きました。
何十メートル、という飛行能力といわれていますが、あちこちの島にいるということは…飛んでってるんでしょう。
被害がひどくても、駆除はなかなか…と聞いています。
ひとつ思い出しました。「おさかなポスト」というのをご存知でしょうか。
何かの理由で飼えなくなった金魚や水棲動物を引き取るところですが、
ここで震災以来、急激に熱帯魚などを引き取ってほしいという申し出が増えたのだそうです。
計画停電などで、いろいろな器具などが使えなくなって…だとか。
たしかに熱帯魚を飼うには、ポンプだの照明だの水温調節だの、全部電気ですからねぇ。
これを聞いて、たとえばイグアナとか、蛇とか…そういうのを飼っていた人たちはどうしたんだろう…と、
ちと心配になりました。新幹線でカラフルな蛇も乗車してましたし…。
そこにあるものを、必要なだけいただく…人間以外の動物たちは、ずっとそれで暮らしているんですよね。
実家の墓山も今まで無かったのに、大きな
囲いで、入口の門を開けて入るように
なっていました。
イノシシが出るようで、もう山菜採りには
山へは怖くて行けないと言っていました。
街中でも襲われる人がでるくらいですから
物騒ですね。
そういえばリスは最近見なくなったなあ~
駅まで10分とかからないところなんですけどねーーいかに田舎かかと言うことが判りますね(笑い)。
何年か前にはクマが国道を横断したという話もありました。
共存と一口にいっても難しいのでしょうねえ~
猟友会も高齢化で大変だという話も聞いたことがあります。
山に食べるものがない…それは天候の異変とか
人が森林を減らすからとか、いろんな理由からでしょうが、
こちらも困るし、たとえば駆除されればあちらも困る…
なんとかならないものかと、いつも思います。
日本は狭いんですかねぇ、やっぱり。
あらー、お互い遠くからみているだけなら、かわいくていいですねぇ。
リスもいたんですか。外国では大きな公園に、自然にリスが棲息しているところもあります。
日本ではムリなんでしょうかねぇ。
実は、ここに越してきて野良犬野良猫のいないことに、ちょっと驚いています。
野良猫、ここへ来て見たのは15年で3匹です。
これもまたフシギな現象…だと思うのですが。
靫に似ていますね、しかも何かの毛皮で飾り立てた。
(靫猿は靫を飾る猿の毛皮を所望する話)
鹿皮のとなりにぶら下がるものは鞍の一部に見えます。
手前の畳のぼかし模様のものは鞍の下で
アブミが馬の腹に触らなくするものに似ていますね。
虎の毛皮は鎧を飾るときに付いてくるようですが・・・
色々わかると楽しそうです。
野獣が人里に来るのは
大型家畜を放牧しなくなったからか、
と最近新聞記事で見ました。
昔の暮らしの何がどう役立っていたか
種々の実験でわかるようになって、
それが生かされると良いのですが、
すべて機械化で家畜が不要になったけど
実は弊害があったというのは意味深かも。
やはり「靱」ですかねぇ。
ちと小さいかナァと思ったりしたのですが。
それと、一番奥のものは鞍の下に置くもので、おっしゃるとおり
手前のものは紐がついているので、鐙の下にぶら下げるのかなとか…。
馬のカオ周り?の道具は、まぁまぁわかるのですが、
鞍周りとなると、未知の世界ですね。
どれをとってみてもフシギで楽しいです。
虎の敷き皮は、昔から偉いヒトのすわるものだったのでしょうかね。
大型家畜の放牧…なるほど。そういうこともあるのですね。
山の獸にとっては、ニンゲンが大型家畜??かもです。