昨日の「箱の中身」いろいろから出てきたものですが…。
また「物持ちがいいわねぇ」とあきれられてしまうもの。
息子のえーとこれは、ベビーケープとかいいましたっけ。
これとクリーム色と、あとベビードレス(すっぽり包む長いやつ)とおくるみを編んだはず。
残っているのはこれだけでした。夏っ子の予定でしたから、生後半年の初めての冬を目指して、
やることが遅いものですから、いいかげんポカポカ陽気になってから、せっせと編んでましたっけ。
でも実際にはこういうものって、そんなに毎日使うものじゃないんですよね。
それでも編んでいるときがとても楽しかったのは覚えています。小さいからすぐ編みあがるし…。
「おくるみ」はまんまアフガン編みで編んだはずなのですが、さて…どこにもらわれていったやら。
しばし遠い日の思い出に浸ってました。(それをやるから進まないんだってば)
もうひとつ紙袋に入ったものが…「?」とあけたら出てきたのがこれ。
ふるーい「がま口」です。結婚してすぐのころのものだと思います。
今みたいにカード時代ではありませんし、オットのお給料も振込みではなくて
「袋に入った現金」でしたから、そこから一枚ずつ出しては、このがま口に入れてましたね。
その後、ボタンやホック入れ、底のファスナーであけるところには「ミシン針」の予備をいれたかなぁ。
なんだかこれまた捨てられなくて…私に「断捨離」はゼーッタイムリな気がします。
とはいえ、少し暖かくなったら、母のものも片付けることになっています。
母は、自分の姉がなくなったとき、娘が裏庭で何でもかんでも燃やしてしまったのを見て、
「生きてるうちに片付けなきゃ」と言ってたんですけどねぇ。
元々紙袋も紐も捨てられない世代です。土台ムリな話ですよね。
父が、洋服だのバッグだのは、なんにもわからないからおまえ頼むよ、と言ってました。
全部捨てると言うわけではないけれど、ナニがあるのか見るだけでも時間がかかることでしょう。
実は…オットの父親は、義母が亡くなったとき「全部捨てよ」と命じまして…。
離れていましたので、しばらく経ってたずねたときには、義母の箪笥はすっからかんになっておりました。
いい着物や洋服は近所のお世話になった人とか、親戚にあげて「あとは全部捨てた」と。
それこそ櫛一本、残っておりませんでした。お見事…。
その義父がなくなったときは、ほんとに「シンプル・ライフ」でした。お金に困っている人ではなかったのですが、
押入れを開けても布団の一組も無い(ベッドでしたので)、下の段には扇風機が一台。
それはそれで、なんだか寂しすぎる暮らしでした。あればいいというものではありませんけれど、
「その人を語るもの、暮らしを語るもの」なんてものは、いくつかあってもいいんじゃないかと思いました。
それにしても…あぁ誰がなんと言ったって「捨てられないもの」はあるんだよぉぉぉぉ。
子供の「記念のモノ」って、
とっておくときりが無いですよね。
押入れ三分の一はスゴイ!
そうはいっても、自分の子供のころの着物なんて
出てきたりすると、やっぱりいいなぁと思います。
何枚かは、とっておきたいものです。
断捨離は…私にはムリムリ。
親バカで、息子に一番似合った色…なんて
とっておいたものです。
帽子なんかいまじゃ頭の上に乗っかる程度。
でもなんだか捨てられまへん。
こういうものって、意識してとっておかないと
いつの間にかどこかにもらわれてっちゃったり
解いて別のものになったりしますねぇ。
こういう「ガマ口」、母なんかもこのタイプでしたよね。
小銭を使うことの方が多かった時代は、
これでけっこう大丈夫だったんですよね。
懐かしい「カタチ」です。
これもちゃんとあらったはずなのに、
首周りの近くに黄色っぽいシミがあります。
赤ちゃんモノは仕方ないですね。
すぐ着られなくなっちゃうし、
なんか親の楽しみって感じですよね。
お孫さんがまた着られるなんて、ステキです。
自分が断捨離されちゃうかも…いやほんと、
気をつけないとですわ。
断捨離って何のことでしょう?状態です。
本を見ながら私も編みました。
でも、いつ頃何処へ行ったやら・・・です。
底にファスナーの付いたこの財布と同じ型
の水色を私も使っていました。
懐かしいわ。
孫ちゃんにあげました。でもやっぱりあんまり出番がないまままた小さくなっちゃうんだろうな。
先日久しぶりに連絡をとった古い友人が言っておりました。「ことしは年賀状はやめたんだよ。そしたら連絡取れなくなった人も何人かいたけど友達も断捨離さ」って。それってどうなの・・・?ご自分が断捨離されないようにね、と心の中で言ってあげました。