ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

喪服の「なんで?」

2009-08-21 23:24:28 | 着物・古布
写真は「木綿の黒紋付」、着込まれていて衿なんか擦り切れています。
親から子へと、ゆずられたのでしょうね。
我が家には女性用の木綿の紋付、つまり喪服もありますが、ずっしりと重いです。


さて、昨日の続きです。
最初に言うのもなんですが、書ききれないかと思うので、
今日は「その1」です。
喪服の歴史みたいなことからです。

喪の衣装は、地方地域によっても違ったり、またそれぞれの家庭でも
うるさく言ったり言わなかったり、更には「洋装」との兼ね合いがあったり…。
考えると悩ましい装いです。

何でも黒ならいいじゃん、とやってしまいたいところですが、
いつも思うのは「衣服」というのは、タダの「身を飾るもの」ではなく、
その時々の「その人、その心」をあらわすものでもあるということです。
先日の「日本語」ではありませんが、日本は「礼」を重んじ、
恥ということをきちんと考えてきた民族です。
慶事に際しても弔事に際しても、きちんと思いを表し、礼を尽くすことは、
時代がかわっても、残していくべき大切なことだと思います。
じゃその程度は?とか、コスチュームは?とか…そのへんのゴチャッとしたところを
これから書いてみようと思います。
こうするといいとか、こうしたほうがいいとかではなく、
知ることによって「判断」するポイントがわかるのではないかと思うのです。

まずは、この国の礼装について。
特に今回は「弔事」のほうに限って考えて見ましょう。
だいたい葬式の服装って、いつごろ決まったの?なんてところから、
ちっとひっくり返してみましょうね。

喪服のお話しをするということは、つまり「葬儀」のお話しになるわけですが、
今のような葬儀が一般的になったのは江戸時代、
以前書きましたが、江戸時代に「寺」というものが、
いわば役所の役目も果たしていました。住んでいる地域のお寺が「旦那寺」、
そこに仏事一般のお世話になる家を「檀家」、
そして寺には「戸籍」にあたるものが作られ、
村を出て旅をしたり、どこかへ働きに出るものには、
お寺がいわば「パスポート」を出したわけです。
この制度にはもちろん「戸籍で人別を正確に把握する」目的もありましたが、
「キリシタン」の監視の目的もありました。
お寺に頼んで「仏教の葬儀」をすることにより、
「他宗教でないことを証明する」ということです。
それまでは日本人は割りと神式の葬儀が多かったそうです。
神道の方が先ですからねぇ。

コレ以前…となりますと、実はいろいろで、どちらかというと、
葬儀は身内近隣だけのもの、特に神道の場合は「死は穢れ」ですから、
神社では葬儀はしません。それぞれの家でひっそりと…なわけです。
死者がでた家では神棚に半紙を下げて、閉じた状態にしますよね。
元々乳幼児の死亡率も高く、今より平均寿命もうんと短い時代です。
盛大に知らしめるのは、はばかられたのではないかという気もします。
いやこれは私の勝手な考えですが。

そんなこんなで喪服の色も黒から白へと変わり、また黒に戻った…
というのが大まかな流れ…のようです。
これまた長くなりますので先に行きます。
さて、葬儀そのものが昔は今のようにハデではありませんで、
どちらかというと「ひっそり」するもの、特に出棺は夜…こわっ…。
また「喪主」の服装についてはみんな「麻の白」でした。
そして、着るのは「遺族」だけ。時には「喪主」だけ。
死者と同じ白の「帷子で」、その前の打ち合わせだけを左右変えて
「死者と生者」を分けました。

日本はつい江戸時代の終わりまで、貧富の差も身分の差も大きく、
葬儀の基本的なことは同じでも、それぞれの生活レベルによって違ったわけです。
共通しているのは、遺族は白い麻の着物、ということです。
地方によっては荒縄を帯代わりにしたり、その土地の決まりのものをかぶったり、
裸足でわらじだったり、そういうことで「遺族」であることをあらわしました。
また会葬者の方は、地方によってさまざま決まりごとがありますが、
それは服装というよりは、使われる道具とか、葬列のときの並びとか…。
そういう「方法」についての慣習などが主なものです。
つまり…本来会葬者は「悼む気持ち」が第一で、
元々は「会葬者側」は、今のようにみんな真っ黒なものを着るとか、
そういうことはなかったわけです。貧しかったですしね。

はい、では次に、日本の大きな変わり目のお話です。
まぁこまごま書いていくと、更に長くなりますのでポイントだけ。

明治維新があって、それまで閉ざしていた扉を外に向けて大きく開いたところ、
国全体の、さまざまなことがそれはもう大きくいろいろ変わったわけです。
明治天皇という方は「これからは外国との付き合いが大切だから」と
自分を初めとして大臣とか軍人とか、洋装にすることにしました。
ここから日本人の洋装や、洋風文化の流入が始まりました。
身分制度がかわり縛りが減って、更には産業なども発展し、
日本人全体が、少しずつ裕福になっていきます。
それに伴って葬儀だけでなく、いろんなことが「向上」していったんですね。
いっとき、葬儀がたいへんハデになり、そこまでするのはよしなさいと、
そういうこともあったそうで、明治時代の葬儀の写真がありますが、
娘さんは振袖着てたりします。

そんな紆余曲折があって、そのあたりから「喪服が白から黒になった」こと。
これは、開国してからの「国際的な葬儀」、つまり皇室関係や要人の葬儀、
このときには外国からの弔問客を迎えます。それにあたって調査したところ、
西洋では「喪は黒」…そこでそのたびに「今回の葬儀の服装はこれでいくよ」と、
男性のモーニングとか、女性は黒喪服とか…お知らせがでたのだとか。
こういうことが徐々に庶民にもひろまっていったわけです。
一説には、日清日露の戦争で戦死者が多く、連日葬儀が続いたため、
白は汚れやすいので黒にした、というのもありますが、
あまり説得力ないなーと思ってます。いやほんとにそうかもしれませんが。

というようなわけで、喪服の白は黒になったわけですが、
もうひとつの「会葬者」ということですが、
これはもう少し考えなきゃなりません。
まず皇室の葬儀などは全員が正装、つまり亡くなった皇族に対して、
失礼のないようにですね。これをまともに受ければ、
当然私たちも、葬式には全員黒喪服…になります。
でも、実際には「黒喪服は三親等まで」、
これは、元々の「喪主と遺族と死者が白(喪服)」の表れだと思います。
さて、明治から平成になるまでにいったい何がどうなったんでしょうねぇ。

実は、着物関連の古い本を見ていると、
年代によっていろんなことが書かれていて、読んでいると混乱します。
たとえば「亡くなった方が目上の時は黒喪服」とあるかと思うと、
「いつの場合も黒喪服」はたまた「喪服は喪主と遺族、あとは色喪服」…。
更には「お通夜に着るもの」のなかに「ウール」がはいってたりします。
どれを信じたらいいんじゃぁ、ですね。
でもこれって結局は「時代を反映している」のだと思います。
また、これは私が感じていることなんですが、今の時代「喪服(着物)」は
洋服の黒と比べると「上」という感覚があります。
つまり、同じ黒でも洋装より着物の方が上。
これは日本が着物の国であり、正装といえば着物、だからでしょう。
お若い方には腑に落ちないかもしれませんが、
たとえば「なんかあったときはそりゃ着物でしょ」の感覚、
子供の入学式程度ならスーツだけど、七五三は着物、の感覚です。
気持ちの問題なので表現は難しいですが、やっぱり日本人のDNAかな?
会葬者のことはともかく、今もって遺族に関してだけは「遺族は黒喪服」、
つまり着物で臨むのがしきたりとされています。
これは、着物の黒喪服を、洋服の黒より上という位置づけでいるからですよね。
洋装は元々外国のものですから…。
それだと、洋装の黒喪服の中では「着物の黒喪服」は、ちと大げさ(格が上)
という感覚になりませんか?

なんか、どれをとってもあっちへ行ったりこっちへ行ったりですね。
とりあえず、今日は、ここまでにしてみます。
みなさん、過去の流れから行くとなんかどれもいいような、
そんな気になりますか?
どれを基本として、何を根拠にしたらいいか…悩んでみましょう。

では続きはまた。






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8 コメント

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Unknown (かたばみ)
2009-08-22 02:22:48
こんにちは。

私がまだ小学生のころ、
田舎の祖母の葬儀に出席しました。
本家筋の長男、当時は高校生だった従兄弟が喪主を勤めましたが、その時の装いは「白い麻の裃」で、子供心にもカッコいいと思いました。

私は、親族の葬儀なら洋服にしています。
喪主で無い限り黒の五つ紋のお対に仙台平袴は格が高すぎだし、かと言って、それに代わる着物は持ってないし。
ま、洋服ならあとで親戚からトヤカク言われないし、と言う「事勿れ主義」です(笑)

ご近所の葬儀には着物のこともあります。
この場合、鈍色の長着+黒の角帯+黒の羽織+グレーの鼻緒の雪駄です。
気を使うのが半衿と足袋で、白にしようか?それとも黒にしようか?・・・
結局、いまの日本では黒い方が無難な気がして黒にしています。
おかげでダースベーダーになったような気分です。
返信する
Unknown (陽花)
2009-08-22 07:16:08
50年ぐらい前は、まだ喪主は白でしたね。
まだ霊柩車も無く土葬の時代で、色んな物を持って行列でお墓まで行きました。
ご近所のおばちゃん達も地味な着物に黒い
羽織を着ていて、村中で死者を送る、そんな感じだったと思います。
今も昔ながらの風習を守っておられる所も
あるでしょうし、最近のように家族葬なるものも人気があるとかで、お葬式事情もどんどん
変わっていきますね。
返信する
皆さんと一緒なら大丈夫かしら? (nana)
2009-08-22 11:17:03
私の父は8月に亡くなり、葬儀に母は和装でしたが、他は全員洋装。主人の祖父は9月に亡くなりましたが、叔母が、「この方が楽なのよ」と単衣の喪服で来て、ひたすら、「持ってる人は持ってる」と感心。
着物を着るようになって、葬儀関連も、と着物関係の知り合いと語りあったのですが、結局周りの思惑がめんどくさいので、和装を考えるのはやめました。
葬儀に限らず、いろいろな出来事で、決まりコスチュームができているように思います。お受験関係は紺。就活は黒。若い子の花火大会は浴衣。お通夜から黒。大学の卒業式は袴。謝恩会は振袖。・・・誰が決めたわけでもないんですが、「ま、いいんじゃない?無難なんじゃない?」という感じでしょうか。
お受験の時は学校側から、「紺をお召しでなくてもよろしいので、ご自由に。」というお達しがあっても、私は怖くて、紺スーツでした。98パーセント?紺でした。(黒スーツの母、黒白チドリの子供1名)わかっていても勇気が要ります。
日本の服装の決まりって、どの程度しっかりしているんでしょうか?そして、日本の常識レベルで、外国のドレスコードの常識についていけるのでしょうか?
「みんなこんな感じでしょう?」で過ごしてしまっているのを少し反省しました。

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Unknown (とんぼ)
2009-08-22 20:57:26
かたばみ様
ぜひ、着物をおつづけくださりまっせ。
たびと半襟の色は、白または黒かグレーです。
たびや半襟は黒は見た目がきついので、
グレーがあるとやわらかい印象になりますよ。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-08-22 20:59:43
陽花様
私の父のときが、自宅だったんですが、
みんな地味な着物や服で、上に黒いものを
きていました。
いろんなことがどんどんかわりますね。
ついていけないと思うこともあります。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-08-22 21:02:43
nana様
洋装をみているといつも思うのですが、
「個性的な装い」とか「あなたの個性を」とか
言ってる割には、みんな同じかっこしますね。
流行はわからなくもないけれど…。
まあ受験やリクルートは、どうしても
無難になりますからねぇ、しかたないのかも
しれませんが、型破りがいいことも、
あるんじゃないかなんて、この年になると
思います。
返信する
あれ? (ちっく)
2009-08-23 10:09:06
はじめまして
いつも目を皿のようにしてブログを楽しんでおります。書き込みは初めてですが宜しくお願いします。

実は今月うんと目上のお世話になった方が逝去されました。奥様が喪主を勤めてらっしゃいましたが、
涙でかすんだ私の目には黒の紗?のような紋付を身に着けられた姿… 当日はまったく気がつきませんでしたが
たしかに色が抜けたようなお一人だけ姿が浮かび上がっていたような気がしたのです。

紗の喪服もあるのですか?6、9月のように8月だけ着用可能となると、稀少というかなんというか…

もちろん私含め会葬されてる方は、洋装ばかりで真っ黒でした。

返信する
Unknown (とんぼ)
2009-08-24 01:13:02
ちっく様
こちらこそはじめまして。
よろしくお願いいたします。

紗の喪服もあります。珍しいと思いますが…。
紗の喪服があまり着られないのは、
絽より下、だからだそうです。
感覚で言うと、同じ絹でも
「ちりめん」と「紬」の違い、
とでも言いましょうか、そんな感じですね。
ゼッタイダメではないけれど、
どうせ夏物の喪服を作るなら、
絽にしておきなさいよ…ですね。

(ごめんなさい、すごい誤変換があったので
書き直しました)
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