これは「元・男物のじゅばん」だったと思われます。
仮定なのは、すでに「分解」されていて今はただの四角い布なもんで・・。
広幅で、その横に半分サイズが縫い合わされ、ほぼ正方形。
それにいい裏地がついているのです。何に使ったのかわかりません。
発想の貧困・・四角いってんで「ふろしき」としか思いつかなくて・・・。
こういう柄は通常「モスリン」のじゅばんに多いのですが、
これは珍しく絹だったので、手に入れました。届いてからよくよく見たら、
これは1964年頃のもの。なぜわかったかと申しますと、
馬具の細いベルト部分に「五つの輪」と「日の丸」が小さく描かれていたから。
つまり「オリンピック」ですね。馬術の競技というわけです。
このお馬さん、目がとぉってもかわいいです。
着物の柄は、およそ「何でもアリ」の世界、無論動物などもいい題材で、
身近な犬・ネコはもちろん、家畜から野生、想像上の生き物まで。
馬の場合は鎧武者を乗せているか、街道筋で荷物や人を乗せてるか・・
そういう図柄が多くありますが、こんな風に「馬」だけで、
しかもこんなにリアルなのは、あまりありません。
馬のもよう、というより「馬の絵」ですね。やはり現代に近いものですね。
さて、馬のお話し・・って言いましてもねぇ、馬の歴史・・・。
ざっとですが、知ってる限りでは日本に馬が入ってきたのは邪馬台国だの
卑弥呼だのという太古の昔、朝鮮半島から渡ってきたようです。
最初は「祭祀」に使われたり、運搬に使われたり。神馬なんて言葉もありますね。
あまり「軍事用」に重きをおかれていたわけではなかったようです。
時代が進むにつれて、日本では「戦闘要員」として重要になってきたわけです。
「武士」という武術を以って身を立てる階級が確立されてきた平安時代には、
宮中に「右馬寮」「左馬寮」という(この前の「みぎ・ひだり」ですね)
馬に乗って弓矢を使う武士集団、言ってみれば帝の「護衛軍団」であり、
戦のときの「戦闘要員」を常駐させ、鍛える場所とシステムがありました。
さて、日本の映画で「騎馬戦」が出てくる映画はいろいろあります。
「一の谷」や「屋島・壇ノ浦」「川中島」とか「関が原」などの場面。
アレには実は「時代劇の大ウソ」があります。馬の大きさ・・・。
まず、日本人からして今より小柄ですが、馬の方もほとんどが「ポニーサイズ」。
「やぁやぁ遠からん者は音にも聞けぇ!近くばよって眼にも見よぉ!
わぁれこそは、なんのたれべぇなりぃ!」と
勇ましい声をあげてるのがかわいいポニーに乗って・・・じゃあねぇ・・。
まぁ、まわり全員それなんですから、違和感はなかったと思いますが、
昔をしのんで行われる「相馬野馬追い」なんて今行われるお祭の方が
見た目はずっと勇壮なのかもしれませんね。
日本には外国馬は入ってこなかったか・・というとそうでもありません。
僅かに行われていた貿易で、少しは入ってきていました。
八代将軍吉宗は、ペルシャから馬を輸入したといわれています。
しかし日本では「馬の品種改良」ということについては積極的ではなかったようで
結局、在来馬を使い、やがて戦が収まると、馬はもっぱら荷役・農耕に
使われるようになったわけです。そういう仕事なら、大きくないほうが
つかいやすかったでしょうね。シロート考えですが・・。
まぁそんなわけで、日本では品種改良はもっぱら「植物」関係ばかり?!
やがて文明開化、イヤでも外国の情報がなだれこんできて、
ようやく「ウチんとこの馬はちびちゃいんだわ」と気がついたわけです。
そうなると品種改良やってるより、馬そのものを輸入したほうが早いわけで・・。
オマケに運搬や農耕も、少しずつ動力がかわり道具・機械が開発され、
数十年の間に、馬を必要としなくなる方向にすすんでいったわけです。
そういうこともあって、今日本の在来種は全てが「絶滅の危機」というわけです。
まぁ歴史というほどでもありませんが、そんな感じで、今私たちが
テレビで眼にしているのは外国産とその血を受け継ぐおんまさんばっかりです。
スマートですよねぇ。ちなみに、現在「在来種」といわれているのは
全国でたったの8種類、有名なのは「木曾駒」「与那国馬」でしょうか・・。
着物の柄では「馬」というのは、前述したように「戦の場面」とか
「街道筋の浮世絵」とかに出てくるほか、図案化されたものが描かれたり
しています。男の子の祝い着などには勇壮な若武者なんかがよくあります。
もともと馬は最初に「神事」にも使われたもので、縁起のよいものでした。
神社に奉納する「絵馬」は、本来はホンモノの馬を奉納しましたが、
やがて大きな板に馬の絵を描いて奉納するようになり、
これが「絵馬」の始まり。その後、お金のない庶民でも納められるように
絵馬は小さくなっていったのでしょうが、
かつて「板に描いた馬」を収めるものだったのに、
今は「昔、馬を描いた板」にごっそり願い事を書くようになってしまいました。
神様は「おーい、馬はどこにあるんじゃー」と言ってるかも?
縁起でいえば、招きネコなみに「商売」などにも引き合いに出されています。
たとえば食べ物やで「荒れている馬」つまり暴れ馬ですが、それをのれんに描いて
「あらウマい」のシャレとしたり、また「馬」の字を左右逆に書く、
というのがあります。「左馬(ひだりうま)」といわれるものですが、
これは、通常馬というのは右から乗ろうとすると、転ぶのだそうです。
琉球などでは右乗りという操縦法もあったのですけれど・・。
とにかく、右から乗るとコケるので必ず左から乗る、左からの馬はコケない、
それなら馬(という字)を裏返して左右を変えて「左馬」にすれば・・・と、
シャレというかこじつけというか、とにかく左馬は「商売繁盛・身代安泰」の
おまじない・縁起担ぎにされたわけですね。
また、掛け軸などには「九頭の馬が走る姿」を描いて「うま・く・いく」と
シャレたり・・・。まぁ「ひょうたん六つ」で「むびょう(無病」とか
ふくろうは「不苦労」とか、日本人は、言葉遊びが得意ですから・・・。
ともあれ、写真の馬の古布は、これから解いて洗いますが、
スカーフなんかでもシャレてるかなぁ・・と思っています。
本日のおまけ・・・世界中のサラブレッドは血統がはっきりしているため、
どの馬も先祖をたどっていくと、たった3頭のどれかにたどりつくのだそうです。
ウチは・・・たどっていくと「由緒正しいウマのホネ家」であります。
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「大きさ」についていろいろお話しが出ましたので、急いで調べました。
北海道和種馬 体高125-135cm 持ち込まれた南部馬をそのまま置いていったもの
木曽馬 体高125-135cmのポニー鹿毛、河原毛を主体としたやや胴長の輓馬タイプ
野間馬 体高110-120cmのポニー
対州馬 体高125-135cm、元寇の役(1274年)で活躍したと伝えられる馬
御崎馬 体高100-120cm程度の野生色のポニー
トカラ馬 通常より一回り小さい体高100-120cmほどのポニー
宮古馬 体高110-120cm程度の鹿毛で小柄なポニー
与那国馬 体高110-120cmあまりの鹿毛を主体としたポニー
チビの私より小さい!なら私にもスイスイ乗馬できたかもぉ~~!
私 樋口可南子さんと同世代ですが、着物が似合う女優
NO1ですね。あのお方の美しい着物姿を見るたび
糸井重里になりたいと思います。
日本馬に比べると、ダービー用のサラブレッド、ほんとに大きい。 アラブ馬も、大きいです。
40年ぐらい前まで、厩つき農家ありましたけど、軍馬、農耕馬を使わなくなってしまったら、馬と共にの生活、消えてしまいましたね。
それにしても点対称で馬が2組とは、
不思議な柄ですね。まるでスカーフ。
手前の馬は大勒を付けていて、五輪+日の丸で
馬場馬術用かと思われるのに、鞍を付けていない。
何はともあれ、いいですね~。
対馬で、いわゆる対州馬をまぢかでみましたが、これは本当にちっちゃくって乗るのがかわいそうなくらい。
ぶりねぇさまのごらんになった御崎馬と比べるとどうでしょうね。
大きさについて、追記しました!
ねね様
ようこそ!おいでくださいました。
博識というか厚味がないので「薄識?」
着物姿は自信なし・・。やっぱ「あぶら身」を
なんとかせねば・・。
ぶりねぇ様
今の子供たちは「観光用」とか、そういうものしか
みられないのでしょうね。
私はかろうじて、荷駄の馬車を見た記憶があります。
足なんぞたくましいですよね。
うまこ様
私も「鞍」ないやん・・と思ったんです。
もしかするとこの馬「逃亡せんとや、走りけむ??」
Suzuka様
日本の馬は一番大きいタイプで130センチくらい。
ちょっと説明の不足がありました。
交配が全然おこなわれなかったわけではないのです。
特に北海道では、釧路で交配の努力がされました。
ご覧になったのは、その種類かと・・。
毎度毎度思うことですが、
どこに毎日毎日公開できる沢山の知識が詰まっているのですか。
体の中からはみ出して、体の外にもオーラが漂っているのでしょうね~
着物だけでない様々な分野に精通されていらっしゃるので本当に吃驚しています。
うーーーん 凄いです。
母の実家に農耕馬がいました。
蚤 しらみ馬のしとする枕元 芭蕉
の世界を経験してます。
馬小屋があり、かいば桶に藁を押し切りで切るの、米のとぎしるをいれてました。
農閑期馬をあずけていました。くらをのせてない馬にのったとたんにあっというまに落ちたことあります。楽しい田舎でした。
都井岬の岬馬よりは大きかったけれど、足の太い馬でした。
「馬」を左右逆に書いた文字は、「まう」と呼びます。つまりは「舞う」で、古来、「舞い」は、おめでたい席で行われたものですから、そこから縁起物として慶事には、つきものという事になったらしいのです。
特に陶芸界では、新しく窯を作った時には祝賀会を行い、招待したお客様には、初めて焼成した左馬の湯飲みを贈るのが慣習との事でした。
私も、いただきましたが、筆で左馬の文字を書くのは、かなり難しいことですよ!(笑)
私の実家は滋賀なんですが毎年5月3日の
お祭りに曳山や神輿お稚児さんも出て賑やか
なお祭りですが、その時、云われは解りませんが
馬もお渡りします。普段は神社には馬小屋に
馬の像が入っていますがお祭りの時は本物の馬
なんです。
「まう」・・・なるほど!いつも舞っている千様も、コケないように(ホラ、腰にもくるし)舞の前に「まう・まう・まう」と3回唱えるとか。これっていいんじゃないでしょうか。
それと、私もうひとつ知ってました。「初窯」のとき昔は板に「左向き」の馬の絵を描いて、一緒に焼いたのだそうです。つまり左馬はコケない・・で中の壷とか茶碗とかが火力などで倒れないように、という祈りをこめて・・。千様のお話しの湯のみも同じ思いですね。陶芸って、ほんとに最後は「火の神様まかせ」ですものね。
私も陶芸、初心者コースで一度だけやったんですが、私は「立体モノ」はダメだとわかりました。ケンメイに作ったのに、先生が「なかなか味のある小鉢だね」「湯のみなんですけど・・」
陽花様
ホンモノの馬なんですか!いやー見てみたいですねぇ。そういうお祭がきちんと残っているというのは、本当に大切な事だと思います。ずっと残ってほしいですね。そのお馬さんは普段どこにいるんだろ。元気で長生きしてほしいなぁ
いやそんなふうにいわれますと、
また穴掘らんといかん・・
博学でなくて「薄」の方です。浅いんですから。
たいへんかたよった好みですし・・。
あふれてるんじゃなくて、日々必死に
「搾り出して」おりますです、ハイ。
蜆子様
農耕馬とサラブレッドの足は、
まるで別の動物のような違いですね。
昔観光地で乗った馬車をひいていた
おんまさんの足が、すんごくたくましかった!
白が障害飛越競技で、
鞍をのせると乗り手も必要で
図がうるさくなるのかも、なんて考えましたが。
それにしてもサラやアラブは
鎧兜の日本の侍にはでかすぎますね。
追記のサイズの日本馬くらいの高さでないと、
鎧兜姿では乗馬するにもおおごとでしょうね。
私の場合、サラに乗るには
鐙に足をかけるだけでもアクロバット並ですもん。
そういえば、昔々、子供の頃住んでいた岐阜市内では
目抜き通りをときどき材木を積んだ馬車が通っていきました。でっかく見えましたぁ。
馬に乗ると、ホントに「高い」と感じるようですね。
昔「ローハイド」というアメリカのドラマを見て
一度あんなふうに馬でかっ飛ばしてみたいものだ
と子供心におもいましたが・・いまや「コワイ」。
てっちゃん様
京都はお祭が多くて、きっちりやらはるから、
ホンモノのおんまさんを眼にすることも多いですね。
それにしても2万?10万?・・・
あの遊園地のメリーゴーランドのにしときます。